【フローニンゲンからの便り】17207-17215:2025年8月15日(木)
- yoheikatowwp
- 2025年8月17日
- 読了時間: 23分

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タイトル一覧
17207 | IELTS対策の順調な進展 |
17208 | 今朝方の夢 |
17209 | 今朝方の夢の振り返り |
17210 | パウリの排他原理と電磁的反発 |
17211 | 原子と色即是無自性 |
17212 | 量子重力理論について |
17213 | 量子重力理論に対する唯識の貢献 |
17214 | 興味深い超ひも理論 |
17215 | 非二元を科学で扱うための方向性 |
17207. IELTS対策の順調な進展
時刻は午前6時半を迎えた。今、ほのかに輝く朝空と爽やかな空気がとても心地良い。昨日は31度まで気温が上がったが、今の気温は17度と大変涼しい。そして今日の日中の最高気温は26度と限定的である。25度を超えると随分と暖かさを感じられるが、それは暑いと表現するようなものではない。夏日の命が昨日突然終わったかのように、明日からは一気に秋らしくなる。これから8月も中旬に差し掛かろうとしているタイミングだが、来週は最高気温が17度までしか上がらない日も数日ほど出てくるぐらいである。来週がそうした様子なので、再来週ももはや夏日は出て来ず、きっと秋らしさがより深まり始めるのではないかと思う。
2年ぶりのIELTSの受験に向けて試験の対策をし始めて10日ほどとなる。毎日コンスタントに対策をしてきたこともあり、まだ10日しか経っていないことに驚く。最初こそ問題を解く感覚を忘れていて、リスニングセクションやリーディングセクションでも練習問題を解いていて間違いが多発していたが、昨日頃からようやくそれぞれの問題に対するアプローチが馴染んできて、2年前の感覚を取り戻してきた感じがする。いや正確には、2年前の感覚を取り戻すだけではなく、かつてよりも感覚が研ぎ澄まされてきているのを実感する。この2年間においても基本的には英語漬けの生活を送ってきたことによって、英語に対する基礎体力は間違いなく2年前よりも今の方があり、その基礎体力の上にIELTSの問題を解くための解法技術が乗っかることによって、問題が徐々に速やかに解けるようになり、同時に正答率も向上しているのは嬉しい限りである。2年前はリスニングセクションで雪崩式に結構ミスが出たので、今年はそのようなことがないようにしたい。リスニングとリーディングではどちらも9.0を狙っていく心つもりでいる。今日からライティングセクションは、いよいよ配点率が高いパート2の訓練をし始める。パート1が与えられたデータに対する記述型だと表現すれば、パート2には自由に意見を述べる表現型だと言えるかもしれない。いくつか非常に参考になるイギリス人とアメリカ人のIELTS教師が作成したYoutube動画を視聴し、今日から実際に自分でも文章を書いていく。2年前と違うのは、スピーキングとライティングに関してChatGPTに添削してもらい、適切なフィードバックをもらえることである。回答に対するスコアを算出してくれるだけではなく、改善点をしっかり指摘し、網羅的なフィードバックを得られることは何よりであり、前回の試験で両者のセクションのスコアが頭打ちだったのは、フィードバックを一切もらうことなく我流で対策を続けていたことが影響しているように思う。9月半ばの本番までまだ時間は十分にあり、毎日焦らず着実に、そして楽しみながら対策をしていき、その過程の中で自らの英語力をさらにブラッシュアップし、自己発見をしていきたいと思う。フローニンゲン:2025/8/15(金)06:56
17208. 今朝方の夢
今朝方は夢の中で、見知らぬ同世代の若い女性が運転する小型の飛行機の中にいた。彼女も私もまだ20代前半のような年齢で、もう1人乗っていた女性もまた同じぐらいの年齢だった。それは4人の乗りの小型な飛行機で、1席だけ空席があった。突如機体に異常が生じ、近くの高校のグラウンドに不時着することになった。パイロットの女性は洗練された技術を持っていて、高度がどんどん下がってきて揺れる中、私たちに心配ないと笑顔で語りかけ続けていた。私たちは彼女を全面的に信頼し、彼女の腕に命を任せ、グラウンドの上で数回ほど旋回して、頃合いを見計らってグラウンドに着陸した。そこでも飛行機の旋回力のゆえか、グラウンドをぐるぐると何周も機体が回り、私たちは遠心力で体が片方にものすごく引っ張られていた。なんとかそれに耐えると、気づけば無事に私たちは地上にいた。不時着した機体から危険物が詰まった大きなカプセル型の物体がいくつか出てきて、パイロットの女性はそれらに決して触らないように呼びかけた。どういうわけかその高校のグラウンドには小川が流れていて、グラウンドの端は森のようになっていた。危険物はちょうど小川の付近に散らばり、突如として現れた謎の哺乳類の動物がそれを食べ始め、靴から奇妙な液体を吐き出し、それが川に流れていった。それを通じて川が汚染されてしまうことを心配したが、一見すると何もないようだったが、川には入らないようにしようと思った。気がつくと、高校の教室にいて、自主をしている自分がいた。教室にはちらほらと生徒たちがいて、彼らも自習をしていた。その中に知人の男性が3人ほどいて、そのうちの1人が京都大学で博士号を取得した後、所属先を一旦変えて再び京大に戻ろうとしていると自分に話してくれた。自分もこれから学術機関の所属先を変えようと思っていたところで、2人の話を聞いていたもう1人の知人の方が、彼に相談することなく自分たちが所属先を変えたり、学術研究を着実に前に進めていることを寂しく思っているようだった。もしかしたらその方の中に行く分嫉妬のような感情もあったのかもしれない。自分はこれからますます独立独歩で自らの研究を前に進めていこうという気概に満ちていて、ここから全く違う次元に入って探究を進めていくことができるだろうと希望に満ちていた。そんな中、今こうして高校にいることが不思議で、高校は速やかに中退しようと思った。大学の学位をすでに複数取得しているのに、なぜ高校にいて勉強しているのか理解ができなかったのである。まずは母に高校を中退する理由をしっかり説明し、母から理解を得ようと思った。ちゃんと説明すれば、母はきっと納得してくれるだろうと思ったところで夢の場面が変わった。
もう1つ覚えているのは、外国人の見知らぬ女性が運転する車に乗って、高速道路から降りて近くの土産屋が集まる市場に向かっていた場面である。運転をしてくれた女性はこれまた自分と同年代ぐらいで、20歳半ばぐらいの年齢だった。社内にはもう1人見知らぬ女性がいて、彼女も私たちと同年代で、最初の夢に出てきた人物構成と瓜二つだった。車はすぐさま土産市場に到着し、日本を代表するお菓子や食べ物の名産品が所狭しと並ぶ景観は圧巻であった。3人はみんなその光景に興奮し、早速車を降りて、自分がお勧めのよもぎ餅とお茶の専門店に向かうことにした。そこのよもぎ餅は天下一品で、そこのお茶もまた栄養豊富でとても美味なことで有名だった。お店に到着し、早速よもぎ餅とお茶を注文したところ、そのお茶は1杯でなんと100%の1Lのオレンジジュースを上回るビタミンCが含有されているとのことだった。注文したよもぎ餅を全員で頬張りながら、お茶を味わっていると多大な至福さを感じた。フローニンゲン:2025/8/15(金)07:17
17209. 今朝方の夢の振り返り
今朝方の夢の構造は、2つの独立した場面が、共通の人物構成と象徴的テーマによって暗黙に接続されている点で特異である。いずれの場面でも、自分は同年代の若い女性2人と共に「移動する乗り物」に乗っており、その乗り物の操縦者は自分ではなく、洗練された技術と安心感をもたらす存在として描かれている。この「他者による操縦」は、現実生活において自分が今まさに進もうとしている新たな道筋において、自らが完全に掌握しているわけではない進路、すなわち未知の領域へ導かれる経験を象徴していると解釈できるかもしれない。そして2つの夢を貫く3人構成は、自己の中にある3つの局面―主体的探究心、外界との協調的関係、そして観察・評価するもう1人の自己―の相互作用を示唆している。最初の飛行機の場面は、高度から地上への下降、不時着という危機、そして危険物の出現というプロットを持つ。この構造は、理論的・抽象的な高みにあった自己が、現実的かつ制約の多い地平へ降り立つ過程を表す。それは学術的探究の場から新たな所属先への移行や、自立的研究への舵取りという現実的決断と響き合う。危険物は、この移行に伴う潜在的リスクや過去から持ち越した課題を象徴し、それが水(感情や無意識)に漏れ出す場面は、個人的葛藤が心理的基盤に影響を与える可能性を暗示している。しかし、汚染が目に見える形で広がらないという描写は、それらの課題が制御可能であるという深層的安心感を表している。高校の教室への場面転換は、時間軸や文脈の飛躍によって、自己の学びの基盤や出発点を再訪する心理的プロセスを示す。既に高次の学位や経験を持つにもかかわらず、高校という初期段階の環境にいることの違和感は、自身の成長段階と周囲の認識との間のズレを象徴する。そしてそこで出会う知人たちの進路や感情は、競争心、孤独感、連帯感といった学術的コミュニティ内の感情的力学を反映している。この部分の核心は「独立独歩」という決意であり、それは飛行機の操縦を他者に委ねていた冒頭の構図から、自ら舵を取る主体への転換を意味する。2つ目の市場の場面は、危機や緊張感が解消された後の、感覚的充足と喜びに満ちた空間として描かれる。土産市場は文化的・感覚的資源の宝庫であり、よもぎ餅と栄養豊富なお茶は、知的探究の次元で得られる抽象的な成果とは異なる、生命力と滋養を直接的に与える象徴として機能する。ここでの女性たちは、危険を回避し生き延びた後に訪れる祝祭的な時空において、成果を分かち合う共同体の一員である。栄養価の高いお茶は、新たな環境や経験が精神的体力を養うことの暗喩であり、よもぎ餅は伝統と自己のアイデンティティを再確認する象徴と見なしうる。全体として、この夢は「危機を伴う下降」から「再出発の決意」、そして「感覚的祝祭」へと至る三部構造を持つ。飛行機の下降と不時着は現実的基盤への回帰、高校の場面は自己の基盤の再評価、市場の場面は新しい次元での豊かさの享受を象徴する。それらを結びつけるのは、同年代の女性たちという鏡像的存在であり、彼女たちは内面の多面的自己を外在化したものとして機能している。すなわち、この夢は、内的な危機と外的な移行期を経て、自己の多様な側面を統合し、新しい次元での豊穣を享受するまでの心理的旅路を寓話的に描いているのだと思う。フローニンゲン:2025/8/15(金)07:32
17210. パウリの排他原理と電磁的反発
つい先ほどまで朝のウォーキングを楽しんでいた。朝の陽光は秋のそれであり、夏のそれが持つ鋭さはなく、優しさに包まれていた。朝日の様子からも秋の入り口にすでに入っていることを実感する。
私たちが「物質は硬い」と感じるのは、原子そのものが堅固だからではない。原子の構造を拡大してみると、原子核はサッカーボールほどの大きさだとしても、その周囲を取り巻く電子は東京ドームほどの空間に点在しており、その間はほぼ真空である。すなわち、原子の99.999%以上は「何もない」空間である。それにもかかわらず、なぜ2つの原子はすり抜けて重なることができないのか。この理由の中心にあるのがパウリの排他原理と電磁的反発である。パウリの排他原理とは、量子力学の基本法則の1つであり、「同じ量子状態を2つの電子が同時に占有することはできない」というものである。電子はフェルミ粒子という種類に属し、この性質を有している。そのため、ある原子に属する電子と別の原子の電子が、全く同じエネルギー状態や空間領域に入り込むことは物理的に禁じられている。これを日常的な比喩で言えば、「劇場の指定席」に似ている。電子は指定席を持った観客のようなものであり、同じ座席を2人が同時に使うことは許されない。原子同士が近づきすぎると、電子は互いに「席がない」と押し返す形となり、その結果として原子同士は強い反発を受けるのである。さらに、電子は負の電荷を持ち、負と負はクーロン力(帯電した粒子同士がその電荷の符号に応じて引き合い、または反発し合う力)により反発する。原子が近づくと電子雲同士が互いに入り込もうとし、そこで電磁的な「壁」が生じる。この壁は柔らかく見えて実は極めて強く、2つの水風船を押し付けると表面がたわみながらも中の水が押し返すような感触に似ている。この2つの要因――量子力学的なパウリの排他原理と古典的な電磁反発――が組み合わさることで、私たちはテーブルを叩いても手が突き抜けず、椅子に座っても床に沈み込まないのである。別の比喩を用いれば、原子同士はまるで「縄張りを持つシャボン玉」のような存在である。シャボン玉は薄い膜でできており、中はほとんど空気だが、膜の表面張力があるため容易には重ならない。原子の場合、その膜の役割を果たしているのが電子雲であり、その内部で量子ルールが厳格に守られているのである。したがって、原子がスカスカであるにもかかわらずすり抜けないのは、物質の硬さが物理的な「詰まり」から生じているのではなく、むしろ見えない座席表と見えない電磁バリアによって守られているからである。私たちが日常で感じる「硬さ」とは、この量子力学的ルールと電磁気学的相互作用が織りなす結果なのである。そのようなことを学んだ。フローニンゲン:2025/8/15(金)09:58
17211. 原子と色即是無自性
時刻は間もなく午後2時を迎える。午後の太陽は、もはや夏のそれではなく、秋のそれである。朝だけではなく、午後もまた秋の雰囲気を感じさせている。気が付かなかったが、実際に木々の葉っぱが少し紅葉し始めているではないか。完全なる緑ではなく、黄色くなり始めている葉を見ると、もう秋の始まりの中にいることを感じさせる。昨日は真夏日であったが、今日からは涼しくなり、こうした涼しい環境にいると、やはり活動の生産性が自然と高まる。IELTSの対策も順調で、学術研究もそれと足並みを揃えて充実している。IELTSに関しては、もちろん4つのセクション全てにおいてまだまだ完成度を高めていかなければいけないが、10日ほどの継続的なトレーニングによって、それぞれのセクションの感覚を取り戻し、基礎的な筋力はついた感じである。ここからおよそ1ヶ月を通じて、IELTSの4つのセクションに関する筋力をできる限り大きく強靭なものにしていきたい。そうすれば今回は、オーバーオールスコアで8.5を取得できるのではないかと思う。
唯識思想(瑜伽行派)の立場から見れば、物質的世界は究極的には心識の現れであるとされる。阿頼耶識が種子を蔵し、それが縁によって現行し、色法としての経験世界を構成する。物質を構成すると私たちが思い込んでいる「原子」も、心識が種子を成熟させた結果として現れた相分であり、実体としての自性を持たない。現代物理学が示す「原子はほとんど空間である」という事実は、唯識の「色即是無自性」という立場と響き合う。すなわち、物質の硬さは、独立した物質実体があるからではなく、私たちの識が因果則に従ってそのように経験する構造を取っているからである。量子力学におけるパウリの排他原理や電磁的反発は、阿頼耶識が種子の熟した果として現行させる法則性の一形態にすぎず、それ自体が「識の秩序」の表現である。比喩を用いれば、夢の中で壁を叩けば硬さを感じるが、それは夢の世界に「硬さの粒子」が存在するからではない。夢を見ている心が、壁との接触を「硬さ」として経験する因果構造を持っているからである。唯識は、覚醒時の世界もまた同じく「心が生み出す夢」であるとする。ただし、この夢は共業によって多くの有情が共有しているため、物理法則や他者との整合性を保つ。したがって、原子がスカスカであるにもかかわらず互いにすり抜けられないという現象は、唯識的に言えば「種子に基づく共通経験の秩序」が現れているのである。パウリの排他原理や電磁的反発は、心が経験世界を構成する際に用いる「劇場の座席表」や「見えないバリア」のようなものであり、それがなければ共業世界の整合性は崩れる。最終的には、この硬さも原子も法則も、すべては心の変現にすぎず、真如無為という究極の実相においては区別も隔たりもない。硬さと空虚さ、存在と非存在の二分を超えて、すべては1つの心の顕れであるというのが、唯識の深い洞察である。フローニンゲン:2025/8/15(金)14:01
17212. 量子重力理論について
量子重力理論とは、量子論とアインシュタインの一般相対性理論を統合し、重力を量子力学的枠組みで記述しようとする試みである。量子論はミクロ世界の法則であり、原子や素粒子のふるまいを確率的に記述する。一方、一般相対性理論はマクロ世界、特に重力と時空の構造を幾何学的に描く理論であり、天体や宇宙全体の運動を説明する。両者はそれぞれ極めて成功してきたが、まるで異なる言語を話す2つの文明のようであり、その融合は一筋縄ではいかない。例えるなら、量子論は海の中の魚の動きを記述するための非常に精密な潜水艇のようなものであり、一般相対性理論は広大な空を飛ぶ飛行機のようなものである。潜水艇は水中では完璧に機能するが空では役立たず、飛行機は空では自在に飛べても水中に潜ることはできない。しかし、宇宙のごく一部――例えばブラックホールの中心やビッグバンの瞬間――では、「空でありながら同時に水中でもある」ような極限環境が現れる。そこで潜水艇と飛行機の両方の性能を併せ持つ「空飛ぶ潜水艇」を作らなければならない。それが量子重力理論という課題である。統合の難しさは、両理論の根本的な世界観の違いにある。量子論では時間と空間は固定された舞台装置であり、その上で粒子や波動関数が確率的に進化する。しかし一般相対性理論では、時間と空間そのものが動的で、物質やエネルギーによって曲がり、伸び縮みする。このため、量子論の数式をそのまま重力に適用すると、時空そのものが揺らぐという奇妙な事態が生じ、計算はしばしば無限大になって破綻する。さらに、量子論は「離散的なエネルギー準位」という粒立った世界を描くのに対し、相対性理論は連続的な時空を前提としている。この「粒状の砂」と「連続した水面」をどう1つの存在論で統一するかが、最大の哲学的・数学的障壁となっている。ブラックホールの事象の地平線やビッグバンの特異点は、この2つの性質が衝突する典型例であり、既存のどちらの理論でも完全には説明できない。こうした背景から、量子重力理論の候補として弦理論やループ量子重力理論などが提案されてきた。弦理論は、物質の最小単位を点ではなく一次元の弦とし、その振動モードとして重力子を含む全ての粒子を説明しようとする。一方、ループ量子重力は時空そのものを離散的な「量子化されたループ」のネットワークとしてモデル化し、連続性を前提とせずに一般相対性理論を量子化する。しかし、どちらのアプローチも決定的な実験的証拠は未だ得られていない。結局のところ、量子重力理論の探求は、宇宙の最も深い階層で成り立つ「究極の文法」を探す試みである。空を飛ぶ飛行機と海を潜る潜水艇の技術を融合し、極限の海空両用機を作るように、私たちはミクロとマクロ、離散と連続、確率と幾何を1つの調和した理論の中に収めねばならない。それが実現したとき、ブラックホールの奥や宇宙誕生の瞬間に潜む真実へと、初めて到達できるだろう。フローニンゲン:2025/8/15(金)15:37
17213. 量子重力理論に対する唯識の貢献
量子重力理論の実現に向けて唯識思想が貢献し得ることは何であろうか。唯識思想の最大の特徴は、物質的実体を基礎とせず、全ての現象を「識」すなわち心的作用の展開として捉える包括的な形而上学的枠組みを提供できる点にある。現代物理学において、一般相対性理論と量子力学を統合する試みは、時空そのものの量子化や背景独立性の確立、観測者と系の不可分性といった問題に直面している。唯識思想は、これらの難題に対し、時空や物質が究極的な基体ではなく、阿頼耶識を基盤とする心的構造の表象的展開にすぎないとみなすことで、統一的説明の可能性を開くのではないかと思う。唯識における「三性説」(遍計所執性・依他起性・円成実性)は、物理的現象の成立を階層的かつ依存的に理解する枠組みと対応する。遍計所執性は、物質や時空を独立実在と誤認する認識構造に対応し、依他起性は、観測・測定・相互作用といった関係性によってのみ現象が成立する量子論的世界像と響き合う。そして円成実性は、主客二元の虚構を超えた非二元的基盤としての「識そのもの」に相当し、これは量子重力における時空の前構造(pre-geometric structure)や量子情報的基体と接続しうる。また、唯識の「種子」の概念は、量子場や量子情報の潜在状態と類比的に捉えられる。阿頼耶識に蔵される種子は、因縁に応じて現行し、多様な経験世界を形成するが、これは量子重力理論が探求する「時空や粒子の基底的生成機構」を心的次元で説明するモデルとなり得る。とりわけ、ホログラフィック原理や量子エンタングルメントによって時空幾何が形成されるという現代理論は、唯識における「識の相互熏習による共時的世界形成」という思想と親和性が高い。さらに、観測者問題への貢献も顕著である。量子論では観測者の役割が根本的であるが、唯識思想はそもそも観測者と観測対象の区別を仮有とみなし、両者が同一の心的基盤から生起することを説く。これにより、観測行為の物理的記述に哲学的基礎を与え、時空と物質の生成を「識の自己展開」として統一的に理解する理論的土壌が形成される。総じて、唯識思想は量子重力理論に対し、物質と時空を心的現象とみなす背景独立的枠組み、現象の成立を依存関係として捉える階層的因果論、潜在構造としての種子論による生成モデル、主客非二元論による観測者問題の解消、という4つの観点から深い洞察を与えることができるだろう。これは、現代物理学が直面する数理的・概念的困難を、意識と現象の統合的理解によって超克するための重要な橋渡しとなる可能性を秘めているのではないかと思う。今度量子論関係の書籍を一括注文する際には、必ず量子重力理論関係の書籍も注文したい。フローニンゲン:2025/8/15(金)15:42
17214. 興味深い超ひも理論
超ひも理論とは、自然界のあらゆる素粒子や力を、一次元の微小な「ひも」の振動モードとして統一的に説明しようとする理論である。従来の素粒子物理学では、電子やクォークのような基本粒子は「点」として扱われ、その性質や相互作用は量子場の理論で記述されてきた。しかし、点は内部構造を持たないため、極端に高いエネルギー領域での相互作用を計算すると、無限大が現れ理論が破綻することがある。超ひも理論は、粒子を長さ10^-35メートル程度の一次元の「ひも」と見なし、その振動の仕方によって質量や電荷、スピンなどの性質が決まるとすることで、こうした数値の発散を回避しようとする。例えるなら、従来の素粒子論は世界を「点でできたビーズ」を糸に通して説明しているようなものである。各ビーズは種類ごとに固定された性質を持ち、それ以上の構造は考えられない。一方、超ひも理論では、そのビーズを「微小なギターの弦」に置き換える。弦は一本一本の形状は同じでも、どのように振動するかによって異なる音色を奏でるように、ひもの振動パターンによって電子や光子、重力子といった異なる粒子が生まれる。この比喩の重要な点は、粒子の多様性が“素材の違い”ではなく、“振動の仕方の違い”から生じるということである。超ひも理論が注目される理由の1つは、重力を自然に含み込む点にある。従来の量子場理論に重力を持ち込むと、前述の通り計算が破綻するが、ひもの振動モードの中には質量ゼロでスピン2を持つ粒子――これは一般相対性理論における重力の担い手である重力子と一致する――が必然的に含まれる。つまり、重力が副産物として現れるため、量子重力理論の有力候補と見なされているのである。しかし、この理論には奇抜とも言える要請がある。それは、私たちが日常的に知覚する3次元空間と1次元の時間に加えて、さらに6次元(あるいは7次元)の空間が存在するというものである。これらの余剰次元は、極めて小さく折り畳まれたカラビ・ヤウ多様体と呼ばれる幾何構造の中に隠れていると考えられる。例えて言えば、遠目には一本の糸のように見える電線も、実際にはその内部に銅線の束や絶縁層、さらには微細な構造を秘めているようなものである。日常的なスケールでは一次元の線にしか見えないが、極限的な拡大をすれば多次元的な内部空間が広がっているという発想である。さらに、超ひも理論は「5つの異なるバージョン」が存在することが知られていたが、1990年代半ばにそれらは実は「M理論」と呼ばれるより包括的な11次元理論の異なる側面にすぎないことが示唆された。この関係は、同じ山を異なる登山ルートから登っている登山者たちが、頂上で合流するようなものである。各理論は異なる数学的手法を用いながらも、最終的には同一の物理的実在を指し示している可能性がある。もっとも、超ひも理論は依然として実験的検証の困難さという大きな壁を抱えている。ひもの長さのスケールは10^-35メートルという極小であり、それを直接探るには現代の加速器技術を遥かに超えるエネルギーが必要である。そのため、現状では理論的整合性や数学的美しさが主な評価基準となっており、「物理学というより数学的形而上学に近い」と評されることもある。総じて、超ひも理論は、宇宙を一本一本の微小な弦の交響曲として描く壮大な試みである。もしこの理論が正しければ、私たちの存在そのものは、見えざる多次元空間で奏でられる弦の振動が織り成すハーモニーに他ならないことになる。先日の第37回のシロシビンセッションでは、まさにカラビ・ヤウ多様体を知覚するような体験があり、一人称的な直接体験からすると、超ひも理論は決して突飛な理論ではないように思えてくる。当該理論も探究テーマに掲げたい。フローニンゲン:2025/8/15(金)16:24
17215. 非二元を科学で扱うための方向性
非二元は科学の世界であれば量子論の中に対応する概念がありそうだが、どうだろうか。そして、非二元は科学で扱えるのだろうか。扱うとすれば、どのように扱って研究していけばいいだろうか。そのようなことを考えていた。非二元は、主体と客体、観察者と被観察者といった二分法を超え、経験や存在が分割不可能な全体として成り立っているという立場である。この概念は、科学の中では量子論のいくつかの特性と響き合う部分がある。特に量子力学における「観測問題」や「エンタングルメント(量子もつれ)」は、観察者と対象の境界が曖昧になる現象を示す。例えば二重スリット実験では、観測の有無が粒子の振る舞いそのものを変え、波と粒子という2つの様相が同一の基底現象の異なる現れであることが明らかになる。これは非二元の哲学的直感――現れの多様性が1つの不可分の実在に由来する――と近い。しかし、非二元をそのまま科学で扱うには困難がある。科学は原則として第三者的・再現可能な観測を前提にし、対象を明確に切り分けて測定する方法論を取る。一方、非二元は観察者と対象の区別そのものを解消するため、この区別を前提とした実験枠組みと構造的に相性が悪い。言い換えれば、科学は「関係の切り分け」によって知識を構築し、非二元は「切り分けの消失」によって真理を示すため、その統合は単なる概念対応ではなく、方法論の変革を必要とする。それでも、科学が非二元に接近する道は存在する。1つは、量子情報理論や量子基礎論の立場から、観測者と系の相互依存性を形式化する試みである。量子ベイズ主義(QBism)や関係的量子力学は、物理的事実を観測者との関係において定義し、絶対的実在を前提しない枠組みを提案している。これらは非二元の哲学を直接的に表現してはいないが、「観測者非独立な事実」という発想を捨てる点で接近している。もう1つは、主観的経験を一次データとして扱う科学、すなわち第一人称的アプローチの組み込みである。これは神経科学や意識研究の一部で行われているが、非二元的な瞑想体験や変性意識状態を精密に報告・記述し、それと脳活動や生理指標との相関を探る方法が考えられる。ここで重要なのは、経験を単なる副産物としてではなく、実在の構造を直接示す「現象的証拠」として扱うことである。また、複雑系科学やホログラフィー原理のような理論的枠組みも、部分と全体の相互包含性を記述するために応用できる。特にホログラフィー原理では、境界の情報が内部全体を記述するという非直感的構造が現れ、これは「部分が全体を含む」という非二元的メタファーと親和性がある。総じて、非二元を科学で扱うには、量子論的現象に基づく関係論的な実在モデル、第一人称的データと第三者的測定の統合、全体と部分の相互依存を数理的に表現する理論の発展、の3つの方向が鍵となる。科学が非二元を完全に「証明」することは難しいとしても、その現象的・理論的側面を体系的に記述することは可能であり、それは科学そのものの方法論を刷新する契機となるだろう。フローニンゲン:2025/8/15(金)17:02
Today’s Letter
I am standing at the entrance of autumn. The sun and breezes make me feel the season’s arrival. My continuous study and practice will bear fruit this autumn. Groningen, 08/15/2025

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