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2076. 無意識の発達運動について


今日は早朝から雨が降っている。起床してみると、窓ガラスに雨滴がぶつかる音が静かに聞こえてきた。

三日連続して、今朝の夢の内容もまた記憶の中に残っている。ただし、それは少しばかり断片的なものになりつつあるため、覚えている範囲で足早に書き留めておきたい。

夢の中で私は、ある教室のような部屋の中で、一人の小学生の男の子と話をしていた。その男の子はとても頭脳明晰であり、その口調などからあまり小学生のようには思えない。

一方で、礼儀もしっかりと身についているようであり、私はどこか大人と対話をしているような感覚を覚えていた。彼に将来のことについて尋ねてみると、今はまだ将来何をしながら生きていくかについては明確なものを持っていないようだった。

興味深かったのは、彼がおもむろにスマートフォンを取り出し、「この使い方に関してはわかっているのですが、この機器を通じて父から何らのタスクも与えられないのが残念です」と述べたことである。

話の流れを思い出すと、将来自分が何をやって生きていくかは、様々な仕事を経る中で見つけていくという考えが彼の中にあり、そうした仕事の一つを父から与えてもらいたいという彼なりの考え方があるようだった。

私は彼のその発言を聞いて、思わず笑顔になり、彼とその後も会話を続けていた。

夢の記憶がどんどんと断片化していく。おそらく私たちは、もともと非常に断片的な記憶を一つの総体として夢にまとめ上げていくのだと思うが、ひとたび夢を見ると、その総体が溶解していくかのように再び断片的なものになっていく姿を見ることができる。

つまり夢を取り巻いて、記憶の統合化と断片化が起こっているのである。もしかすると、「断片化」は「差異化」と言い換えることができるかもしれない。

もしそれが可能であれば、夢はひとつの発達現象として扱うことができる。差異化と統合化は発達の根幹原理であり、夢はもしかすると、そうした原理に則って発達運動を続けているものなのかもしれない。

もちろん、夢の内容に発達段階のような構造特性を見出すことは難しいし、むしろそれは不可能なことかもしれない。それほどまでに夢の世界で現れる現象は、段階特性としてはバラバラである。

もしかすると、私たちの顕在意識において発揮される発達段階の変動性は、こうした無意識の特性によるものかもしれない。つまり、無意識そのものは固有の段階特性を持たず、変幻自在にその姿を変えることができるのである。

あるいは、そうした変幻自在に姿を変えるものを生み出す場として存在しているのである。場そのものには発達段階はない。

だが、場そのものも統合化と差異化の運動を行っているがゆえに、夢の内容や性質が異なるのではないだろうか。すなわち、夢の文脈変化が起きる背景には、夢を生み出す無意識の統合化と差異化という運動があるからなのかもしれない、という考えが浮かぶ。

そうした動的な運動を行っているからこそ、夢の内容や性質は千変万化するのではないだろうか。相変わらず無意識や夢には謎が多く残っており、その謎を一つ一つ紐解いていく試みには思わずのめり込んでしまう要素が多分に含まれている。

まさに無意識や夢に包まれて生きているような感覚が引き起こされる。フローニンゲン:2018/1/31(水)07:29 

No.709: Precursor of a New Season

It has been rainy in Groningen in the last several days.

Although it will continue to be sunny from tomorrow, the temperature seems to be below zero.

I sometimes feel breeze in such days as a precursor of a new season. Groningen, 11:30, Friday, 2/2/2018

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