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1764. 異邦人から異星人になる日


今年の年末年始に日本に一時帰国しようと思う。その目的は実家でゆっくりと過ごすことと、実家に届いている40冊ほどの和書を持ち帰るためである。

寺田寅彦、永井荷風、川端康成、小林秀雄、福永武彦、吉田秀和の全集のそれぞれを何冊か購入し、それらをオランダに持ち帰る必要がある。

国外での生活において、無性に和書が読みたくなる瞬間が時折訪れるため、それらの和書は精神の肥やしであるばかりか、精神の癒しにもつながるであろう。

一時帰国するための航空券は、すでに夏の時期に購入している。日本に立ち寄る際にいつも利用している日本航空を今回も利用する。

先ほどメールを確認すると、日本航空から告知メールが届いていた。いつも私は日本に帰った時、携帯のWifiが路上で使えないことに不便を感じている。

とりわけ、GPS付きの地図を携帯で確認することができず、このようなご時世にあっても、あまり馴染みのない場所に出かける時は、最寄り駅までの電車の経路を事前にPDFにしておいたり、最寄り駅から目的地までの道のりを手書きでメモ用紙に書いたりすることがある。

先ほど、日本航空からの案内メールを見たとき、日本に帰った時に様々な場所でWifiを活用できるアプリを見つけた。その案内文に、「訪日外国人向け」という文言があり、それは自分の内側で特殊な感情を湧き上がらせるのに十分であった。

日本人でありながらも、訪日外国人向けのアプリをダウンロードしようとする自分を眺めていると、欧米で生活をしていても異邦人、母国に帰っても異邦人であるかのような、なんとも言えない感情がそこにあった。 日本を離れて生活をするのはまだ六年しか経っていないが、その期間において、異邦人という感覚をめぐる幾つかの変遷があったように思う。

全ての変遷過程を詳細に記載することは今は億劫であるため、単純に二つに分けると、まずは異邦人であることの「開放感」と「解放感」が初期の数年において自分の内側に存在していた。

開放感と解放感という二つの感覚についてもここでは詳しく取り上げない。とにかく、欧米での最初の数年間においてはそうした感覚があり、それは時と共に別種の感覚に変わっていった。

今もそうした感覚の残滓はあるが、それよりもむしろ、異邦人性への諦念が自分の内側の多くを占めているように思う。もちろん、完全に諦念の境地に至っているわけではなく、諦念の隙間から郷愁や哀愁といった感情が漏れてくる。

先ほどのアプリの文言を見たときに、「もしかすると自分は訪日外国人かもしれない」という考えさえ生まれ得るような状態に今の自分は置かれており、ここにはまだ中途半端な異邦人としての自分がいることに気づく。 数年前から頻繁に襲われる考えの一つに、「違う星に住みながら仕事と生活を送る日も遠くないのかもしれない」というものがある。そうなれば、私は異星人として扱われ、日本に帰る際には、「訪日異星人」と括られるのだろうか・・・。

異邦人性への諦念の先に異星人性に関する問題と向き合い、異星人性への諦念が自分の中で生じる日は来るのだろうか。「異星人」という概念すらも当たり前のものとなり、それに変わる概念が現れることを待ち望む。2017/11/10(金)21:15

No.409: Interdependent and Context-dependent Learning Since yesterday, I have provided managers and executives in a Japanese company with a two-day training program.

The focus of the program is adult development theory.

I finished the program at 9AM today. Thinking back to the program, participants’ comments and questions fostered my thoughts.

It always occurs in a training program, but I recognize how profound it is.

Learning occurs through the interaction with others in the real context.

Learning is interdependent and context-dependent. 12:19, Friday, 11/24/2017

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

過去の曲の楽譜と音源の保存先はこちらより(MuseScore)

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