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2535. 生きる意志・自由・創造の流れ


小鳥のさえずりが聞こえる夕方の五時。辺りは強い西日で照らされている。

昨日ふと、灰色の街に宿る小さな輝きについて思いを巡らせていた。そうした思いが現れたのは、ちょうどその時にワルシャワに滞在していた時の記憶を辿っていたからかもしれない。

ワルシャワの街が裏の顔として持つ侘しさが今もありありと蘇ってくる。今この瞬間に私がいる場所はこんなにも明るさを持っているのに、どうしてそのようなことを思い出したのだろうか。

もう少しワルシャワで感じたことを思い出していると、あの街のそこかしこに、小さな輝きを見出したことも確かであった。それは本当に小さな輝きであったが、確かにあの街に遍満していた。

その輝きはおそらく、人が生きることの中に宿る固有の性質から生み出されたものに違いない。そうした輝きは、生きる意志の表れとでも呼ぶべきものだろうか。

それは仮に明示的なものではなくとも、生きることに向かっていこうとする確かな力のように思えた。そして、今そうした生きる意志が、自分の内側に存在している何らかの形になろうとする力と密接に関係していることに気づかされたのである。

自分の中で激しく流れる形になろうとする力、そして形を生み出そうとする力は、生きる意志と密接に関係していたのだ。生きる意志と形を求め形になろうとする力が明確なものとして自分の内側で知覚される。

それに応じて、自由の意味が少しずつ見えてきた。私は少しずつ内なる自由を通じて生きられるようになってきているのではないか、そんなことを先ほど思った。

少しずつ自己への囚われから解放されつつあるのを確かに感じる。そうした自己解放をもたらしてくれているのは創造活動であることに気づく。

創造することは自由になることなのではないか、そんなことを思う。囚われから解放されようとする衝動と創造の衝動はどこか近しいものがあるように思えてくる。

デッサンを始めてから内側の流れが変わりつつあることに気づく。内的感覚を絵として表現することによって、内側の流れが以前に増してより滑らかになりつつあるのがわかる。

こうした感覚の変化が、言葉や曲の創造に繋がっている。内側の流れを淀みないものにしていくために、内側から形になるべきものが形になって溢れてくる。

人間の創造力の根源は本当に不思議な性質を持っている。それは無限の泉のような生成力を司っている。

言葉、音楽、絵として自分の内的感覚が少しずつ形になって溢れてきている。その表出方法と具体物はまだとても荒々しい。そうした荒々しさがいつか透明な流れに還っていくだろう。フローニンゲン:2018/5/8(火)17:10

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