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3513. 破壊的創造衝動と実践哲学


今朝方の夢について書き留めた後、今朝の夢の後半部分では、随分と自分の攻撃性が現れていると改めて思った。それは自分の内側に根ざす攻撃衝動、ないし破壊衝動の類だろう。

これまでの夢を振り返ってみたときに、ある個人に対してそうした衝動をぶつけることが多いのだが、つい先ほどコーヒーを入れに書斎を離れたときに、そうした衝動が社会に対して向かったことが一度もないことに気づいた。

夢の中の攻撃対象は個人ばかりであり、より大きな存在に対して自分の破壊衝動が向けられることはない。おそらくそれは、「まだない」というだけであって、これからそうした夢を見るかもしれないと思った。

というのも、顕在意識下の自分の関心は、欧州での生活の日々が進むにつれて、社会の構造的な問題に向かいつつあるからだ。実際に、昨夜は就寝前に、教育を取り巻く社会の構造的な問題や人間発達を取り巻く企業社会の構造的な問題について考えを巡らせていた。

ここ最近の私は、個別事象の研究に対して、もうそれほど関心を持っておらず、そうした個別事象を生み出しているより大きな構造的な問題に意識が向かうようになっている。顕在意識下では、より大きな問題へと関心の矢が向かっており、その背後には、自分の無意識の中に健全な破壊的創造衝動があるように思える。

既存の問題を解決するためには、ある種の破壊と創造が不可避であり、それを行おうとする衝動が自己の中に根付いていることに最近気づくようになった。一方で、集合的な問題の解決に向かおうとする自分がいるにもかかわらず、夢の中の私は破壊的創造衝動を社会などの集合的な存在に向けることは未だないことを不思議に思う。

さらには、夢の中で発揮されているのは健全な破壊的創造衝動ではなく、幾分治癒が必要な単なる破壊衝動であって、しかもそれが個人に対して発揮されていることを考えてみる必要があるように思う。治癒されるべきではないシャドーが自己の内側にあることを知っているが、個人に対して発揮される単なる破壊衝動はおそらく治癒が必要だろう。今朝方の夢を振り返りながら、そのようなことを考えていた。

今、一日分のコーヒーが出来上がった。今日は気温が低いから、暖かいコーヒーの旨さが一段と増すに違いない。

昨夜は就寝前に、ベッドの上に座って、一人でブツブツと独り言を述べていた。それは幾分スピーチのようであった。

そこで話されていたのは、上述した事柄であり、具体的には教育や企業社会を取り巻く社会的な問題に関する内容だった。しばらく自分の考えをブツブツと述べた後に、枕元に置いているメモ帳に考えを走り書きしていた。

改めてそれを眺めると、そうした社会の構造的な問題に取り組む際には、哲学の枠組みが必要不可欠であり、それは科学以上に重要である、というものだった。問題の解決に向けてなされるありとあらゆる実践や科学的な営みを根底で支えているのは、思想的なパラダイムであり、既存の問題を真に解決していくためには、その根底にある思想的なパラダイムを変容させていく必要がある、ということを示唆するメモが残されていた。

実践を取り巻く思想を変容させ、実践そのものが変容していくためには、様々な領域において新たな哲学的な枠組みが必要なように思えてくる。今の私が諸々の哲学領域に関心を持っているのは、そうした考えがあるからだろう。

社会の構造的な問題を治癒していくためには、科学的な研究では全くもって役不足である。そうした科学的な研究が営まれるための土台となる思想そのものに関与していく必要が大いにある。

それによって科学的な研究さらには各種の実践が変容していくだろう。そうしたことを可能にするのが、まさに実践哲学と呼ばれるものなのだと思う。フローニンゲン:2018/12/12(水)07:10

No.1476: Fluctuation of a Winter Wind

Now it is approaching 6:30PM.

I’m feeling that time flies. Groningen, 18:18, Thursday, 12/13/2018

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