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2563. 技術と思想の修練


今日は見事な晴天であった。夕方の七時半を迎えた今も、西日が燦々と地上に降り注いでいる。

どうやら明日も同じような天気になるらしい。明日の朝から、今朝方書斎の本棚から引っ張り出してきたプラトン全集を読み始める。

今、机の右隅にその分厚い全集を置き、明日の朝からの素読を小さな楽しみにしている。1800ページの本書を一通り全て読み終えるのはいつ頃になるだろうか。

毎朝数十分ほど読むことを習慣にしていけば、気づかない間にそれが実現されているだろう。過去の日記の編集と同様に、本書をゆっくりと読み進めていく。

欧州生活も三年目を迎えようとしている今になって、ようやく自分の中にギリシャが入ってきた。もちろん、自分の中で共鳴するギリシャ的な何かを見出すことは大切であるが、自己の存在の中にギリシャを流し込むことによって、これまで気づかなかったものを浮かび上がらせることが自分に求められているのかもしれない。

あるいは、ギリシャを自分の内側に取り込むことによって、自らの新たな側面を自らで造形していくような要求を感じる。おそらく今回プラトン全集を読むことになったのは、何かの兆候であり、そしてまた何かの促しでもあるだろう。

ギリシャが少しずつ近づいてきた。当初の予定の通り、来年の春にギリシャに行けるかもしれない。

ギリシャへは行こうと思えばいつでも行ける。明日にでも飛行機に乗ってその地に行くことができる。

だが、重要なのはそこへ行く明確な必然性が自分の内側で芽生えることだ。明日からのプラトン全集の素読はその芽生えに向けた最良の準備なのだと思う。この準備が終わり次第、ギリシャに足を運びたいと思う。

そうした準備なしにギリシャに行っても何もならない。単なる観光のために世界を旅することなど随分と昔に止めている。

必然性のある場所に必然的に訪れること。それを大切にしたい。そうした旅だけが真に自己を深めてくれるのだと思う。

今朝起床直後、自分の言葉の感覚が麻痺しており、全く言葉が出てこないという状態にあった。午前中のある時間帯を境目に、そうした麻痺から回復し、今は自分の言葉の感覚を取り戻している。

友人のピアニストとの昨日の対話と小林秀雄全集を読み進めていたことが何か影響していたのかもしれない。昨日その友人からいくつも興味深い話を聞いたが、ピアノの演奏を20年以上続けているにもかかわらず、ここ最近技術的な飛躍を体験したそうだ。

それを聞いて、ピアノ演奏の技術的な成長というのは実に長大な時間をかけて成し遂げられていくものであり、技術的な成長に終わりはないのかもしれないと思わされた。一方で、おそらくは技術的なものをその個人の中で限りなく高度化していくと、いずれは思想的な成長がより重要なものとして立ち現れてくるだろうと思った。

友人の話を聞きながら、作曲に関しても全く同様だと気づく。とにかく私はまず作曲の技術を高めていかなければならない。

それには本当に数十年の時間を要するだろうし、そこから先には思想的な修練が待っている。とにかく技術を磨いていくこと。これを最優先課題としたい。

技術的なものと思想的なものを育んでいくことに本当に終わりはなさそうだ。とりわけ思想的なものは、技術的なものよりも遥か彼方の世界にまで伸びているように思えてならない。

夕日が少しずつ西の空に近づいている。明日は朝から論文の執筆に集中しようと思う。フローニンゲン:2018/5/14(月)19:55

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