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1034. 人間であろうとする生き方:「多から一へ、一から多へ」


人が人らしく生きることを喪失しつつある現代社会において、一人の人間が人間性を追求しながら、最後の最後まで人間であろうとするような生き方を自分は貫きたいのかもしれない、という考えが自分の内側から湧き上がった。

残念ながらこの社会において、愚直に人間性を追求し、人間性に沿った生き方を希求することは、非常に馬鹿げたことのように思われるのかもしれない。いや、それよりもむしろ、人間性を追求しながら人間として生きる道が存在するのだということが、そもそも現代社会において認識されていないのかもしれない。

私はそうした生き方が確かに存在するのだということを、自己の全てを課して証明したいのだと思う。私の全てを自分が善き生き方だと信じるそれに投げ入れるような覚悟が湧いてくる。

今の私はまだ、人が人らしく生きることの道の途上にある。道を歩く最中に、常にその道から私を遠ざけようとするような働きかけがあるのを知っている。

それらを全て払いのけながら、一人の人間が真に人間となり、最後の最後まで人間であろうとするような生き方を何としてでも完遂させたいのだ、という強烈な感情が自分の内側を駆け巡っていることに気づいた。 内側に意識を向けていた状態から少しばかりハッとしたように、書斎の中での現象に意識が向かった。気づけば、ベートーヴェンのピアノソナタ第17番『テンペスト』の第1楽章が流れ始めていた。

小さな熱気の粒子が私の内側に流れていく。この曲に込められた、決して消えることのない小さな灯火のようなベートーヴェンの熱気が、私の内側の世界のある一点へと収束していくかのようである。

その一点は、紛れもなく私の中心点なのだが、そこへ向かう熱気の線は無数だ。無数の線が中心点に向かう様子を観察していると、この世界の全てが内なる世界の中心点に向かっていくことに気づく。

そして、驚くべきことに、中心点に向かって伸びていたはずの無数の線を捉える視点が変化したのだ。ベクトル方向が私の内側の中心点に向かって進んでいたはずの無数の線が、実は逆に、中心点から外側に向かって進むことに気づいたのだ。

つまり、外側の世界の多は内側の一に流れ、内側の一は外側の世界の多に流れていくのだ。「あぁ、これが多から一へ、一から多へという根幹原理なのだ」ということを身を持って体験したような感覚に陥った。

『テンペスト』が第3楽章に入った。まさにこれだと思った。

第3楽章の出だしが持つあの小刻みに熱気を放つ流れ。熱気の渦が私の内側の中心点に無数の線を形成しながら向かっていく。

そして、その中心点から熱気が再び折り返され、再び無数の線を辿りながら外側の世界へと流れ出す。多から一へ、中心点を折り返し地点として、再び一から多へ・・・。

この循環過程は、人間の生きることの中に根幹的に潜んでいるのだ。人間性とは何たるかを追求し、最後の最後まで人間であろうとする試みを完遂させるためには、この循環過程が不可欠なのだと強く思う。2017/5/6

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