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3401. 高さと内装が異なる建造物としての発達段階


つい先ほど昼食を取り終え、これから午後の活動に入ろうと思う。今日のフローニンゲンの天気は申し分なく、雲一つない青空が広がっている。

昨日の日記に書き留めていたように、今日の夕方の空の輝きが今から楽しみだ。少しばかり雲があった方が、夕暮れ時の空の表情は豊かなのだが、そうも贅沢なことを言っていられない。雲がない今日の空を純粋に喜ぼうと思う。

穏やかな早朝の光がフローニンゲンの街に降り注いでいる頃、朝日の肌はとても柔らかく、そして輝いているように感じた。早朝の穏やかな雰囲気の中、作曲実践と読書を行っていた。

読書に関しては、計画通りに、ジェームズ・マーク・ボールドウィンの全集の二巻の再読を終えた。二冊合わせて1000ページを超えるほどの分量があったため、隅から隅まで読んだのではなく、自分の関心のある箇所を中心にして読んだ。

とはいえ、初読のときに、再読をしやすくするための工夫をしておらず、もう一度最初から最後まで簡単に目を通しながら、内容の区切りに印を入れていくということを行っていた。明日と明後日にも、二巻ずつ同様のことを行い、それらの全集を読み直しやすくするようにしていく。

今日はこれから、バッハの変奏曲に範を求めて作曲実践を行う。すでに活用したい調が決まっており、曲の途中で転調を挟むかもしれない。

バッハの曲を参考にした後は、再び読書を行う。その際には、早朝の日記で言及していた、発達心理学のテキストを読み進めていく。

少なくとも第八章を本日中に読み、その他の章は明日以降読んでもいいかもしれない。いずれにせよ、本書はここで一度丹念に再読をしていこうと思う。

午前中にボールドウィンの書籍を読んでいる時、またしても、発達段階という概念を否定する人たちのことを思い浮かべた。思い浮かべたのは、具体的な人ではもちろんなく、彼らの発想の枠組みである。

窓の外を眺めると、赤レンガの家々が立ち並んでいる。高さの異なる家々がそこにある。

仮に高さが同じであっても、それぞれの家の内装は異なる。それはまるで人間の発達のようだ。

発達段階を否定する人たちの考えは、建物の高さを否定していることに似ている。「発達段階など存在しない」という主張は、「建物には高さなど存在しない」という主張に似通っていることに気づく。

私たちの内面世界には、様々な建造物としての知性が存在しており、それらの高さは異なる。また、一つ一つの建造物の内装は当然異なる。

さらには、内面世界の建造物と外面世界の建造物の違いは、内面世界の建造物は、私たちの置かれている環境や従事するタスクによって変化するということだ。高さと内装の双方がダイナミックに変化する様子は、本当に驚かされる。

ここで重要なのは、私たちの内面世界の建造物は、決して高さがないわけではないのだ。むしろ、それが建造物として存在するためには、高さは不可欠の要素である。

そうした高さが、置かれた環境や取り組むタスクによってダイナミックに変化するというのが、複雑性科学の研究成果と研究手法を取り入れた近年の発達心理学の考え方である。

「発達段階など存在しない」という人たちの主張は、どこか神話的段階の発想のようにも見えなくはない。彼らの発想の枠組みについては、引き続き考えを巡らせていこうと思う。フローニンゲン:2018/11/15(木)13:22

No.1415: A Secret Key

I was imagining a new perceptual world, when I open a door with a secret key. Groningen, 09:28, Friday, 11/16/2018

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