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2722. 意識の階層とウェブの世界


つい先ほど昼食を摂り終えた。ロンドン旅行に向けて、普段は夕食に食べているカレーをここ数日間は昼も食べている。

一週間分作ったカレーを食べ切るためには昼と夜にカレーを食べる必要がある。カレーを一日に二回食べても全く飽きがこないところを見ると、この食べ物の奥深さを知る。

天気予報の通り、小雨が降り始めた。窓ガラスには滴り落ちることのない雨滴が付着している。それほどまでに雨脚は弱い。

昼食前にトイレに行った時に気付いたが、トイレのヒーターの電源が自動的に入っていた。今はそれくらい気温が下がっているという証拠だろう。事実、今も長袖を着て部屋の中で過ごしている。

ロンドンに出発する日だけ気温が上がるというのも何か不思議だが、それ以外の日は今週を通じてずっと気温が低くなる。

午前中に幾つかの断片的な事柄を考えていた。一つには、意識の発達階層は上にも下にも張り巡らされており、それらの階層によって見えるものが全く異なることから、インターネットの世界を想起した。

純粋に覚醒意識の発達階層を考えるのではなく、無意識の階層まで含めると、人間の意識には本当にディープウェブやダークウェブのような世界があることに気づく。覚醒中は表層的な世界しか認識することができないが、実は意識そのもの、そして意識が認識し得る世界の階層は無限に深い次元にまで続いていく。

また、高度に発達した意識だけがアクセスできる認識世界が広がっているということも、ウェブの世界に通じるものがあるように思う。実は常にダークウェブは私たちの身近に存在しているが、一般的に私たちはそこへアクセスすることができず、そこでなされているやり取りを知ることはできない。

高度に発達した意識には、さらには無意識にはこうしたダークウェブのような世界が広大に広がっている。そのようなことをぼんやりと考えていた。

もう一つは、シュタイナーの芸術教育思想に関する探究についてである。作曲実践とデッサンの実践に励めば励むほど、芸術教育についての関心が高まり、さらには以前からの関心である意識の形而上学への関心と相まって、シュタイナーの芸術教育思想に強く関心を持っている。

芸術教育に関する哲学を論じている哲学者や学者は数多くいるが、彼らがなす議論の多くはありふれた次元にとどまっているように思えるため、あまり面白さを感じない。芸術にはどうしても言葉で語りうる限界の世界、いや言葉を超えていく神秘主義的世界が密接に関わっており、そうしたところにまで踏み込んで思索を展開したシュタイナーの思想にはいつも大きな感銘を受ける。

シュタイナーの芸術教育思想については、博士論文を執筆するに資するぐらいに、関心の幅と深さを広げていこうと思う。フローニンゲン:2018/6/18(月)13:05  

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