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2112. 批判と熱気


夕食を摂り終え、食器を洗っている最中、大学教授に対する痛切な批判を述べている自分がそこにいた。「なぜ大学教授はあそこまで不勉強なのだろうか?」という言葉が自然と漏れた。

大学教授全般に対して、おそらく自分の内側の何かを投影する形で、彼らの不勉強さを批判していた。多分それは自分の不勉強さを批判することから生まれたものなのだろうとすぐにわかった。

「そもそもある一つの領域に関する博士号を一つ取得した程度で、どうして自らの関心領域を深く探究していくことができるのだろうか?」という素朴な問いが自分の中で立っていた。

私はおそらく、この社会で真っ当とされる生き方を徹底的なまでにしたくないのだと思う。これはどこか幼稚すぎる考え方なのだろうか。

しかし、私は一人の人間が真に固有の存在であるならば、真に固有の生き方があってもいいのではないかと思う。博士号を取得して、大学教授へ。私はいつもその生き方に「なぜ?」と疑問を投げかける。

以前興味の延長線上で、この世界には博士号を最大でいくつ取得した人がいるのかを調べてみたことがある。すると、私は仰天した。

この世界には博士号を三つ取得している人がいて、その人がギネス記録として認定されていたのである。私が驚いたのは、当然博士号の数であり、三つという数の多さではなく、むしろ逆に、その少なさである。

「三つの博士号でギネス記録なのか・・・。人間は一体どこまで不勉強なのだろうか・・・」とその時に思ったのを今でも覚えている。私はまだ三つ目の修士号を取得している段階であり、博士号は一つも取得していないのだが、たった三つの博士号でギネス記録となることにかなり衝撃を受けた。

数日前に日記で書き留めていたように、学術機関に所属する中で体系的に学術探究を進めていくことと並行して、徹底的なまでに独学をしていくことの重要性について再度考えを巡らせていた。その片方であっては決してならない。

どちらも限界のある探究方法であるというのが、学術機関の中で探究を続けてきた自分と、学術機関の外で探究を進めてこざるをえなった自分の正直な気持ちである。

徹底的なまでに体系的な学びを進め、徹底的なまでに独学を行っていく。それを継続することに従事したい。

そうしたことへ邁進するためには、あえて大学教授の存在を自分の内側で批判対象としなければならないのだろう。「たった一つの博士号を持ってして、どのように他の領域へと越境し、どのようにして他の領域から自らの関心対象の研究を進めているのか?そしてどのようにして、幅と深度を持ってこの世界に関与しているのか?」という疑問が浮かんでくる。

食器を洗い終える頃、これから何年かかってもいいので、60歳を迎える頃までには科学の領域を中心にして、少なくとも三つの博士号を取得したいという気持ちが湧いてきた。人間発達、ネットワーク科学、システム科学がもっぱらの候補である。

自らの成熟度に応じて、そこからは哲学に関する博士号を取得したいという強い思いが湧いてきた。最後の食器を洗い終える頃、「とはいえ、五つぐらいの博士号で十分かもしれない。最後は予てから考えている高野山大学で密教哲学の博士号を取得したい」と独り言を述べていた。

外の気温の低さに呼応して、部屋の温度も下がっているはずなのだが、なんだか自分がとても熱気に包まれているように感じる。フローニンゲン:2018/3/2(金)20:13    

No.831: From the Icy World

It is becoming warmer and warmer in Groningen. In retrospect, I felt last week as if I were in the icy world. Groningen, 07:43, Tuesday, 3/6/2018

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