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4616-4619:フローニンゲンからの便り 2019年6月26日(水)


タイトル一覧

4616. ダイナミックな動きを生む規則性に注目して

4617. 人付き合いと人間関係の抜本的な改革に向けて

4618. 今朝方の夢

4619. 涼しげな正午より

4616. ダイナミックな動きを生む規則性に注目して

時刻は早朝の4時半を迎えようとしている。空がダークブルーに変わり始め、これから夜が明けていくことを伝えている。

小鳥たちのさえずりが聞こえて来る。昨夜、寝室でベッドの上に横になってからも、今と同じように小鳥たちのさえずりが聞こえていた。

昨日は暑い日であったこともあり、寝室の窓を開けていたため、小鳥たちの鳴き声がよく聞こえていた。小鳥たちの鳴き声が子守唄のように優しく辺りに響き渡っており、黙想的な気持ちで眠りについたのを覚えている。

また、今朝方においては、小鳥たちの鳴き声はある意味、目覚めの唄のように聞こえていた。今朝の起床時間は3時半であり、ちょうど小鳥たちが鳴き声を上げ始めるような時間であった。

それにしても昨日は本当に暑い一日であった。最高気温はなんと36度を記録し、真夏日和であった。

とはいえ、そうした気温であってもクーラーのみならず、扇風機さえも必要なく過ごせてしまえる点がフローニンゲンの良さである。実際に昨日は、書斎と寝室の窓を開けているだけで十分快適に室内で過ごすことができた。

昨日から一転して、今日の最高気温は21度であり、最低気温は12度とのことなので、その気温差には注意したい。最高気温に関しては、昨日との差は15度もある。

明日はさらに最高気温が下がり、18度となる。今週の土曜日は再び気温が上昇に転じ、29度になるようだが、来週からは17度や18度の日が続くなど、再び肌寒い日々が続きそうだ。

最高気温や最低気温を頭の中でプロットし、その動きを追ってみると、それは何らかの金融商品の値動きのようである。昨日、ショーンバーグが執筆した“Fundamentals of Musical Composition (1967)”を眺めていると、その中にメロディーラインを座標平面上にプロットし、その動きを視覚的に捉えることができる図が掲載されており、それを見たときに金融商品の価格の動きのように見えたことを思い出す。

このように、自然界における天候にせよ、金融商品の値動きにせよ、そしてメロディーにせよ、全ては目には見えない何かしらの規則性を持ってダイナミックに動いていることがわかる。そうしたダイナミックな動きを生み出す規則性に関心を向けている自分がいる。

モスクワに行こうとしてフローニンゲンに戻ってきてからの二日目を、今日もまた充実した形で過ごしていこうと思う。今日も日記の執筆と作曲実践を中心に、旺盛な創造活動に従事していく。

投資に関しては、昨日かなり集中的にテクニカルなことを学習し、その復習を少々行いたい。また、昨日はウェルスマネジメントの手法と闇について解説した“Capital Without Borders: Wealth Managers and the One Percent (2016)”の初読を終え、投資とそれを取り巻く種々の社会問題についても理解を少しばかり深めることができた。

今後、投資の技術的側面と思想的な側面を探究し、かつ投資がもたらす社会的な問題についての探究も合わせて行っていく。

ここ最近の作曲実践では、幾つかのモチーフに焦点を当て、メロディーを素早く作ってみて、その後にベースにシンプルな和音を当てる形で曲を作るという実験をしている。今後は、ベースに持ってくる和音にさらに工夫を施したい。

それはリズムの観点やハーモニーの観点からの工夫である。依然として私は、何も参照しなければ、シンプルなベースしか作ることができないため、この点を何とか乗り越えていきたい。

ベースの工夫については、やはり生きた楽譜から学ぶことが最善の策だろうと思われるため、今日は特にベースの構造に対して意識的になってみようと思う。フローニンゲン:2019/6/26(水)04:46

No.2120: Doing with a Rest

I’ll engage in my lifework, taking a rest on a regular basis. Groningen, 09:40, Wednesday, 6/26/2019

4617. 人付き合いと人間関係の抜本的な改革に向けて

時刻は午前5時半を迎えた。辺りはすっかり明るくなり、今日はさざ波のようなそよ風がフローニンゲンの街を回遊している。そうしたそよ風に自分の意識を委ねてみると、心がますます落ち着いていき、どこまでも果てしない世界に流れていけるような、あるいは、目の前に広がる広大無辺の世界の中に溶け込んでいくような感覚がある。

遠方より小鳥の鳴き声が届けられ、近くからもまた小鳥たちの鳴き声が届けられる。彼らは一体どれほど惜しげも無く私にそのような素敵な贈り物を届けてくれるのだろうか。それに対する返礼は、今のところ彼らの存在に感謝することしかない。

2019年6月24日を一つの大きな区切りとして、4年間の休養生活に入った。もちろんそれは何もしないという期間ではなく、落ち着いた環境の中で、十二分に確保された自分の時間を用いて自らのライフワークにただひたすらに打ち込んでいく期間である。

これまで以上に旺盛な創造活動と探究活動がそこにある。あるいは、それを実現させていくためにその期間を設けたと言っても過言ではない。

そうした生活を実現させるためには、自己と他者にとって本当に重要な仕事のみに焦点を当て、自分の時間を奪う馴れ合いの人間関係を根こそぎ精算する必要があった。前者に関しては注意が必要であり、他者が望んでいることと自分が本当に望んでいることが合致する形で行える仕事というのは意外と少ない。

過去数年間において、様々な方々からいろいろな協働案件に関する話をいただいてきたが、それらがどれも完全に自分が本当に望むものと合致していたかというと、そうではないことがあった。

ここからの人生においては、労働収入に依存するのではなく、それはむしろもはやゼロに近づけていくための仕組み作りを着実に進めていることは以前の日記で言及したとおりである。結局、多くの人は労働収入に依存するあまり、自分が本当に望むことと合致しない形で他者から仕事の依頼を引き受けてしまい、それによって心身が疲弊していく傾向にあるのではないかと思う。

カネの呪縛力というものをここにも見る。カネが足かせとなっている限り、やはり金融資本主義が跋扈するこの現代社会で真に解放されながら生きることは極めて難しいだろう。

今日も早朝の時間帯は自らの創造活動に十分な時間を充てていく。これまでもこうした貴重な時間帯にメールを確認するという愚行を犯すことはなかったが、6/24を境目に、メールという馴れ合いの人間関係を助長するツールに対する向き合い方と使い方も大きく変化した。

人間は思い込みを持つ生き物であり、その性質を逆手にとって、世間一般のメールの返信に対する意味付けとは全く異なる、「メールへの返信は基本的に不要である」という考え方を持つようにしていく。

とにかくメールへの返信に貴重な時間を使わないようにしていく。この習慣を徹底していけば、これまで汚物のように集積していった馴れ合いの人間関係が徐々に溶解し、本当に大切な人間関係だけが残るだろう。人付き合い、および人間関係についても抜本的な改革を実行していく。フローニンゲン:2019/6/26(水)05:53

No.2121: A Slow Shimmer

I’ll never engage in my lifework in haste. The slower I do, the deeper my lifework will be. Groningen, 11:32, Wednesday, 6/26/2019

4618. 今朝方の夢

時刻は午前6時を迎えようとしている。赤レンガの家々の屋根に朝日が照らされ始めた。柔らかい黄金色がそこに醸し出されており、それは私の眼を大いにくつろがせてくれる。

今日のフローニンゲンの上空は雲一つなく、快晴の空が広がっている。そうした爽快の空の下で、今日も私は自分の人生を生きて行く。

早朝の作曲実践を始める前に、今朝方の夢について振り返っておきたい。夢の中で私は、日本で通っていた大学のキャンパスの敷地内にいた。

私が通っていた大学のキャンパスは、東と西のキャンパスが一本の長い直線的な道で隔たれている。私は東キャンパスの校門に向かって歩いており、そこで大学一年生の時の第二外国語のクラスで一緒だった友人数名とばったり出会った。また、ドイツ語を教えてくれていた担任の先生もそこにいて、先生はその場にいた友人たちとにこやかに話しをしていた。

どうやら私たちはそこで、一人の友人(MU)がやってくることを待っているようだった。その友人は、フランス語を履修している別のクラスの女性友達であり、彼女は待ち合わせ時間になってもなかなか姿を現さなかった。そこで私は、西キャンパスに様子を見に行くことにした。

西キャンパスにある講堂の前に差し掛かった時、遠くの方に彼女の姿を見つけた。彼女はなぜか着物を着ており、とても歩きにくそうにしていた。

私が彼女のところまで駆け寄ると、「途中までクラ友(同じクラスの友達)が自転車の後ろに乗せてくれたんだけど、途中で降ろされちゃって」と述べた。彼女の着物姿を見ると、「はて今日は卒業式か何かだったか?」と思ったが、とにかく私たちは、みんなが待つ東キャンパスの校門前に向かうことにした。

するとその女性の友人と私はなぜか、大学キャンパスの一つの教室の中にいた。そこでは同じサークルの先輩が一人いて、教室内でお洒落な靴を販売していた。それはビジネス用にも使えるし、普段用にも使えるようなものだった。

何足かシューズがある中で、私は一足のシューズを手に取った。そのシューズの価格は、なぜだか一つに設定されていたのではなく、7万円から9万円という幅があった。それを興味深く思った私は、ふと視線を左に向けると、女性友達の彼女もそこでシューズを販売し始めていることに気づいた。

彼女が販売しているシューズを見ると、先輩が売っているものと全く同じものがあった。値段を尋ねると、10万円とのことであった。それを聞いた先輩は、「10万円というのは適切なプライシングではないよ」と述べた。

私たち三人は全員、経営学科に所属していたため、特にマーケティング論と経営戦略論の観点から、そのシューズの値付けに関して少しばかり意見交換をした。すると、その教室内に、小中高時代から付き合いのある親友(SI)がいて、彼は洗濯機や食器乾燥機などを販売していた。

私は彼の元に行き、彼に話しかけてみると、友人は私に食器乾燥機を勧めてきた。それに対して横にいた先輩が少々怒っているような表情で、「無理に商品を売りつけるのは良くない」と述べた。

その発言に対して親友は笑いながら、「金持ちからはカネを搾取してやればいいんですよ」と述べた。私は二人のやり取りを聞きながらも、それそのものに関心はなく、食器乾燥機にも関心がなかったので、再び先輩のシューズ売り場に戻り、先輩が不在の中で、先ほど眺めていたシューズの横にあった別のシューズを手に取り、じっくりと眺め始めた。

それは自分が普段履いているシューズと全く同じものであり、なぜだか売り物のそのシューズのつま先部分が割れてしまっていた。それに気づいた時、「そういえば、自分が普段使っているシューズもつま先が割れてしまっているな」と思ったところで夢の場面が変わった。

最後の夢の場面についてはとても断片的な記憶しか残っていない。実際に通っていた小学校の教室の中に、なぜだか大学時代の友人たちが10人ほどいて、これから始まる私の授業を待っていた。

教室の扉を開けて視界に飛び込んでみたのは、彼ら全員がレインコートを着ている姿だった。その中でも一人、ひときわ目立つ黄色のレインコートを着ていた友人がいたのを覚えている。教室の中はどういうわけかとても暗く、だが教室内の雰囲気は明るいという不思議なコントラストがそこにあった。

今朝方は以上のような夢を見ていた。最後の夢の場面から振り返ると、暗さと明るさの明暗のコントラストが印象に残っており、それは誰しもの心の世界にある光と影の部分を象徴しているのかもしれないと思う。

一人の友人が黄色のレインコートを着ていたことは興味深く、外界の刺激や心の影の部分を雨と見立てるならば、レインコートは自己の本質をそうした雨にさらさないようにする役割を担っているのかもしれないと思う。また、レインコートの色が黄色であったことは、私の心の光の部分は黄色をしているのかもしれないと思う。

前半の夢に関しては、特に自分が持っているシューズと先輩が売っているシューズのつま先部分が割れていたことが気になる。それが意味することについてもう少し考えてみたい。フローニンゲン:2019/6/26(水)06:21

No.2122: A Drop from the Cloudy Sky

I perceive as if a drop fell down from the cloudy sky. Groningen, 12:37, Wednesday, 6/26/2019

4619. 涼しげな正午より

昨日から一転して、今日は本当に涼しい。早朝には朝日を拝むことができていたが、午前中の途中からは曇り空となり、今もうっすらとした雲が空全体を覆っている。今日の涼しさは、そうした雲のおかげなのかもしれない。

こうした涼しげな気温の中で、ゆっくりと午前中の創造活動に励んでいた。とにかくゆっくりと自らの創造活動に従事していく。

決して焦ることなく、一つ一つをゆっくりと深めていく。自分の性分上、それが難しいことだというのは百も承知であるが、適宜休憩を挟みながら、絶えずライフワークに従事していく。

午前中の作曲実践の最中に、突然、和音の質的感覚が分かり始めた自分がいることを発見した。特に、トニックの機能を持つ和音に関しては、それを耳にした瞬間に何か独特な感覚が引き起こされる。

それがいかような感覚なのかについてはもう少し言葉を付け足す必要があるかもしれない。それは一般的に言われているように、音が終止する感覚であり、同時に私はそこにある種の浄化の感覚を見出す。

この浄化感を先ほどの作曲実践の中で感じていた。それでは、ドミナントやサブドミナントの機能を持つ和音に関してはどのような感覚が喚起されるのだろうか。それらの問いに答えていく形でこれから再び作曲実践を行う。

もう一曲作ったら、マカパウダーとパンプキンパウダーを混ぜた具なしの味噌汁でも飲もうかと思う。そして休憩がてら仮眠を取り、再度作曲実践を行ってから、ジョギングがてら近所の河川敷に足を運び、帰りに近所のスーパーに立ち寄ってバナナとトマトを購入する。

昨日の暑さについて回想していると、ひょっとしたら昨日もまた、オランダのどこかの街を走る線路に不具合が生じたのではないかと思う。先日列車の遅延に巻き込まれ、そこで偶然知り合ったフローニンゲン大学の哲学科の教授に教えてもらうまで、鉄道の遅延に伴う返金制度について全く知らなかった。自宅に戻ってきてすぐさま返金の申請をし、今はその申請結果を待っている最中である。

フローニンゲンは様々な面で今の私にとって生活しやすい街なのだが、ひとつ難点は、スキポール空港や南オランダの主要な都市からやはり遠いことであり、特に旅行の帰りに鉄道のトラブルに巻き込まれやすいということだ。実際にこれまでも何回か鉄道のトラブルに巻き込まれてきた。

そのようなことを考えると、来年以降からこれまでよりも頻繁に旅に出かけていくのであれば、やはり空港から近くの都市、特にライデンなどが住むのに適した街かと思う。空港まで列車で15分のライデンは、空港へのアクセスのみならず、治安の面でも他の主要都市よりも優れており、それでいて学術・文化的な深さもある街である。

デカルトやスピノザが生活をしていたライデンの街で生活を送る日がやってくるのも遠いことではないかもしれない。フローニンゲン:2019/6/26(水)12:09

No.2123: Days Replete with Elegance

My days are replete with elegance. I appreciate it very much. Groningen, 15:27, Wednesday, 6/26/2019

6月26日(水)に生まれた曲たち

Op.1311 反響する朝

Op.1312 室内を巡回する心地良い風

Op.1313 休みながら進むこと

Op.1314 緩やかな輝き

Op.1315 曇り空の雫

Op.1316 華麗さで満ちた日々

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

過去の曲の楽譜と音源の保存先はこちらより(MuseScore)

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