top of page

4771-4774:フローニンゲンからの便り 2019年7月31日(水)


タイトル一覧

4771. 涼しげなフローニンゲンの夏の朝に

4772. フローニンゲンとFCフローニンゲンに関する夢

4773. 今朝方の夢の続き

4774. 予感と確信

4771. 涼しげなフローニンゲンの夏の朝に

時刻は午前4時半に向かいつつある。今朝は、昨夜に思い描いていた通りに、午前3時半過ぎに起床した。

今のところ、午前3時半から4時までに目覚めることが理想的のように感じられる。それは心身の状態において、そして創造活動に従事することに充てられる十分な時間においてである。

明日から暦の上では8月に入るが、フローニンゲンは日が沈むのが早くなり、日が昇るのが遅くなっている。そして何よりも、小鳥たちが鳴き声を上げ始めるのも遅くなっていることに気づく。

ここ数日間において、どうも小鳥たちの鳴き声が聞こえ始めるのが遅いと感じていたのだが、それは日照時間の変動によるものなのかもしれない。今のところ、それが一番大きな要因のように思われる。

これまでは4時あたりには鳴き声を上げていた小鳥たちは、今となっては4時半から5時あたりにかけて第一声を上げる。ちょうど今の時間帯から彼らの歌声が聞こえ始めてくる。

今この瞬間には、まだ彼らの声は聞こえておらず、ピアノ曲を書斎にかけながら、この静寂な闇の世界の中で、独りでこの日記を書いている。

それにしても、この時間帯の闇は深い。心の世界の闇と同様に深い。

闇が太陽の光によって徐々に明るくなっていく姿を今日も見よう。心の闇に対しては、認識の光を与えよう。それによって、心の闇も少しずつ明るくなっていくだろう。

早朝に天気予報を確認すると、今日はどうやら昼過ぎから雨が降るらしい。毎日の習慣の一つとして確立されている午後のジョギング兼ウォーキングを、今日は午前中に行っておきたい。

計画としては、午前11時前後あたりに出かけることにしよう。その時間帯に出かけていけば、雨に見舞われることは今のところなさそうである。フローニンゲンは、つかの間の夏日を経験し、今日からは再び涼しい夏の日々が続く。

今日の最高気温は23度であり、最低気温は13度である。少なくとも今日から一週間は、最高気温が23度前後の日々が続く。

夏らしさを感じることは大切だが、こうした涼しい夏というのもれっきとしたフローニンゲンの夏らしさなのだということを忘れないようにしたい。自分の狭い度量衡でらしさを判断しないこと。それが大切だ。

夏が暑いという考えは、自分の狭い度量衡から生まれた思い込みである可能性があるのである。それは夏の暑さに対する考えのみならず、物事に対する全ての判断に当てはまることである。

明日から始まる8月において、フローニンゲンらしさが滲み出た涼しい夏を満喫しようと思う。フローニンゲン:2019/7/31(水)04:38

No.2408: In Grace

I have a feeling that I’m deeply taking each breath in grace. Groningen, 10:42, Wednesday, 7/31/2019

4772. フローニンゲンとFCフローニンゲンに関する夢

時刻は午前4時半を過ぎた。相変わらず、まだ小鳥たちの鳴き声は聞こえない。

今、書斎の窓と寝室の窓を開けて換気をしているのだが、ひんやりとした風が足元を流れている。ここ数日間は窓を開けて寝ていたが、今日から気温が下がるため、就寝の際に窓を開けたままにするかどうかは慎重に判断したい。

早朝の作曲実践に入る前に、今朝方の夢を振り返っておきたい。夢の中で私は、FCフローニンゲンのスタジアムの中にいた。どうやらそこでサッカーの試合を観戦していたようである。

ちょうどハーフタイムの時間となり、私はトイレに行くことにした。スタジアム内は、FCフローニンゲンのチームカラーである緑一色で覆われていた。

幾分深みのある緑の壁に囲まれた通路を歩くと、すぐにトイレに到着した。そこで偶然にも、元サッカー日本代表であり、現在は解説者として活躍されている方と遭遇した。

その方の解説は非常に知的で面白いと以前から思っており、まさかFCフローニンゲンのスタジアムでお会いできるとは思ってもいなかった。スタジアム内には日本人はほとんどいなかったため、お互いは目立つ存在であり、お互いにすぐに気付き、そこで日本人同士少し立ち話をした。

もっぱらサッカーに関する話をし、特に今日の試合の前半について意見交換をした。すると、またしても偶然ながら、一昔前の元日本代表の陽気な方に遭遇した。

その方は、とてもテンションが高く、私たち二人に勢いよく話しかけてきた。私は二人とは初対面なのだが、その場ですぐに打ち解け、会話を存分に楽しんだ。

後から遭遇した方は、今この瞬間にFCフローニンゲンのスタジアムにいるはずなのだが、なぜだかフローニンゲンという名前を聞いたことがないとのことであり、少しおかしさがあって思わず笑ってしまった。

:「XXさん、今いらっしゃるのがフローニンゲンですよ。フローニンゲンはオランダ北部の街であり、FCフローニンゲンには2名ほど日本人選手が在籍していますよ」

私はその方にそのような説明をした。するとその方はひょうきんな顔をして、「そうでしたか!」という驚きの声を上げた。そこで夢の場面が変わった。

実はこの夢の前に、神社を訪れていた場面がある。そこでは、二匹の犬が祀られており、神社全体を守るとともに、神を呼ぶ役割を担っているようだった。

ちょうど鳥居をくぐったところに、神を崇めるための建物があり、その建物の柱に二匹の犬が祀られていた。よくよく見ると、二匹のうちの一匹は、実家にいる愛犬のようだった。

愛犬の意思と魂が抜き取られており、体がぬいぐるみのようになっていて、柱に組み込まれたガラスケースの中に入っていた。前方の柱を確認してみると、同じく一匹の雌犬がガラスケースの中に入っていた。

意思と魂が抜かれているはずなのだが、その犬の前足がピクリと動いたのを確認した。私は一瞬それに驚いたが、どうやら彼らは何か私に伝えたいことがあるらしいことがわかった。

結局そのメッセージが何かはわからず、神社を後にすることになった。そのような夢の場面があったのを覚えている。

より厳密には、場面の最後の方で、愛犬が祀られている柱の前方の柱に祀られていた雌犬は、どうやら両親が新しく飼い始めた犬のようだった。お世辞にもあまり可愛らしいとは思えない犬なのだが、母がその犬を選んだとのことであった。夢の中で母がそのようなことを話していた。フローニンゲン:2019/7/31(水)05:03

No.2409: Standing on the Top of a Tranquil Hill

I have a feeling that I’m gazing into the distance, standing on the top of a tranquil hill. Groningen, 12:52, Wednesday, 7/31/2019

4773. 今朝方の夢の続き

少しずつ空が明るくなり始め、小鳥たちの鳴き声が聞こえ始めてきた。時刻は午前5時半を迎えようとしている。

昨日は、インテグラル理論と成人発達理論に関するお勧め書籍の選定と、それらを紹介する文章及び音声ファイルを作成することに多くの時間を充てていたため、作曲実践をする十分な時間がなかった。

一方今日は、作曲実践をする十分な時間がある。それは何よりも嬉しく、私の魂を心底喜ばせてくれる。

日記の執筆や作曲実践を含んだ創造活動に従事するために適切な食事と睡眠があるかのように日常生活が進んで行く。今日は存分に作曲実践を楽しみ、午後からは息抜きの一環として、今週末のオンラインゼミナールのクラスに向けて幾つか音声ファイルを作成したい。

先ほどまで今朝方の夢について振り返っていたが、夢の続きを思い出した。夢の中で私は、見慣れない大きな畳部屋の中にいた。そこは確かに畳部屋なのだが、大きさとしてはちょうどフットサルコート1面分ぐらいあり、実際に部屋の両端にはフットサルゴールが置かれていた。

どうやら、今からここでフットサルの試合が行われるようであり、自分はその試合に参加することになっているようだった。畳部屋には、小中学校時代の友人が男女を含め何人かいて、二つのチームに分かれ、これから始まる試合に向けて準備をしていた。

もう何名か集まったところで試合を始めるとのことだったので、試合が始まる前に念入りな準備運動をすることにした。準備運動をしている最中、靴下を履いてプレーをした方がいいのか、素足でプレーをした方がいいのかを考えており、靴下を履いたまま畳の上で動くと滑ってしまうため、素足で試合に臨もうと思った。

すると、試合ができるほどの人数になったため、試合を早速始めようということになった。私はスターティングメンバーの一人として、そしてチームのキャプテンとして試合に出場することになった。

コートの中央にお互いのチームが集まり、最初に対面にいる相手チームのメンバーと握手をすることになっていた。私の眼の前には、小中高と付き合いのある親友(SI)がいて、彼に手を差し出すと、彼は手を差し出す素振りを見せなかった。

私は右手を差し出したまま、握手を求め続けていたのだが、彼は一向に右手を出さない。「無視をされているのだろうか?」と一瞬思ったが、彼は無視をするような人間ではないし、また私が何か彼を怒らせるようなことをしたかというと、それも思い当たらなかった。

私はその場でしばらく右手を出し続けていたが、どうやら彼には握手をする意思がないとわかったので、手を引っ込めた。すると気付いたのは、その場にいるのは彼本人ではなく、彼を模した人形だということだ。

それに気づくと、畳部屋の入り口の襖が開き、本物の生きた親友が試合会場に到着した。そこからすぐに彼は人形に代わって試合に出場することになった。

私は親友の到着を喜び、お互いがお互いをマークすることを嬉しく思った。いざ試合が始まろうとしている時に、これから行う競技はフットサルではなく、バスケのようなハンドボールであることがわかった。

具体的には、試合はまずジャンプボールで開始され、その後のルールはハンドボールとバスケのルールを混ぜた形となり、基本的には足でボールを扱うことはできないことになっていた。

私たちのチームは、一番ジャンプ力のある友人(RK)をセンターサークルに向かわせた。私は彼に、ジャンプボールを前に落とすのではなく、後ろにいる自分の方に落としてくれと伝えた。

いざジャンプボールが上げられると、彼は見事に指示通りに、後ろにいる私の方にボールを落としてくれた。それをキャッチした私は、すかさず目の前にいる数名の相手をかわし、ハンドボールのようにジャンプシュートを放って、開始早々得点を奪った。

チームのメンバーと私は歓喜に包まれ、そこからの試合を進めていく大きな弾みを得たと実感した。そこで夢から覚めた。

この夢について思い返してみると、試合開始前にコートのセンターサークルで親友に握手を求めた際に、私は最初自分の右手を差し出すのではなく、食事用のナイフを差し出したのを覚えている。また、同じチームメンバーとは、山小屋のある場所で試合に向けた合宿をしていたのも覚えている。フローニンゲン:2019/7/31(水)05:42

No.2410: Receding Summer

I feel that summer is receding. Groningen, 14:43, Wednesday, 7/31/2019

4774. 予感と確信

そよ風の優しい声がどこからともなく聞こえて来る。フローニンゲンの街を吹き抜けていく朝の風はとても心地よい。

今日は夏とは思えない清々しさだ。穏やかな流れの中で、今というこの瞬間を存分に味わっている。

ここにはただ今しかなく、それは永遠である。永遠としての今がただここにあり、自分はここにただこのようにしてある。

ただあるのみ。ただあるのみの日々が緩やかに時の流れに乗っていく。

自分の人生という流れそのものが、何か別の流れに乗ってゆっくりと進行していくのがわかる。それは確かに動きのあるものであり、絶えず何かしらの方向性を持ってどこかに向かっているものである。

それがどこに向かっているのか、いかなる方向性を持つものなのかについては誰もわからない。もちろん、私もわからない。

自分にも、そして誰にもわからないこの人生の流れについて思いを馳せる。

今日は本当に午後から雨が降るのだろうか。今の空の様子を眺めている限りにおいては、雨など全く降りそうにない。

とはいえ、フローニンゲンの天気は気まぐれであるから、天気予報の通り午後から雨が降る可能性は十分に高く、おそらく天気予報が正しいように思える。

早朝の世界に広がる華やかな動きを観想的な意識で目撃していると、ますます晴れやかな気持ちになる。そのような感覚を午前中に得ていた。気がつけば、今はもう正午前である。

午後から雨が降ることを見越して、先ほど近所の河川敷にジョギングに出かけた。明日から8月に入るとは思えないほどに清々しい天気であり、ひんやりとした風が心地よかった。

運河沿いを吹き抜ける風と太陽の優しい光を浴びながら、適度な運動を楽しんだ。そして、木漏れ日を浴びながら住宅街を抜けていき、近所のスーパーに立ち寄って買い物をした。

このような一見何の変哲も無い生活の中に大きな至福さを感じる。煩わしい人付き合いもなく、ただ自分の望む活動にのみ集中し、穏やかな時の流れを感じながら時間を過ごしていくこと。そうした日々を送れること以上に幸せなことはない。

穏やかな環境の中で、一つ一つの呼吸を深く行っている感覚。それが絶えず自分の生活を取り巻いている。

とにかく穏やかで、それでいて深い。平穏さと深さは比例するのかもしれない。

そのようなことを考えながら、スーパーから自宅に戻っている時、作曲実践に関してまた一つ気づきがあった。作曲実践というのは、究極的にはどの音を選び、選び出された音をどのように並べるかということに帰着する。

そう、作曲は至ってシンプルなのだ。だが、どの音を選ぶかに宇宙大の深さがあり、選び出された音をどのように並べるのかについても宇宙大の深さがある。

一音を選ぶことの難しさ。今の私には、到底「一音成仏」なる境地がわからない。

全く見えない世界が目の前に横たわっていることの嬉しさを思う。その道のりは長いことは明白だが、そこに向かって歩いていこう。

昨日、インテグラル理論と成人発達理論に関するお勧めの書籍のリストを作った。振り返ってみると、今からちょうど8年前に本格的にそれらの探究を始めた頃は、リストに記載した学術書が理解できるようになっているとは全く想像できなかった。

というよりも、そうした書籍が存在していることすら当時は知らなかった。探究を5年間ほど継続した結果、いつの間にかそうした書籍が読めるようになっており、人間発達に関する理解が深まっている自分がいたのである。

歩んでいるときには全く気付かなかったのだが、ある時ふと立ち止まり、自分の足取りと現在地を確認した時に、そうしたことに気づいたのである。作曲に関しても同様のことが起こるに違いないと思った。

作曲実践を始めて2年ほどが過ぎ、今年の秋からは3年目に入る。まだたった3年しか学習と実践をしていないのである。しかもその期間のほとんどは、大学に所属しながら人間発達の研究に従事しており、企業との様々な協働プロジェクトを行っていたのである。

ここから数年間ほど、作曲の学習と実践に集中していけば、今この瞬間には全く想像できない世界が開かれていくような気がしている。それは予感に過ぎないが、これまでの経験を基にした確かな予感であり、そうであるがゆえに確信であるとも言える。フローニンゲン:2019/7/31(水)11:46

No.2411: Appreciation for Today

In the end of the day, I express my appreciation for today. Groningen, 21:33, Wednesday, 7/31/2019

7月31日(水)に生まれた曲

本日の曲はこちらのYoutubeチャンネルで公開しています。

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

過去の曲の楽譜と音源の保存先はこちらより(MuseScore)

bottom of page