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1649. 中学生の頃


気が付けば夜が訪れ、辺りは真っ暗闇に包まれていた。今日も昨日に引き続き、書きに書く一日だった。

具体的に何を書いていたかというと、「実証的教育学」で課せられている最終論文だった。一昨日に計画していたように、昨日と今日をかけて5,000字ほどのドラフトを完成させることができた。

昨日の書き始めの前に、全体の構成を練っており、それが間接的スキャフォールディングの役割を果たしてくれたことを差し引かなければならないが、本当に二日あれば、今後自分の専門領域に関する一つの論文のドラフトを完成させることができるという実感がある。

昨年書き上げた修士論文に関して、私は規定の分量一杯の10,000字ほどの論文を書いた。今後、自分の専門知識がより拡張され、専門領域における研究手法の技量が高まれば、10,000字ほどの論文であったとしても、それほど日数をかけることなくドラフトの第一稿を完成させることができるだろう。

もちろん、それは単なるドラフトであるから、そこから論文を寝かせ、さらに洗練させていく作業が必要となるのは言うまでもない。ただし、論文を執筆することに関する力は着実に身についていることを感じる。

先ほど夕食を摂りながら、ふと中学生時代にお世話になっていた英語の先生のことを思い出した。当時の自分は、どのような英作文を書いていたであろうか、ということを思い出していたのだ。

当時の自分の英作文を思い出してみると、大変微笑ましい。おそらく、中学一年時においては、一行ほどの英文しか書けなかったように思う。

そこから徐々に英語の力を付け、数行ほどの英作文をかけるようになっていった。今、オランダのフローニンゲン大学では、応用数学を活用した研究に従事しているが、中学生時代の私は抽象的な思考能力の発育が遅れており、数学はあまり好きではなかった。

小学生時代に引き続き、数学の文章問題の意味がよくわからないという時期を長く過ごした。奇妙なことに、数学的な思考能力がなくても、数学の試験や成績に関して困ることはなかった。

数学に比べて、英語は好きでもあり、得意でもあった。特に、英作文を書くことに関しては、今から振り返ってみても、特殊な嗜好性を持っていたように思う。

あの時からやはり、自分の内側から自分の言葉で文章を構築していくことの充実感を味わっていたのだと思う。その充実感は消えることなく、今の自分に確かに受け継がれている。

初めて100字の英作文をかけた時の思い出が、フローニンゲンの暗闇の中に輝いているように思えた。2017/10/14(土)19:50

No.294: My Lexical System I am used to academic writing in English, but I notice that I have still some difficulty in other writing genres.

For instance, it is often laborious to keep a dream diary in English. Interestingly enough, it is much easier for me to write academic papers in English than I do in Japanese, yet keeping a dream diary is opposite.

One plausible reason is that my lexical system of English academic language is more robust than that of Japanese. On the other hand, my English vocabulary networks in other genres might be thin.

That may be why I feel some difficulty in keeping a dream diary in English. I intend to cultivate my undeveloped lexical networks to describe my inner world in a more rigorous and meticulous way. 09:43, Sunday, 10/15/2017

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