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3802. 今朝方の夢


今朝は五時半過ぎに起床し、六時を迎えた頃から一日の活動を始めた。今日もまた静かに新たな一日が始まった。

今、外の世界には雨が降っている。どうやら今日は、一日を通して雨となりそうだ。

いつもの通り、まずは今朝方の夢について振り返っておきたいと思ったが、今朝方の夢をほとんど思い出すことができないことに気づく。ただし、夢で感じていた感覚を分類するならば、それは非常に肯定的な感覚に分類することができる。

今、一つだけ夢の場面を思い出した。夢の中で私は、ある宿泊施設の中にいて、そこでキックターゲットのようなゲームに参加していた。男女合わせてかなりの数の小中学時代の友人たちがその場にいて、私の応援をしてくれていた。

キックターゲットに参加している私の格好はその場にはふさわしくなく、スーツを着ていたように思う。見知らぬ何人かの男性が、ボールを蹴って目標物に当てることを失敗している中、私の番がやってきて、私は見事に目標物にボールをぶつけた。

その際に、思わずガッツポーズをしたが、それはある有名な日本人サッカー選手のポーズと同じであり、もう少し別の表現方法があったのかもしれないと気恥ずかしくなった。そのような場面があったことを覚えている。

その前後にも他の夢が存在しており、前の夢については全く覚えていないが、後の夢の場面では、日本人の女性と数名の見知らぬ気さくそうな外国人と何かを楽しげに話していたのを覚えている。

今日は少しばかり深層意識も穏やかであったのか、夢について覚えているのはそれぐらいしかない。仮に夢についてほとんど覚えていなくても、覚えている限りのことを書き出すことを今後も続けていく。

また、今日のように、全く何も覚えていないように思えても、思い出そうとしてみることによって、夢の断片を思い出すことができることがよくある。そうしたことからも、夢を思い出そうとすること、そして思い出された夢を文章の形に残しておくことをこれからも続けていく。

夢日記をつけることは、確かに自己発見と精神の治癒をもたらし得るが、今の私は、それらの効果を実感しながらも、そうした効果を得るために夢日記をつけている訳ではないことがわかる。厳密には、夢日記を通じて自己発見と精神の治癒を得ることは確かに大切かもしれないが、それ以上にもっと重要な何かがこの実践に潜んでいることに気づいており、その何かに衝き動かされる形で夢日記を執筆し続けているのだと思う。

時刻は午前六時半を迎えた。今日は昼食後に、一件ほどオンラインミーティングが入っている。

それ以外には、特に協働関係の仕事はないため、本日もまた、音楽理論や作曲理論に関する書籍を読み、作曲実践を旺盛に行っていこうと思う。

作曲実践において何かの実験をするたびに、自己の新たな側面が開かれていく感覚がある。晩年のピカソをもってしても、創造活動というのは絶え間ない実験であるとみなしていたように、今日もまた様々な実験をしていく。

そうした過程の中で、自分の技術を磨いていき、自己を涵養していく。そして涵養された自己を通じて、この社会に資する実践を小さく継続していく。フローニンゲン:2019/2/10(日)06:36

No.1664: The Jolly Ground

It is fine weather today after a long time.

I’ll go running after I take a nap in the afternoon. Groningen, 11:52, Monday, 2/11/2019

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