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1584. 日本の成人教育を取り巻く状況


辺りは一向に優しい太陽光に照らされている。赤いレンガ造りの家々の前に植えられている木々が、静かな風によって小刻みに揺れている。

受動的に揺らされているようでいて、能動的に踊っているかのようだ。先ほど、日本を取り巻く成人教育について少しばかり考えを書き留めていた。

昼食前に実証的教育学に関する論文を読んでいると、先ほどの問題に再び思考が立ち返った。論文の中に一つ興味深い調査結果があった。それは一見すると何の変哲も無いものである。

経営コンサルティング会社のマッキンゼーのアムステルダム支社が数年前に行った調査結果が、その論文の中に引用されていた。マッキンゼーの調査結果によると、子供達の教育や学習の質は教師の質に大きく左右される、とのことだった。

さらには、しかるべき人間が教師となり、質の高い教育を施すための教育を教師が受ける必要があることも指摘していた。これらの調査結果は、一見するとどれも当たり前のように思えるかもしれないが、非常に重要なことを暗示しているように思える。

とりわけ、この発見事項を成人教育を取り巻く日本の状況に当てはめて考えてみると、私たちが考えなければならないことが明らかになってくるように思われる。端的には、子供たちのみならず、成人の教育や学習の質というのも、それを提供する側の質に大きく左右されるのではないか、という問題に行き当たる。

現代社会において、成人教育を提供している者たちの質はいかほどだろうか?ここで指している質というのは、考えやすくするために、発達心理学者のロバート・キーガンが提唱する人格的な発達段階や、カート・フィッシャーが提唱する能力に関する発達段階として捉えるといいだろう。

現在、我が国で成人教育を提供する者たちの人格的な発達段階や能力的な発達段階はいかほどだろうか?いかに優れた教育コンテンツがあったとしても、それを提供する側の者の質が伴っていなければ、成人教育の効果を上げることなどできないだろう。

そのようなことを考えてみると、確かに、現代社会には新たな質の高い成人教育が求められているが、現代社会は、そもそも成人教育を提供する者への成人教育を施さなければならないという二重の状況に直面していると言える。

日本の成人教育をどのようなものにしていき、それを提供する人間への成人教育をいかに行っていくかは、早急に取り組むべき大きな課題ではないだろうか。人間の発達が生誕から生涯にかけて行われるものであることを考えると、子供たちの教育が重要なのは誰の目にも明らかである。

子供たちの教育に関する問題は依然として山積みであるが、それらの問題に対して議論がなされている光景を目にすることはよくある。しかし、成人教育についてはどうだろうか。

こちらも問題は山積みのはずなのだが、それらの問題の本質に迫るような議論を見ることはほとんどないように思える。成人教育を取り巻くそうした状況を鑑みたとき、やはり自分が立つべき領域は成人教育なのかもしれないと改めて思う。2017/9/24(日)12:04

No.230: Human Connections I always think that I have fortune on human connections.

There are almost always a couple of persons who deeply supports me. Moreover, they always navigate me toward a new direction, and I meet a new person there.

I cannot but think about the nature of human connections. What are they exactly? They might be our existence itself. 07:16, Tuesday, 9/26/2017

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