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1572. 大空を自由に飛ぶ自由


いつもより多い睡眠時間を確保したためか、朝から気力がほとばしる。早朝の太陽光は、もう秋のそれを伝えている。

時刻は午前中なのだが、あえてその太陽光は「ほのかな黄昏色」と表現したい。来月は自分の誕生月であり、このような優しい雰囲気の中に自分は生まれたのだということを、感慨に浸りながら少しばかり思う。

誕生日を迎えるごとに、自分の年齢がわからなくなる。もちろん、今年の西暦から生まれた年を引けば、自分の年齢を算出することができる。

しかし、もはやこのように、自分の年齢を特定するのに一瞬ばかりの計算が必要になってしまった。昨日も、ある日本語の契約書にサインをする際に、今年が平成何年なのかを記載する箇所があったが、もはや平成何年なのかはわからなくなっている。

これも計算方法があるようだが、その計算方法も知らない。そのため、インターネットを使って調べると、どうやら今年は平成29年のようだ。平成29年なのだ。

念のため、計算方法を頭に入れておくと、どうやら西暦の下2桁に12を足せばいいようだ。なぜ西暦の2桁に12を足せばいいのかのメカニズムまで理解しておかないと単なる暗記に留まってしまうが、とりあえずその計算式を念のため頭に入れておくことにする。

自分の年齢も西暦も、一つの構成概念であるということを理解し、それらの構成概念が内包する不必要な力に飲まれないように今後も生きようと思う。 昨夜見た二つの夢のうち、先ほど前半の夢について書き留めていた。実は、もう一つの夢の方はさらに印象に残っている。

解釈は難しいのだが、夢の中の世界そのものがとても印象的だった。夢の中で私は、空を飛んでいた。

山道を走る国道の上を飛んでいたのである。空を飛ぶ高さと速さを自分でコントロールしながら、自由気ままに私は空を飛んでいた。

その整備された国道の山道には、頻繁に車が行き交っていた。私が空を飛ぶ高度を低くした時、山道の後ろから大きなトラックがやってくる姿が見えた。

このままの高度を維持していると、トラックにぶつかってしまいそうだったので、私は速く空を飛ぶのではなく、高度を上げて、引き続きゆっくりと空を飛ぶことにした。無事に、その大型のトラックが私の下を通りすぎた時、山道の後ろから友人の声が聞こえた。

その友人は、私が最も仲の良かった親友の一人だった。友人の姿は見えず、彼の声だけが聞こえる。 友人:「僕も空を飛びたいんだ」 :「簡単だよ。誰でも空を飛べるんだ」 人は誰でも空を飛べる。ただし、空を飛べるということを自覚し、そのための方法を身につける必要がある、ということを私は伝えようとしていた。

しかし、私が口を開き、その言葉を述べた瞬間に、私は友人をその場に置いて、一気にどこか別の世界に向かって飛んで行ってしまった。そこで見た景色は絵も言わぬほどに美しかった。

果てしなく広がる大きな海を眼下に、黄色く輝く雲ひとつない空の中を私は優雅に飛んでいた。おとぎの国が実在するのであれば、このような場所のことを言うのだろう。

私は海を越え、別の山にたどり着いた。それは先ほどの山とは大きさも雰囲気も異なり、スイスの夏の山のようであった。山肌に高い木はなく、背の低い草で覆われた山を見下ろしながら、山の頂上から下に向かって、私はゆっくりと滑降していた。

山から下りると、そこには小さな町が広がっていた。町に到着し、地面に降り立った時、再び後ろから声が聞こえた。

振り返ると、先ほどの友人だった。私は真っ先に、その友人に対して、先ほど置いて行ってしまったことを謝った。

友人は特にそれについて気にしている様子はなく、それよりも空を飛びたいという思いが強いようだった。空を飛ぶ方法を教えて欲しいと友人が強く嘆願してきたため、私はその方法を教えることにした。 :「例えば、10mのプールの底から水面に上がるために足をバタつかせるよね?」 友人:「うん」 :「それだけだよ」 友人:「それだけ?」 :「うん、それだけ。それができれば空も飛べる」 友人と私はそのようなやり取りをしていた。私の説明はとても不親切なように思えて、完全に的を得ていた。

空を飛ぶ方法に関して、実はそれ以外のコツなどない。水面下から水面に出るために足を動かすのと同じ要領で足を動かせば、空を簡単に飛ぶことができるのだ。

あまりにも簡単な方法だと知って友人は驚いていたが、そうした簡単な方法であるにもかかわらず、あまりにも多くの人が空を飛べないことを私は知っていた。 :「とはいえ、少し練習が必要だね」 友人:「うん、そう思う。ちょっと実際に飛ぶところを見せてくれない?」 先ほど、大型のトラックが後ろから追いかけてきた時は、緊急事態であり、急いで高度を上げる必要があったので、バタ足を用いて高度を上げたが、友人に手本を見せる時には、平泳ぎと同じ要領で足を動かして空に浮かんだ。

友人は、私の飛ぶ姿に感動しているようであり、今度は友人に実践をしてもらうように促した。しかし、友人はもう一度手本を見せて欲しいとお願いをしてきたので、向こう側に見えた10階建てのマンションを私は指差した。 :「じゃあ、あのマンションのあの部屋に向かって飛ぶね」 その言葉を残して、私はゆっくりと高度を上げ、そこからは一気に目的のマンションの部屋に向かった。部屋のベランダに到着してみると、その部屋はもぬけの殻だった。

すぐさま、友人が玄関からその部屋に入り、改めて驚嘆と感動の念を持って私に話しかけてきた。 友人:「すごいね!少しだけ空の飛び方がわかった気がする」 :「じゃあ、ちょっと実践をしてみよう。まずはそのベランダからちょっと飛び降りて、高度調節の仕方を掴もう」 友人:「えっ、ちょっと飛び降りるって、ここ10階だよ」 :「あぁ、そうだったね。だけど、切迫感がないと空を飛ぶことなんてできないよ」 私はそのように述べた。しかし、友人の言うように、いきなりマンションの10階から飛び降りるのも酷な話かもしれないと思い直し、一緒に階段で地上まで降りた。

そこで私は改めて、空に浮かぶ方法を彼に教えた。すると、友人は徐々にコツを掴み、しばらくすると見事に空を飛べるようになった。友人は大喜びの表情を見せており、私もとても嬉しかった。 空を飛べるようになった友人と私は、自由にこの世界を飛び回ることにした。もちろん、空を飛べるようになって間もない友人を時折気にかけながら、できるだけゆっくりとした速さで空を飛ぶことにした。

先ほど私が訪れた大海原と雲ひとつない黄金色に輝く空を友人に見せたくて、私はその場所に向かって飛ぶことにした。海岸から10kmほど沖合の空を飛行している最中、平穏な海の水面に何匹かの巨大なサメがいることがわかった。

友人が高度を下げ、興味本位でそれらのサメに近寄って行った。友人はまだ高度の上げ下げが上手くできないようであり、高度を上げるべきところで下げてしまう癖があることを私は知っていた。

そんな状態で水面を泳ぐサメに近づくのは危険だと思っていたが、そうした心配よりも先に、友人はもう水面付近にいた。背びれしか見えなかったがサメが、水面に潜り、サメの姿は見えなくなった。

友人が水面に迫った瞬間に、サメが突然姿を現し、大きな口を開け、友人を食べようとした。その瞬間に、私は友人の手を引っ張り上げ、彼を間一髪のところで救った。

そこで私は高度調節の方法をもう一度教え、彼は身の危険を持って多くのことを学んだようだった。また、今のところ、自分でも新幹線ほどの速さでしか飛べないことを友人に伝え、速度の限界についても教えた。

そこから私たちは、自分たちが見てみたい世界を自由に訪れ、最後は別々の世界に向かって飛び立つことにした。そこで夢から覚めた。 この夢も様々なことを暗示しているように思える。多くのことをここで書き留めることをしないが、人は誰でも自由に空を飛べるにもかかわらず、その事実に気付かず、空を飛ぶ方法を知らないということは、この現代社会に生きる私たちのある側面を如実に映し出しているのではないだろうか。

夢の中の友人のように、誰でも自由に空を飛びたいという思いがあるはずである。実際には、それを行える自由も私たちにはあるのだ。

だが、そうした自由はことごとく、この社会では隠蔽されてしまっている。もしかすると、私たちの頭上に広大な空が広がっていることすらにも気づけなくなってしまっているのかもしれない。

夢の中の友人が、空に気づき、空など飛ぶことができないという社会によって構成された自分の思い込みを乗り越え、実際に空を自由に飛べるようになった姿は、大きな感動を私にもたらした。

私たちは日々の生活の中で、いついかなる時も、頭上には広大な空が広がっていることを忘れてはいないだろか。

そして、私たちは大空を自由に飛べる自由を常に持っており、大空を自由に飛ぶ方法をいつでも獲得することができるのだ、ということを忘れてはいないだろか。2017/9/22(金)09:57

No.218: Ceaseless Diary I am ceaselessly keeping a diary everyday.

I am doing it whenever a diary encourages me to do so. I am curious about what the final product looks like after my continuous writings.

I have no goals, but there is only my lurid curiosity behind my personal writings.

Descartes used to live in the Netherlands, and he kept writing. Aromas Mori, a Japanese philosopher, kept a ceaseless diary in Paris.

Wherever I live, I will keep a diary, too. I envisage keeping a diary in the US after the two years in Groningen.

The destiny in my life would navigate me to where I should be. 10:15, Saturday, 9/23/2017

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