top of page

2396. 固有の日々を生きて


毎朝の目覚めには必ず小鳥の鳴き声が聞こえて来るようになった。今日は昨日よりも数の多い小鳥たちが寝室の外の木に止まり、そこで美しい鳴き声を奏でていた。今もまだその声が聞こえて来る。

今日は五時半過ぎに起床し、六時から一日の活動を開始させた。一日一日が静かな流れの中で過ぎていく。過ぎていくのは時なのか、それとも自分の内側にある何かなのかはわからない。

そもそも時にしても、内側の何かにしても、「過ぎていく」ようなものではないのかもしれない。それを表現するための最適な言葉を探すために今日という一日があり、毎日があるのだと思う。

自分の内側の感覚を深め、その感覚に合致する言葉を見つけていくこと、ないしは生み出していくことを着実に続けていく。これは昨夜の就寝前にも考えていたことだ。

内的感覚と言葉に溝を作らず、両者の間に齟齬をきたすようなことを避ける必要がある。内的感覚も言葉も同時に深めていき、それらが絶えず手を結んでいる関係をこれから一段と作っていく必要があるだろう。

今日は「月曜日(Monday)」の次にある「火曜日(Tuesday)」という日らしい。それらの名前の妥当性についてはここで問うことをしない。

ただし、一日一日が連続性と差異の内包された尊い存在であることを考えてみたとき、日々を上記のような名辞で表現するのは少々乱暴のように思う。そのため、私は日々を違った名前で呼ぶことにする。

毎日はその日の自己が経験する固有の内的感覚や思考によって構成されている。そのため、日々の名称は全て、自分が日々を生きた固有の経験によって付されるものにしたい。

自己とそれを取り巻く存在によって作り出される毎日は固有の輝きを持っている。私は、その輝きを反映した名称を日々に付けていくことにした。

中欧旅行に出かけるまであと少しとなった。また、その前日に控えている「デジタルラーニングと学習環境」のコースの最終試験も近づいてきた。今日は午前中に、その試験に向けた学習を行う。

行うことは昨日と変わらず、これまで読み進めてきた文献のまとめを再度繰り返し読んでいくことである。午前中に全体を通して読み、夕方にもう一度全体を読み返す。

少なくとも二回は繰り返し読み返し、可能であれば夜にもう一度ざっと読み返す。こうした繰り返しによって知識が確実に定着していくだろう。

また、当該コースのグループワークとして執筆していた論文の最終レビューを午後に行う。数日前に、この課題を一緒に取り組んでいるハーメンが大変素晴らしい仕事をしてくれたので、あとは私がレビューをするだけとなった。今日の午後にレビューを行い、夕食前をめどにハーメンに最終稿を送っておきたいと思う。

今日は現在取り組んでいる研究に着手するのではなく、ある協働プロジェクトの案件を少し先に進める。中欧旅行の日までにこなしておきたいことはいくつかあるが、それらを全て完了させた上で中欧の地に降り立つことができると思う。今日も固有の一日が始まった。フローニンゲン:2018/4/10(火)06:28 

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

過去の曲の楽譜と音源の保存先はこちらより(MuseScore)

bottom of page