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3154. 一音成仏:芸術教育の歴史的変遷


午前中は雨が降ったり止んだりを繰り返していた。そのような中、雨雲が静かに何かを自分に語りかけているかのような感覚があった。

降りしきる雨を眺めながら、午前中のオンラインミーティングを終えると、そこからは空に晴れ間が戻ってきた。今は午後の三時を迎え、この時間帯の空はすっかり明るくなった。この季節の雨の後の晴れ間は、夏の頃のそれとはまた違った感覚を引き起こす。

空が晴れたら、小鳥たちがスキップを始めるかもしれない。これから夕方にかけて、小鳥たちのそうした姿を眺めることができたら幸いだ。

オンラインミーティングの前に一曲ほどモーツァルトに範を求めて作曲した。これから再びモーツァルトの変奏曲に範を求めて一曲作る。

今参考にしている曲は、とにかく音符の数が少なく、どこか無駄に音符が存在していない印象を与える。無駄が省かれ、一見すると簡素な音楽世界の中に、豊穣な音を鳴り響かせるモーツァルトの音楽の奥深さを改めて感じる。

「一音成仏」という言葉があるように、モーツァルトの音楽にはもしかすると、選び抜かれた最小限の音の中に全てを込める力が秘められているのかもしれない。「一粒の砂の中に宇宙を見る」という言葉と同様に、「一つの音の中に宇宙を見る」という境地をモーツァルトは開拓していたのかもしれないと思わされる。

そうしたモーツァルトにこれから範を求め、もしかしたら夜にもまたモーツァルトの曲を参考にするかもしれない。今の自分の内側には、モーツァルトの曲に触れていたいという情動のようなものが湧き上がっていることに気づいており、それに忠実に従うのが賢明かもしれない。

そうなると、今日の夜だけではなく、明日からしばらくはモーツァルトの曲を集中的に参考にするかもしれない。自分の内側のそうした感覚を大切にしよう。

今日はこれまでのところ、スティーブ・サイデル教授が執筆した短めの論文“Exploding Parameters and an Expanded Embrace: A Proposal for the Arts in Education in the Twenty-First Century (2013)”と、ホウマン・ハロウニィ博士の“Toward a Political Economy of Mathematics Education (2015)”と“Reframing the Discussion on Word Problems: A Political Economy (2015)”という論文を読んだ。

特に、ハロウニィ博士の論文を読みながら、彼が数学教育に関して採用している社会学的アプローチは、私が芸術教育の意義に関して論文を執筆するときに活用できると思った。とりわけ、ハロウニィ博士が、歴史的なアプローチを用いて過去の数学教育の異なる四つの種類を見出していることは大変興味深い。

この四つの分類はそれぞれ、当時の社会を取り巻く情勢によって生み出されたものであり、全く同じでなくても、芸術教育においても、時代の変遷により何かしらの分類が見出されるのではないかと思っている。

今のところ、ハロウニィ博士が採用したアプローチを用いて、芸術教育の歴史的変遷を辿った上で、そこから現代における芸術教育のあり方を提言していくような論文を執筆することができればと思う。フローニンゲン:2018/9/21(金)15:23

No.1321: On the Graceful Afternoon

The afternoon is graceful as usual.

I spend time in devoting myself to my academic and creative work.

In the midst of it, I’m wondering about the meaning of noticing myself who enjoys such a graceful time. Groningen, 15:36, Monday, 10/15/2018

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

過去の曲の楽譜と音源の保存先はこちらより(MuseScore)

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