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3842. 「プルースト的」な発達


今朝は五時前に起床したこともあり、まだ五時半を少し回ったところだ。まだ夜の明けぬ静寂な外の世界に耳を傾けてみると、小鳥の鳴き声が聞こえて来る。

小鳥たちは随分と早起きである。おそらく小鳥たちも睡眠を取っているのだと思うが、どこでどのように眠っているのかを想像すると、おのずと笑みが溢れる。

彼らがこっくりこっくりと頭を揺らしながら眠っている姿を想像すると、実に微笑ましい。そんな彼らもすでに目覚めており、今、小さな鳴き声を奏でている。

私はよく、小鳥たちの意識世界について思いを馳せることがある。春が近づくに連れて、それは暖かさと明るさを増しているに違いない。私の意識世界も同様だ。

昨夜、就寝に向けて準備をしている時にふと、小説家のマルセル・プルーストについて思いを馳せていた。プルーストの代表作、『失われた時を求めて』はまだ一度も読んだことがないのだが、その作品の書かれ方については各方面で見聞きすることがあった。

昨夜私が思っていたのは、どこか自分はプルーストがこの代表作を執筆した時と同じような衝動、ないしは行動特性を持っているのではないかということだった。とりわけ、自分が生み出した創造物をもとに新たな創造物を絶えまなく生み出し続けていく点が共通している。

自己の創造物が無限に増殖していく様子に対して、私は「プルースト的」という形容詞を当てるようにしている。そこで行われていることは、絶えず新たなものが増殖していくということだけがポイントなのではなく、過去の創造物をもとに自己増殖をしていく点がポイントである。

すなわち、プルースト的というのは、創造物に自己言及作用が働き、絶えず過去の創造物を参照した上で、新たなものが自発的に生み出されていくということなのだ。特に私は、自己言及作用というものに着目している。なぜなら、これは発達の肝であるからだ。

私たちが新たな能力を獲得するにせよ、新たな自己を確立するにせよ、必ず基盤となるものが存在する。そしてそうした基盤から分離と統合を行うことによって、私たちは発達を遂げていく。ここではまさに、基盤に立ち返るということに基づいて発達が実現されていくのだ。

一つ不思議な感覚としては、自分の基盤に立ち返ることを行った瞬間に、差分が生まれるということである。この現象は大変興味深く、どうやら私たちは基盤に立ち返ることによって、さらなる発達に向けた足がかりを得ているようなのだ。そして、こうして生まれた差分こそが分化のプロセスを促していくものになる。

私は普段何気なく——いや、習慣として——、過去の日記を読み返すことと、過去に作った曲を聴き返すことを毎日行っている。決まりとして、昨日書いた日記を毎日必ず読み返し、一昨日作った曲を毎日必ず聴き返している。

こうした習慣的実践を毎日継続していった結果、自分が発達の螺旋と完全に一体化しているのを感じる。おそらく、発達を遂げてしまうことの恐れを乗り越えていく道はここにあるのだろう。

あるがまま、なすがままに、螺旋の進む方向へ自己が運ばれていくこと。そうしたことが自分の中に起きているのを実感する日々である。フローニンゲン:2019/2/17(日)05:58

No.1691: A Greeting of the Clear Sky

I can see a light blue sky.

The sky is making a greeting to the world. Groningen, 07:55, Monday, 2/18/2019

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