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3689. 監獄の網の目と学制発布以来の教育


時刻は午後の三時半を迎えた。これから夕食に向けて、再び仕事に取り掛かっていく。

先ほどまで小雨が降っていたのだが、どうやら雨は止んだようだ。時刻はまだ午後三時半なのだが、もう辺りは薄暗い。いや、今日は一日中、このような薄暗さの中にあったように思う。

先ほどまで、いろいろと雑多なことを考えていた。一つは、書き手の実存性が滲み出てくる余地がほとんど無い科学的な論文形式で書かれた文章は味気なく、一方で、そうした事態に問題意識を持ち、仮に科学的な論文形式であっても、なんとかして自分の深層的な課題意識を文章として表現しようとしている著者の文章は面白味を感じる、ということであった。

今日もそのようなことを感じさせる瞬間があった。インテグラル理論の提唱者であるケン・ウィルバーの言葉を用いれば、やはり依然として、学術世界は合理性段階(オレンジ)と相対主義的段階(グリーン)の巣窟と成っており、それら二つの段階に依拠するナラティブはどちらも共に物足りなさを感じることを認めざるをえない。

一方で、合理性段階の壁を乗り越え、相対主義的段階の壁を乗り超えた学者も少なからず存在するわけであり、彼らの洞察からは色々と学ばされることが多い。

彼らの洞察の特徴としては、この社会に張り巡らされた抑圧的な檻の網の目、ないしは監獄の網の目に気づいていることであり、彼らが執筆した書籍や論文を読む意義は、そうした監獄の存在に気付き、そこから解放されることに向けてのアクションを考察できることにあるだろう。

この現代社会には、それこそ目には見えない無数の監獄が存在しており、まずはその存在に気づくことが重要であり、それらの監獄がいかなるメカニズムによって動いているかを理解することが重要だろう。そうした記述がなされている文献を今後も積極的に読んでいこうと思う。

もう一つ考えていた雑多な事柄は、1872年に発布された「学制」に基づいて連綿と継続している我が国の教育についてであった。1872年に発布された学制において、教育の目的は、出世と財の獲得・管理に置かれていたということを知った。そこでは、経済的な成功が教育の第一目標に据えられていたのである。

学制によって制定された価値観は、150年近く経った今でもまだ存続しており、そうした価値観の刷り込みは依然として払拭されていないように思える。ただし現在は、教育の世界においては、そうした価値観は少しずつ揺らいできてはいるようだ。

経済活動における成功を第一とする教育は、もう完全に時代の要請に応えることができていないのは自明だろう。学校を取り巻くシステムについては、引き続き探究を継続していきたい。

それに関連して、社会学や経済学、さらにはより具体的に、教育社会学の書籍を再び読み進めていこうと思う。フローニンゲン:2019/1/16(水)15:52

No.1580: An Illusory Eureka Moment

My life is rife with eureka moments. Groningen, 14:56, Thursday, 1/17/2019

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