top of page

2319. AIと美学:電子メールの使用を控えることについて


今日はこれから「デジタルラーニングと学習環境」のグループ課題に集中して取り組む。昨日にインターンシップレポートを集中して書き上げたのと同様に、今日もこれから集中して文書を執筆していく。

昨日諸々の学術論文をダウンロードしている中で、AIに関する哲学的な考察をしている幾つかの論文に関心が向かった。AIの技術的な発展のみならず、今後はAIを活用する思想的な発展が実現されていく必要性をここで強調する必要はないかもしれない。だが、そうした思想的な深さが問われる日が今後必ずやってくるだろう。

それらの論文に目を通していると、倫理の観点や自由意志の観点など、古典的な主題からAIを哲学的に考察しているものが目立った。確かに美学というのは古典的な主題だが、美学的な観点からAIを考察している論文はないものだろうかとふと思った。

昨日の段階ではその点について調べておらず、また改めて論文を探してみる必要がある。同時に、そうしたテーマについて自分でも考察を深めていきたいと思った。

AIというのは今後の社会において不可欠のものとなっていくだろうが、そうした存在に対して自分なりに考えを深めていきたいと思っていたのである。その際に、すでに他の哲学者が行っている仕事に追従する形で考察を深めていくよりも、美学といった自分が最も関心を持つ領域から独自に考察を深めていく方が大切であると思うに至った。

考察の出発点は兎にも角にも自分の内側になければならない。特に、自分の内側の強い要求と促しに基づいたものでなければならない。

哲学的な探究を単なる知識の習得に留めていてはならない。それは哲学的な探究でもなんでもないだろう。

とにかく、自分を捉えてやまない関心事項を出発点にし、そこから思索を積み重ねていくようにする。グループ課題が落ち着く午後にはまた学術論文を読み、その中で自分の考えを少しずつ育んでいきたい。

AIと美学がどのように結びつくのか一切分からないが、それらが組み合わさる形で意味のある問題提起と考察が生まれてくることに期待する。

早朝の天気予報では、今日は晴れ間が顔を覗かせるはずだったのだが、一向にその気配がない。曇り空がフローニンゲンの上空を覆っている。だが、不思議とそうした天候の中に優しさを感じている自分がいる。

目の前の裸の街路樹に止まっているカラスもその優しさを感じているかのようだ。最後に書き留めておこうと思ったのは、日々の生活の中でメールを開くことは極力減らすべきだということである。

電子メールがいかに私たちの日々を慌ただしくしていることか。昨日は金曜日であり、この日はメールを一切開かないことにしてみた。すると、普段以上に自分の仕事に集中できることが手に取るように分かった。

これは新たな習慣にしていいだろう。確かに平日は協働プロジェクトや学内関係の事柄があるため、メールを開かないわけにはいかない。

だが、それがどれだけ自分の生命時間を奪い、不要な気がかりに自己を捉えることにつながっているかについては以前から考えていた。昨日試しにメールを開かないことによって、自分の時間が格段に確保されたことを実感したため、まずは金曜日と日曜日にはメールを開かないようにしたいと思う。

日本と欧州の時差を考えると、金曜日の段階でメールを受け、こちらから返信をしても、相手方に送られるのは日本時間の夜である。であれば、結局のところ金曜日に返信するのと日曜日に返信するのも大して差はない。

とはいえ、日曜日の夜にこちらから大量のメールを返信するのも煩わしいため、土曜日の夜に一度メールを確認し、そこでできる限りのメールに返信し、日曜日はまたメールを開かないようにしたい。

これを習慣にすることによって、日々がまた充実したものになるのではないかと思う。フローニンゲン:2018/3/24(土)10:01   

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

過去の曲の楽譜と音源の保存先はこちらより(MuseScore)

bottom of page