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1544. 黒い巨大な金魚と白い大蛇


今朝は早朝に、論文執筆について少しばかり考えていた。絶えず論文を創出していくためには、論文を書くという内的必然性を掴む必要があるが、そもそもそれを掴むための環境に自己を晒し、体系化された仕組みの中で実践を積んでいくことが重要だという気づきであった。

そして、そのような環境に身を置くための最後の準備期間が、この一年であるという意味付けを行っていた。その意味付けは決して誤りではない。

だが、もう少し付け加えるならば、この最後の準備期間において、作品としての論文を数多く執筆することはなくても、今後の論文の素材となりうるような文章を絶えず執筆していく必要性を感じている。

つまり、この準備期間において文章を書かないということは考えられず、絶えず文章を書き続けるのだ。文章を執筆するという修練をもっと徹底的かつ自覚的に自己に課していきたい。

論文の創出に向けた準備期間において何も文章を書かないのであれば、絶えず論文を書く日など一生やってこない。これは論文のみならず、小説や書籍の執筆など、他の文章表現活動にも当てはまることだろう。

とにかく、「習作」のような形で文章を絶え間なく書いていくことが何よりも重要だ。今私が従事している作曲においてもそれは言える。

本格的な曲を作曲するためには、数多くの習作を創出していくことが必要なのだ。その過程を経なければ、何も生み出すことなどできないだろう。

要諦は、断片的なものでも小さなものでも構わず、表現物を外側に形として残していくことだ。それをしない者に絶えず何かを創造することなどできはしない。創らない者に、創造主は力を貸さないのだ。

実際に創る者だけに、絶えず創造活動に営む権限が与えられるのだと思う。断片的なものであってもいい。今日も小さな表現物を外側に形として残していく。

午前中の仕事に取り掛かろうとした時、昨夜の夢の内容が思い出された。昨夜の夢も印象的であり、特に夢の中に現れたシンボルが特徴的であった。

夢の中で私は、イタリア半島のどこかの場所にいた。地中海の旅の最中、私はワニのような生き物を捕まえた。

どうやら私は、この生き物を捕まえようとしていたのではなく、他の生き物を捕まえるために地中海にいたようだった。地中海での滞在をもう少し楽しみたかったのだが、仕事の関係上、私は今住んでいる自分の国に戻らなければならなかった。

それは現実世界で私が今住んでいるオランダではなく、夢の世界の中でしか存在しえぬ国だった。地中海から自分の住んでいる国に戻るために、私は小さな空港で飛行機を待っていた。

その空港は海の上に浮かんでおり、空港の待合室からは横にも下にも海が見える。出発の時間が近づいた時、私の手元には、地中海で捕まえたワニのような生き物がいることに気づいた。

空港の係員が、この場所から飛行機で一時間ほどの場所にある小さな島にそのワニを持っていけば、今回の旅の旅費が全て還付されるということを述べた。今回の旅費はそれなりの金額であったから、その話を聞いた時、自分の住んでいる国に戻るのではなく、その島に立ち寄ろうかと考えた。

しかし、自分がなすべき仕事がその日の午後から入っていたため、私はその島に行くことを諦めた。諦めたはずだったのだが、なぜか私はその島に向かうための列車の中にいた。

飛行機ではなく、空の上を走る列車の中に私はいたのだ。その列車からは地中海を見下ろすことができ、列車の足元がガラス張りになっていて、しかも望遠機能が付いていた。

私は、地中海の青さに改めて息を飲んだ。望遠機能を用いて海を覗いてみると、その透き通るような海に自分が飲まれていくような感覚があった。

しばらくすると、眼下に地中海とつながる大きな河が見えた。その河の水も透き通っており、河の下に何があるのかがはっきり見える。

すると突然、その河を北から南に下っていく、黒い巨大な金魚を見つけた。その大きさは、大型タンカーと同じぐらいであり、私は面食らいながらも、その巨大な黒い金魚の泳ぐ姿に視線が釘付けとなった。

巨大な金魚が通り過ぎてからほとんど時間が経たないうちに、今度は、さらに驚くべき生物がこの河を北から南に下って行った。私の目に飛び込んできたのは、この世のものとは思えないほどに巨大な白い蛇だった。

その長さと太さは常軌を逸していたが、蛇の白さはとても美しく、青々と輝くこの河に映えるような美しさだった。

黒い巨大な金魚と白い大蛇。それらが象徴するものと、それらが澄んだ河を北から南に下って行ったことにはどのような意味があるのだろうか。2017/9/14(木) No.190: Like a Spinning Top and Like the Ground My coffee maker told me that today’s coffee was ready. I am just relaxing, drinking coffee.

Today’s work will gradually proceed with full of relaxation. I notice that I, who continuously engage in some activities, am like a spinning top.

On the other hand, I, who witness such an aspect of myself, am like a pivot of the spinning top or even like a ground supporting the spinning top.

Whenever I engage in some activities today, I want to notice that my essence is not the spinning top but the ground of it. Sunday, 9/17/2017

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