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914.【ウィーン訪問記】静寂さに宿る何か:アルベルティーナ美術館にて

April 18, 2017

——偉大な出来事は静寂さの中で起こる——ソーレン・キルケゴール

今、ウィーンからザルツブルグに向かう列車の中でこの日記を書き留めている。今朝の起床直後は雨が降っていたのだが、朝食を済ませたところで幸運にも雨が止んだ。

 

宿泊先のホテルのチェックアウトを済ませると、完全に雨が止んだ状態でアルベルティーナ美術館に向かうことができた。おそらく今回の訪問以降、ウィーンへはしばらく来ることはないであろうから、ウィーンの街に別れを告げる意味でも、この数日間で通ったことのない道を通りながら美術館に向かって行った。

 

厳かな建物やきらびやかな公園を眺めながら歩いていると、アルベルティーナ美術館に早くも到着した。この美術館に来た目的は、ピカソとモネの絵画を見たいと思ったことと、とりわけレオナルド・ダ・ヴィンチが残したスケッチを見ておきたいと思ったからである。

 

ピカソとモネの絵は、美術館の二階に所蔵されていた。私は、シュルレアリスムのような抽象画と印象派のような具象画という二つの極端な画風をとても好んでいる。

 

所蔵されているピカソの作品の中でも、『緑色の帽子をかぶった女』に対して、妙に引き込まれるものを感じていた。ピカソがこの作品の解説の中で言うように、私たちが世界をこのように眺めることは可能であり、その眺め方もまたリアルであると手に取るようにわかった。

 

日常の意識を通じた世界の眺め方だけがリアルだと思っては決してならない。それは世界を眺めるほんの一握りの方法でしかなく、実はその方法はリアリティの本質を往々にして掴めないのだ。

 

私はしばらく、ピカソがこの世界を見通していたのと同じ方法で世界を眺めるように努めていた。我に返ったところで、この作品に引き込まれるようなものを感じていた理由がわかったような気がした。

 

一つには、この作品が通常とは異なるリアリティの世界を指し示しているということである。二つ目として、この作品が非日常的なリアリティを示すのみならず、その世界を眺めるための方法を指示していることだった。

 

つまり、この絵画作品を通じて鑑賞者は、通常とは異なるリアリティの世界を目の当たりにするのみならず、非日常的リアリティを眺めるための新たな眼を獲得するような促しを得るのだ。おそらく所蔵されているその他のピカソの作品も素晴らしいものがあったのだろうが、最も印象に残っているのはこの作品を見たときの体験だった。

 

モネの作品とダ・ヴィンチのスケッチに関しても、私は食い入るように眺めていた。そこで得られた感覚というのは、静かに私の内側に流れ込んでいき、しばらくその場から離れることを禁じさせた。

 

ただし、そこでの感覚に対して、何らかの言葉を与えることは今の私にはできない。それらの作品の前で立ち止まらざるをえなかったことだけが、確かな事実として私の内側に刻み込まれている。

 

今回、ダ・ヴィンチにせよ、モネやピカソにせよ、そうした偉大な画家たちの作品に反応する自分がいただけではなく、美術館を訪れる醍醐味の一つである、これまで一切知らなかった画家に感化されるということを今回も経験した。

 

一人は、フランティセク・クプカという画家である。彼が残した二つの作品を見たとき、これらの作品には何か重要な意味が込められていると直感的に即座にわかった。

 

それは言葉よりも早くやってくる光のような直感だった。作品を一瞥した後、解説文に目を通してみると、自分がこれらの作品を重要だとみなした意味がわかった。

 

一つの作品は、「上昇」をテーマとし、聖なる建造物をシンボルとして用いながら、意識の上昇過程が描かれているとわかった。また、もう一方の作品は、密教的な発想に裏打ちされており、通常の眼には見えない偉大な創造の力を可視化していることがわかった。

 

クプカは幼少の頃から密教に強い関心を持っていらしく、その素養と才能が色濃くこれらの作品に表れていた。これらの作品は、アルベルティーナ美術館を訪れた私にとって忘れられないものとなった。

 

最後にもう一人、私に大きな影響をもたらした画家について言及しておきたい。その画家は、エドゥアルド・アンジェリー(Eduard Angeli)と言う。彼はウィーン生まれの画家であり、現在も画家としての活動を続けている。

 

彼の一連の作品が、エキシビションとして地下一階に大体的に取り上げられていた。最初にエキシビションの入り口に足を踏み入れた時、作品の良さが一瞬ではわからなかった。

 

だが、彼の作品を幾つか眺めているうちに、彼が表現しようとしている大きなテーマが次第に伝わってきた。端的に述べると、それは「静寂さの偉大さと尊さ」であると私は受け取った。

 

彼の作品は、間違いなく静寂さを描いていた。しかも、静寂さを静的に描くのではなく、全ての現象がそこで起こりうるような形で動的に描いていたのだ。

 

最初、彼の一連の作品を眺めながら妙に静寂さに浸る自分が不思議であった。だが、それこそが彼の作品が持つ力なのだと察知した。

 

彼の作品から、私が普段の生活の中で静寂さを何よりも大切にしている理由を教えてもらったような気がした。静寂さの中から全てが起こりうるのだ。

 

喧騒からは自分が大切にするものは決して生まれない。そのようなことを確信させてくれたのが彼の作品だった。静けさの中には何かが宿り、静けさを通じてその何かがこの世界に姿を表すのだ、と思わずにはいられなかった。

 

アルベルティーナ美術館での体験を思い返していると、ザルツブルグまで後一時間ほどとなった。いよいよモーツァルトが生誕した土地に降り立つことになる。2017/4/5

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