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1851. 絶え間ない創作行為と人生


師走が訪れてからの最初の土曜日。起床直後、書斎の窓の外を眺めると、外の景色がうっすらと白さを帯びていることに気づいた。

辺りの多くは闇が占めているのだが、地面を見ると、うっすらと白味を帯びていた。どうやら霜が降りたらしい。

そういえば昨日の天気予報では、雪が降るということを告げていた。地面の様子を見ると、大した雪ではなかったことがわかるが、もうそのような季節になったのだと知る。

それにしても、昨年の今頃の様子がどうに思い出せない。確かに寒かったことは記憶しているが、ひょっとするともっと寒かったのではないかと思う。昨年の11月にデン・ハーグを訪れた時、寒さがかなり厳しかったのを覚えている。

今年の11月はオッテローという小さな町に足を運び、二日間ほど自然の中で過ごす機会を得た。確かにオッテローも寒かったが、オランダ全体として昨年の方がもしかすると気温が低かったかもしれない。

そのようなことを考えていると決まって、今年の冬はこれからぐっと寒くなるようなことが起こるかもしれない。いつも私が何かを考え、それと反対のことを予期すると、大抵それが起こる。

例えば、ここ最近記憶に残る夢を見ないと述べた時には、大抵その夜に印象的な夢を見ることがある。それと同じようなことがオランダを取り巻く天気に対しても起こるかもしれない。 昨日は随分と作曲実践に時間を充てることができた。現在取り掛かっている研究の進展状況や日本企業との協働プロジェクトもうまく進んでいるため、日々の生活の中に作曲の学習や実践を行う時間が多く取れている。

このような日々を長く、最後の日まで続けていきたいと思う。上記の三つに加えて、日々絶えず日記を書き留めている。

学術研究、日本企業との協働プロジェクト、作曲、日記の四つを並べてみた時に、それらはどれも「創ること」という共通性で括ることができる。学術研究においては論文を執筆し、協働プロジェクトにおいては新たなサービスを開発し、作曲においては曲を作り、日記においては文章を作る。

それらはどれも創るという一つの共通する活動に貫かれている。やはり私は、創ることの中に喜びや充実感、さらには幸福感を見出し、創ることから逸れた生活を送ることはもはやできないのだと思う。

創ることが生活の一部になるのではなく、もはやそれは生活の全てになりつつある。オランダでの生活を通じて得られた最大のことは、日々が創作となり、生活の全てが創作と一致する感覚を得たことにあると言えるかもしれない。

この感覚をこれからもゆっくりと育み、その感覚が湧き上がる究極地点にまで創作行為を浸透させていきたい。そうすれば、創作行為はなされるものではなく、人生そのものに他ならなくなるだろう。

そして、創作行為は喜びや充実感をもたらすものではなく、それそのものとなる。そうすれば、最後の日まで行われる創作行為は、途切れることのない幸福感と完全に合一するだろう。2017/12/2(土)07:13

No.496: Life is without Error

“Life is without error,” which is what I found with a tea bag in the morning.

An error is a conceptual creation by us. It does not exist in reality.

Of course, it does in a conceptual sense, but it does not in a transcendental sense.

Aren’t we excessively apt to judge whether something in our life is correct or not?

Although we generate “correctness” and “incorrectness (error)” in our life, our life is beyond these concepts in the first place. 08:37, Friday, 12/8/2017

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

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