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1303. 内と外をつなぐ書斎の窓


昼食前に、少しばかり文章を書き留めておきたいと思った。当初の天気予報とは異なり、まだ雨が降らず、空には雨雲させ見えない。

先ほど、この開放的な窓から見える景色を眺めながら、これから世界のどこで生活をすることになったとしても、開放的な窓を持つ書斎のある家に住もうとつくづく思った。それは単に仕事を進めるためだけではなく、自己が安らぎ、自分がこの世界に真に存在していることを自覚しながら毎日の生活を送るために必要なのだ。

そして、書斎の机は必ず、開放的な窓に面して配置することも大事である。常に世界を見ながら自己について考え、常に自己を見ながら世界について考えることがどれほど重要なことなのかを知る。

書斎の机越しに見える開放的な窓は、自分にとって間違いなく内と外をつなぐ重要な存在である。 午前中は、複雑性科学と発達科学を架橋させる試みに従事している幾人かの研究者の論文が編集された専門書を読んでいた。それを読み進める中で、自分の日々の探究は科学を基軸に置きながらも、哲学的な探究もそこに取り入れなければ、均衡が失われると感じていた。

さらに言えば、科学的探究と哲学的探究だけでは、自己の存在を通じてこの世界で真に生きていくことは難しいと思った。そこで必要になるのは、やはり霊学的探究であった。

確かに私は、科学や哲学に関する専門書や論文を読む日々が続くと、時折、無性に霊学に関する専門書や論文を読みたくなる。それはまるで、魂の渇きを癒すかのような欲求であり、衝動である。

そうしたことに思いを巡らせてみると、やはり科学だけに偏った探究や哲学だけに偏った探究には、満たされぬ何かがあり、それは科学と哲学の双方の探究を同時に進めていたとしても同じである。

科学・哲学・霊学には、そこで開示されるものがそれぞれ異なることは言うまでもなく、そこで開示されるものが自分自身に与えるものも全く異なる性質を持っていることがわかる。科学的探究を通じて、自己と世界を外側から眺め、哲学的探究を通じて、自己と世界を内側から眺める。

霊学的探究は、眺める自己や世界それすらも超えた存在を眺めようとする道を切り開いていく。そのようなことを思う。

いずれにせよ、外側から眺めていては決してわからない内側の世界があり、内側から眺めていては決してわからない外側の世界があることは確かだろう。そして、眺めているだけではわからない世界というものがあることもまた確かだろう。

内側の世界と外側の世界をつなぐ書斎の窓は、そのようなことを私に語りかけているようだった。2017/7/14

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