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3425. 知覚世界の拡張を促す芸術


時刻は午後三時半を迎えた。まだ三時半だというのに、辺りはもう薄暗い。今日は空に薄い雲が覆っているためか、この時間帯でも暗さを感じる。

今日はこれまでのところ、早朝にバッハの四声のコラールに範を求めて一曲作り、昼食前と昼食後の時間に分けて、ショパンのワルツを参考にして一曲作った。これから、モーツァルトの変奏曲に範を求めて一曲作りたい。

つい先ほど、郵便受けに何かが届けられた音が聞こえたので、確認しに下まで降りてみると、以前注文していた書籍だった。今日届いたのは、「教育記号論」の創始者であるインナ・セメツキーが編集者として出版した“Jung and Educational Theory (2013)”と、芸術教育の領域で多大な貢献を残したエリオット・アイスナーの“Reimagining Schools (2005)”の二冊である。

前者は、タイトルの通り、ユングの心理学理論と教育を関連付けている点でユニークであり、後者はアイスナーの教育論に関する論文が集められたものである。前者の書籍については、とりあえず最初から最後まで読み通し、後者については、まずは芸術教育に関する論考に絞って読み進めていく。

先日にも四冊ほど書籍が届けられ、冬の時期に読む書籍が揃い始めていることは喜ばしい。

午後のこの時間帯まで、マキシン・グリーンの“Releasing the Imagination: Essays on Education, the Arts, and Social Change (2000)”を読み進めており、ちょうど半分まで読んだ。これまでのところ、グリーンの芸術教育に対する思想には刺激を得ることが多く、書籍にはすでにいくつもの書き込みを残した。

一つだけここで書き留めておくならば、芸術作品を鑑賞すること、あるいは芸術作品を創造することは、それなしでは体験できぬことを私たちに体験させてくれるという点において重要な価値を見出すことができる。

今日はサン=サーンスの曲を朝から聴いているが、この曲なしでは体験されえぬ知覚世界が存在していることに気づく。私たちは芸術を鑑賞することを通じて、あるいは芸術を生み出すことを通じて、どうやら異質の知覚世界に入っていくことが可能なようだ。

一つの芸術作品には、一つの固有のリアリティがある。それはその作品が存在しなければ存在しないものであるという点に、その作品の尊さと存在意義を感じる。

芸術を通じてしか開示されえぬ知覚世界の特徴についてはより深く知りたいという思いが湧き上がっている。これからしばらくは、知覚世界の拡張を実現させる芸術の特性について考えを深めていこうと思う。

そうした探究には、哲学の領域で言えば認識論、心理学の領域で言えばトランスパーソナル心理学の枠組みが必要になってくるだろう。フローニンゲン:2018/11/21(水)15:54

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

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