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1156. 植物の根のように


私は自らに、後八年ほどの徹底的な修練期間を課そうと思う。その修練期間を終える頃までには、なんとか自分の仕事を世の中に形として少しずつ残せるようになりたいと願う。

その期間においては、周囲からの雑音に耳を傾けることなく、絶えず進むべき方向に向かって歩き続けなければならない。最近徐々に気づき始めているが、こうした姿勢は一生涯にわたって継続させていくべきものであるのと同時に、その性質は変化してしかるべきものだと思っている。

端的に言えば、今後は、今と全く同じような形で探究を進めていくことはできないということである。自らの内面的成熟過程に応じた探究の形が必ず存在しており、それは人生の外的な諸々の現象を通じて絶えず変化していくものである。

「成人発達とキャリアディベロップメント」というコースの中で、老年期のキャリアに差し掛かった時、多くの人は “generativity needs”を持つということを改めて学んだ。これは特に目新しい概念ではないが、それは、後進の育成への目覚めや次世代に何かを伝承していこうとする欲求である。

なぜだか、私はこの概念が気にかかっていた。私もいつかそうした欲求を持ちながら探究活動に営む日が来るのだと思う。

そうした予感が、現実味を帯びる形で私の内側に存在していた。まずはここからの八年間をいかように過ごすかが、自分に課せられた一つの大きなテーマであるように思えた。

私たちの腹は、括ろうと思って括れるようなものではない。私は、腹を括ってこれからの八年を歩んでいこうと思う前に、すでに腹が括られていたことを知った。これが腹を括るという真意なのだろう。 今日は昼食前に、ノーダープラントソン公園へランニングに出かけた。公園内に茂る青々とした木々や芝生の生命力に感化されるものがあった。

そうした木々や芝生を見ていると、私の内側にある生命力そのものが、地底から湧き上がってくるかのような感覚があった。植物を眺めるとき、不思議と自分との共通点を考えてしまう。

実際には、目の前の植物のようになりたいと思うことが度々ある。特に、誰の目にも触れぬところで、地底に根を張り巡らせ続けるその姿勢に最も大きな共感の念を持つ。私もそうありたい。

私にとって、日々の思考や感覚の一つ一つが自分の根に他ならず、それを人知れず育てていくことが何よりも大切だと思っている。その先に、一人の人間がたどり着く固有の思想体系のようなものが形作られていくように思えて仕方ない。

逆に言えば、日々の生活に根ざした思考や感覚を蔑ろにしていては、根のない脆弱な似非思想体系が姿を現わすことになってしまうだろう。とにかく、日々の生活を通じて、自分の内側に根を張り巡らせるような試みに絶えず従事したい。2017/6/10

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