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2654. 空という象徴


今日は早朝の六時に起床し、六時半から一日の活動を始めた。目覚めと共に心身の状態が優れていることに気づいた。

いつものようにヨガを含めた身体運動を少し行った。ヨガの実践を起床直後に組み入れることによって、一日を開始させる心身の状態がより良好になったのみならず、その日一日の心身の状態にも少なからぬ影響を与えているように思う。

早朝にヨガを行うことは今後も継続させていき、どのアーサナをどのようにどれほど行うかについては色々と実験を重ねていきたい。身体運動を行ってからすぐに取り掛かったのは、内的感覚をデッサンすることであった。

先ほど描いたデッサンは三種類の青色を用いた川のような絵であった。書斎の机を前にした時、すぐに川のイメージが現れた。

色も青以外に選択する余地はなく、自分の手が青の色鉛筆に向かい、そこから川が描かれた。デッサンを描いている最中は無心の状態が続き、「絵画瞑想」のような実践をしていたことが後々になってわかる。ヨガの実践と同様に、デッサンもなくてはならない実践となった。

昨日就寝前に、アムステルダムのヴァン・ゴッホ美術館で購入したドキュメンタリーDVDを視聴した。ちょうどその中で、ゴッホが愛していたシンボルについての解説があった。それはヒマワリだった。

ゴッホがヒマワリをこよなく愛して頻繁にそれを描いていたことは多くの人が知っていることだろう。「自分はヒマワリを描く画家だ」とゴッホ自身も述べているほどに、ヒマワリが象徴するものにゴッホは惹かれていたのだろう。

そこからしばらくヒマワリに関する解説を聞いていると、「自分にとって大切なシンボルは何だろうか?」という問いが立った。直感的に生まれたのは、海か空だった。

それらは共に時間の経過と共に変化を見せる。人間が絶えず変化を経験しているのと同様に、海も空も常に千変万化する。

私はこの二つのシンボルに、どこか人間に近いものを感じる。自然に存在する数多くのものは時間の経過に応じて絶えず変化するが、海と空の表情の豊かさに対して私は特に惹かれているようだ。

ゴッホがヒマワリを何度も描いたように、海や空を題材にした曲を作りたいという思いが湧き上がってくる。今は残念ながら海が近くにないが、空ならある。空ならどこにだってあるのだ。

空の遍満性。この世界にあまねく存在している空。この世界を包むようにして存在している空。

空が持つ遍満性とある種の包容力のようなものに私は惹かれているのかもしれない。ここから少しずつ空を曲として表現するにはどうしたいいのかを考えていくことにしたい。

その空を見ているのは私であり、自分の思考や感覚の全てが空と一体になる形で表現されていく。そして、その空はこの世界の全てと繋がっている。

全ての国や地域に住む人は同一の空を見ているのだ。空は各人固有に知覚されていながらも、それは一なるものである。ここに多者と一者の合一を見出せないだろうか。

薄い雲で覆われた空を数羽の鳥たちが羽ばたいていった。その後、おびただしい数の渡り鳥が空に姿を現し、隊列を組んで飛行している。その姿はどこか回遊魚のようである。

空に描かれる絵画はいつも賑やかだ。変化に富み、それを見ていると飽きることを知らない。

空を通じて立ち現れる内外の変化を曲にしていくために、今日も鍛錬を積んでいきたいと思う。フローニンゲン:2018/6/5(火)07:02 

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