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3298. 誕生日のお祝いと老いの美


時刻は午後の二時を迎えた。ちょうど今仮眠から目覚め、これから午後の取り組みに従事していく。

早朝は随分と冷えており、今もまだ寒さを感じる。ヒーターをつける時期がいよいよやってきたことを実感する。

昼食前に、書斎の窓の近くに一羽のスズメがやってきた。カサカサと音がするのでそっと近づいて見てみると、一羽の愛らしいスズメがいた。

気づけば今日は私の誕生日であり、スズメが祝いに来てくれたのかもしれないと思って少し気分が明るくなった。スズメ以外にも、フローニンゲン大学から誕生日を祝うメールが届き、そこには一遍の詩が添付されていた。

オランダ語の方ではなく、英語に翻訳された方を読みながら、フローニンゲン大学で過ごした二年間について回想していた。その詩の中で謳われていたように、大学で学んだことを仮に忘れてしまっても何ら問題はなく、大学で学んだことをは知識を超えて一つの尊い経験として自己の中で生き続けていくだろう。

これから何度大学と大学の外に行き来するのかわからないが、大学で得られる事柄は知識よりも重要な事柄があるにちがいない。それは自分自身の固有な経験に他ならず、そうした経験を積むことによって初めて、自己は深まりを見せていく。

そのようなことを考えていると、精神エネルギーの若々しさは、逆に自己の成熟を深めてくれるのではないかという考えが浮かんだ。私の周りにいる健康で精力的だと思う人たちは一様に、はつらつとしたエネルギーを持っている。

そうした人たちを見ていると、大学で学び直しているかどうかは問わず、絶えず新たなことを学んでいるという共通性に気づく。学ぶことはもしかすると、若い精神エネルギーを生み出してくれるのかもしれない。

一方で現代社会には、老いた精神エネルギーを持ち、自己が未成熟な人が多いのではないかという危惧もある。そうした人たちを観察してみると、どうも日々の生活の中で学ぶ喜びを感じられていないようだ。

絶えず学び、絶えず自己を深めようとすることの中に、何か若さの秘訣のようなものがあるように思えてくる。そして若々しいエネルギーを持ちながら自己を深めていくというのは、老いることの美であり、老いの特権であるように思える。

書斎の窓から見える街路樹は紅葉が進み、もう裸の木々もいくつかある。これから長く厳しい冬がやってくるが、自分の内側に流れているはつらつとしたエネルギーを携えて、自分にできる取り組みを日々進めていこうと思う。

絶え間ない探究活動と創造活動。今日の午後も喜びの感情の中でそれらの活動に従事していく。フローニンゲン:2018/10/21(日)14:21

No.1357: Energetic Shooting Stars

Energetic shooting starts are running and breaking the dark of night.

A bright light comes from the break of the darkness. Groningen, 20:58, Sunday, 10/28/2018

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