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3570. 夜に思い出す今朝方の夢:12音技法による無調の曲


時刻は午後の六時に近づきつつある。気がつけば、辺りが真っ暗闇に包まれていた。

今、日曜日が静かに終わりに向かっている。今日は、教育哲学者のインナ・セメツキーの書籍を読み終え、随分と多く得るものがあった。

本書はユング心理学と教育を架橋した内容になっており、今後も何回か読み返すことになるだろう。ここ最近、この世界にあるということへの自覚的な意識が強まっている。

ユングが、この世界に真にあるというのは、この世界にあることに対して自覚的である必要がある、という趣旨の言葉を述べていたのを思い出す。

もう一日も終わりに近づいているのだが、今朝方見た夢について再度思い出していた。それは、早朝の日記で書き留めていなかったものである。

夢の中で私は、小中高時代の友人と話をしていた。その友人と私はそれほど親しい仲ではなかったが、彼の現在の仕事について話を聞いていた。

どうやら彼は、地元に戻り、地元の進学塾で講師をしているそうだ。週に四日ほどの勤務であり、給料は確かに安いが、自由な時間が比較的多くある、ということを述べていた。

彼がどのような経緯で塾の講師になったのかは定かではない。私はふと、確かに彼は週に三日ほどの自由の時間を享受しているようだったが、それは真の意味で自由を享受しているとは思えなかったことを思い出した。

つまり、彼は幾分制約に囚われているように思えたし、彼が私に話すときの表情を見ると、今の生活に完全に満足しているわけではなさそうだった。そのような夢を今朝方見ていたことを、夜に向かうこの時間帯に思い出した。

今日は12音技法を用いて無調の曲を試しに作ってみた。今回が初めての試みだったため、曲を作る手順がおぼつかなかったが、短い曲をとりあえず一つ作ることができた。

一回の実験的な作曲から、随分と学びがあった。まずは、無調の曲を作る際にはリズムを工夫しなければならないということを強く自覚することができた。

また、一つ関心を持ったのは、最初に音列を作る際にも何か工夫ができないだろうか、ということである。昨夜もその点について考えており、複雑性科学でよく目にする何らかの数式を用いて、決定論的カオスを曲の中に生み出すことはできないかと考えていた。

そこから、音列を設定する段階で何かしらの数式を活用できないかと考えていた。この点については、今後も考えを温めていきたい。

今後も時折無調の曲を作っていこうと思う。その際には、特にこれまで使ったことのない演奏記号やあまり使ってこなかった演奏記号を積極的に使ってみようと思う。

リズムへの工夫のみならず、こうした演奏記号の活用にも工夫を施してみようと思う。また、次回無調の曲を作る際には、今回作ることはなかったが和音のように音を重ねることも行ってみようと思う。

無調の曲を今日初めて作ってみたことによって、12音技法を含め、無調の音楽により関心を持つようになった。近々、下記の書籍を購入し、探究を進めていこうと思う。

1. “Serialism: Cambridge Introductions to Music (2008)”

2. “Contemporary Harmony: Romanticism Through the Twelve-Tone Row (2015)”

3. “Twelve-Tone Tonality (1996)”

4. “Serial Composition and Atonality: An Introduction to the Music of Schoenberg, Berg, and Webern (1991)”

5. “Schoenberg's Serial Odyssey: The Evolution of his Twelve-Tone Method (1993)”

6. “Composition with Twelve Notes Related Only to One Another (1965)”

7. “Style and Idea: Selected Writings (2010)”

8. “Serial Music, Serial Aesthetics: Compositional Theory in Post-War Europe (2005)”

9. “The Structure of Atonal Music (1977)”

10. “Serial Composition (1968)”

フローニンゲン:2018/12/23(日)18:17

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

過去の曲の楽譜と音源の保存先はこちらより(MuseScore)

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