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2698. 「芸術と人間発達」の続き


印象派の絵画のような朝日を見た。今日は五時半過ぎに起床し、目覚めてすぐに寝室の窓から見えたのは印象派の絵画を彷彿とさせるような明々と輝く朝の太陽だった。

幾筋にも伸びた朝日の光を拝みながら私は寝室を後にした。今日は六時過ぎから一日の活動を開始させた。

今日もまた新たな一日が始まるのだという実感。静かな決意にも似た気持ちを持ちながら今日もまた新たな一日が始まろうとしている。

昨日までとは異なり、早朝の空は晴れている。少しばかり薄い雲が所々に浮かんでいるが、晴れの空であることに変わりはない。

昨日の天気は一目瞭然に曇りと判断できたのに対し、今日の空は一目瞭然に晴れだと判断できる。それぐらいに今朝は晴れている。

初夏の早朝の心地よい風が街路樹の葉をなびかせている。今日から一週間は肌寒い日が続く。

よくよく考えてみると、五月の半ばや六月に入ってから気温が上がる日があったが、フローニンゲンの夏はこのように肌寒いのが特徴だ。半袖を着て外出して全く問題ない日というのは、七月か八月の夏においてもそれほど多くない。

天気予報を確認すると、今日は午後から小雨が降るようだ。正直なところ早朝のこのような天気からはそれが想像できない。

昨夜は少しばかり芸術教育について書き留めていたように思う。今日もこの主題に関する書籍を読んでいこうと思う。

今日読む予定の書籍は、とりわけ音楽教育と精神性に焦点を当てたものだ。この書籍を読みながら、音楽教育と人間発達について考察をし、その考察を芸術と人間発達というテーマにまで敷衍していく。

自分が明確にしなければならないのは、芸術教育の意義、そして現在の芸術教育の問題点である。どちらの点について考える際にも、自らの直接体験と知識が必要になるのは言うまでもない。

芸術教育の意義については、特に人間発達の点から考えていきたい。まずはそこを出発点にするのが最善だろう。

自分自身の関心がそこにあるということと、これまで自分が積み重ねてきた探究が人間発達にあるということを考えてみると、そこを出発点にするのが賢明だ。芸術作品の鑑賞体験、芸術活動そのもの、そして芸術教育が私たちの発達にどのような影響を及ぼしうるのか。また逆に、私たちの発達がそれらにどのような影響を及ぼしうるのか。

芸術は私たちの発達に何をもたらしてくれるのか。それとは逆に、私たちの発達は芸術に何をもたらしてくれるのか、という双方向の因果について考えていきたい。

芸術と人間発達のテーマに関する探究は始まったばかりであるため、とにかく自分が関心のあるトピックを絶えず書き留めておくのがいいだろう。トピックを列挙し、今この瞬間に考えられる範囲のことを書き留めておく。それが僅かな分量であっても一向に構わない。

書きながら考えるということ。その精神が大切であり、書かなければ考えは一向に深まっていかない。

書くことによってトピックが派生し、トピックそのものの深化を促す。書くことに並行して、芸術と人間発達について考えるための観点を獲得していく試みも忘れてはならない。これについては、芸術と人間発達に関する専門書や論文を読むことを通じて行っていく。

考えるための観点は、自らの体験や文献からもたらされる。体験から出発した観点は自らの思考と文献をくぐらせる。一方、文献から出発した観点は自らの思考と体験をくぐらせていく。

直接体験と書物から得られる知識、そして自分自身の思考という三つを相互に結びつけていく。結び目のどれか一つに偏ってはならない。

とにかくそれらの相互関係が重要であり、それらが相互作用をするように意識をする。今日の探究もそうした意識の中で行われていく。フローニンゲン:2018/6/14(木)06:36 

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