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【フローニンゲンからの便り】17216-17221:2025年8月16日(金)



⭐️心の成長について一緒に学び、心の成長の実現に向かって一緒に実践していくコミュニティ「オンライン加藤ゼミナール」も毎週土曜日に開講しております。


タイトル一覧

17216

ゼミナールの第145回のクラスに向けた予習

17217

今朝方の夢

17218

今朝方の夢の振り返り

17219

第145回のクラスに向けた3つの問い

17220

4つの身体的メタファーと成人の学習・実践

17221

「メモリースポーツ」と出会って

17216. ゼミナールの第145回のクラスに向けた予習 

   

時刻は午前6時半を迎えた。今日は少し空が曇っていて、朝日を拝むことはできない。その代わりに、雲があるおかげでとても涼しい。今の気温は17度で、今日の日中の最高気温は20度とのことなので、ここから気温はほとんど上がらない。8月はまだ半ばであるが、すでに秋の入り口に入った感覚があり、ここから10日間は少なくとも25度を超えることはなく、18度から24度の最高気温の範囲である。


今日は午後にゼミナールの第145回のクラスがある。それに向けて、受講生の方に事前に出題した難問について考えていた。ダイナミックスキル理論の構築過程は、「嗅覚で進む(following our noses)」「目を開く(opening our eyes)」「2本の足で歩く(moving our two legs)」「手を取り合う(holding each other’s hands)」という4つの身体的メタファーで説明される。これらはそれぞれ、科学的探究の姿勢や方法論的戦略を象徴しているが、これら4つを統合的に捉えたとき、どのような科学観・発達観が導かれると考えるか。また、その統合的理解を教育実践や学際的研究デザインにどのように応用できるか、具体例を交えて説明してもらうという問いである。4つの身体的メタファーは、それぞれ科学的探究の異なる側面を象徴している。「嗅覚で進む」は、既存理論の枠組みに囚われず、観察や経験に基づいて柔軟に進路を修正する探索的姿勢を示す。「目を開く」は、多様な領域・方法論・文化的文脈から新たな知見を取り入れ、理論枠組みに統合する開放性を表す。「2本の足で歩く」は、理論と方法の両立を不可欠とし、両者の相互補完によって研究の精度と深度を高めるという方法論的信念を示す。そして「手を取り合う」は、科学的知の創出を本質的に社会的構成過程と捉え、長期的かつ多層的な協働を通して理論を成熟させるという共同性を象徴している。これら4つを統合的に捉えるならば、ダイナミックスキル理論の背後には「科学とは固定的真理の発見ではなく、複数の主体が相互作用しながら動的に構築していく営みである」という発達観と科学観があると言える。この科学観は、発達を直線的段階ではなく、文脈依存的かつ非線形的なプロセスとして理解し、理論は常に開かれたシステムとして更新され続けるべきものであるという立場に立脚している。教育実践への応用としては、教師や学習者が固定的なカリキュラムに従うだけでなく、学習過程での偶発的発見や新しい方法を柔軟に取り入れられる環境を設計することが挙げられる。例えば、協働型プロジェクト学習では、学習者が互いの知識や技能を持ち寄り、試行錯誤を繰り返しながら課題解決を行うプロセスそのものを重視する設計が可能である。また、学際的研究デザインへの応用としては、心理学・神経科学・教育学・文化人類学など異なる分野の研究者が理論的ビジョンと方法論的ツールを持ち寄り、共同で動的モデルを構築することで、人間発達の複雑性を多角的に解明できる。このように、4つのメタファーの統合は、科学探究と教育実践の両面で、動的で協働的かつ適応的な知の創造プロセスを促進する枠組みを提供するものである。フローニンゲン:2025/8/16(土)06:50


17217. 今朝方の夢

                

今朝方は夢の中で自己の暴力性を発揮している場面があったのを覚えている。夢の中で私は、前職時代のオフィスにいた。どういうわけかオフィスには3人の人しか働いておらず、彼らはいずれも自分の上司や他の部署の先輩社員だった。自分の仕事を終え、帰宅の準備を始めると、3人が自分に聞こえるような形で自分の陰口を述べているのが聞こえた。それはあからさまに自分に聞こえるような声量であり、自分はそれを聞いてまずは心が痛んだ。彼らは自分を揶揄うような気持ちもあったのだろうが、それは度を越しており、自分の人格を傷つけるような内容のことを述べ始めた。それを聞いた時に、いてもたってもいられなくなり、彼らを1人1人成敗することにした。近くにいる人から順番に襲撃していくことにし、数発頭や顔、さらに腹などを殴打し、1人ずつ悶絶させていった。その頃にはオフィスに人が増えていて、自分が彼らを襲い始めるのを見て、何が起こっているのかすぐには事情を掴めないようで、彼らは立ちすくんでいた。自分の打撃を受けて、中には骨折をしてしまう人や命に危険が生じている人もいたかもしれないが、それに構うことはせず、彼らを成敗し終えた後は、非常に落ち着いた心で帰宅に向かい始めた。その時に頭の中では、彼らから後日法的に訴えられる可能性があるかもしれないと思ったが、自分の行為は名誉毀損に対する正当な行為であり、こちらの言い分が通りそうな気がしていた。いずれにせよ、自分が3人を殴っている間にやって来た自分の席の後ろにいる上司に声を掛け、「後のことはよろしくお願いします」と述べて、その瞬間に退職することにした。退職を即座に決意し、自分の心は晴々としていた。後日週末にでも自分の荷物を全て持って帰ればいいと思い、仕事に関しても近所の学習塾の講師として新しく仕事を始めようと思った。


次に覚えているのは、現在サッカー日本代表で活躍するある若い選手がまだ小学校6年生にも関わらず、日本代表に選ばれて活躍しており、同じ年代の子どもたちにサッカーの指導をしている姿を目撃している場面である。同年代の子供たちからその選手はヒーローとして扱われており、それも納得ができた。彼は同年代の子供よりも大人びており、知性も非常に高かった。ある6年生の男の子がドリブルの最中にボールが足から離れてしまう課題があると彼に伝えたところ、彼は地面に土俵ぐらいの円を描き、その円の中で自分のボールをキープしながら相手のボールを円の外に弾き出す遊びをすることを持ちかけた。その遊びを通じて、どのようにすればボールを足元から離さずにいられるかを教えようとしたのである。その練習が終わると、彼は1人フリーキックの練習を始め、その見事なキックに周りの子供たちは感嘆の声を漏らしていた。そこから場面が少し変わり、彼が中学校に上がるに際して、全寮制の学校に入学することになった。その学校の入試は、筆記試験だけではなく、筆記試験のスコアに応じて難易度が変わる動体視力の試験もあり、彼にとってみればどんな難易度の動体視力の試験も問題ないだろと思われた。事実彼は無事に入試に受かり、入学初日を迎えた。新入生徒に対して寮の設備を紹介することになったのは、かつて自分もその寮の一角で生活をしていたと述べる物理部の顧問の小柄な女性だった。その先生は物理の天才であり、そんな先生は物理部に1人で所属することになり、物理部の学生のためにあてがわれた部屋で生活することになったのだが、その部屋は1人ではあまりにも大きな部屋だったと笑いながら述べた。すると場面が瞬時に切り替わり、私はスリーピースのスーツのジャケットを脱いだ状態で見慣れない部屋の一室にいた。どうやらそこはホテル兼美術館のようで、今から美術館で種々の名作を鑑賞してこようと思った。ジャケットを羽織らないままで部屋を出たところ、やはりジャケットを羽織った方がいい気温だと思ったので、一旦部屋に帰った。そして再びまた部屋から出て行こうとすると、偶然にも美術館の鑑賞に出かけていた母が部屋に戻ってきた。どうやら母は水が飲みたかったらしく、水がある場所を伝えたことに加え、冷蔵庫にある和菓子のスイーツを食べることを勧めた。自分も後ほど帰ってきたらそれを食べることにし、今はとにかく美術館を楽しもうと思って部屋を後にした。フローニンゲン:2025/8/16(土)07:13


17218. 今朝方の夢の振り返り

                   

今朝方の夢は、旧来の自己像を守るための衝動的暴力から、境界設定と熟達、そして美と滋養による昇華へと至る通過儀礼の連作であるように思える。前職のオフィスに3人しかいないという歪んだ配置は、外的上司という顔をした内的裁定者の三重唱であり、成果・同調・序列という3つの規範が一斉に陰口という形で自我を刺す場面である。聞こえるように語られる嘲笑は、他者の声に擬態した内的自己批判の増幅であり、それに対して「成敗」という語を伴う殴打は、脆弱な尊厳を守るために超自我を力で沈黙させる試みである。骨折や致死の可能性に頓着しない冷静さは、怒りの爆発に並走する解離的平静であり、「名誉毀損への正当行為」という法的自己正当化は、父性的秩序の言葉を借りて暴力を意味づけし直す防衛である。「後のことはよろしく」という上司への一言と即時退職は、古い制度への象徴的な死と切断であり、新たに学習塾で教える決意は、攻撃の力動を教育の力動へ反転させる萌芽である。続く場面に現れる小学校6年生の日本代表は、未成熟な年齢に似合わぬ知性と技術を備えた内的英雄であり、破壊衝動の裏に潜む生の有能さの原像である。彼が土俵ほどの円を描き、円内で自球を保ちつつ相手のボールを外へ弾く遊びを処方することは、曼荼羅的な結界を用いた訓育であり、「自分のボールを足元から離さない」ことは感情とエネルギーを自他境界内に収める自制の稽古である。ここには、似たスキル間で注意を切り替え統合へ向かう「焦点の転換」の機制が露わであり、暴力的収奪としての接触は、技としての保持と間合いへと洗練される。フリーキックの独習は、衝動の直進力を儀式的反復へ沈殿させる技法であり、力が法へ、法が型へ、型が美へと相転移する道が示されている。全寮制への入学試験における動体視力は、固定物を殴る反射ではなく、変化を追尾し先回りする認知の成熟を測る通過儀礼である。合格後に現れる小柄な女性の物理教師は、ミニマルな身体に宇宙を収めるアニマ的知性の表象であり、「1人には大き過ぎる部屋」という回想は、法則を宿す者に開かれた広い空間=余白を示唆する。ここで力は法に、法は理解に結晶し、居住空間の過剰さは内的世界の拡張可能性として笑いに昇華される。終盤のホテル兼美術館は、移動体としての自己(ホテル)と過去の価値を選別・展示する自己(美術館)が重なるリミナル空間である。ジャケットを着るか否かを温度で測る場面は、場に応じてペルソナを適切に着脱する感受性の回復であり、先ほどの円環で学んだ境界感覚が装いの選択へと微分されている。そこへ水を求めて戻る母の登場は、生命の根源的滋養への回帰であり、和菓子を勧める所作は、伝統と甘美という文化的糖分を自他に配分する養生の台頭である。母に道を示し自らは美術館へ向かう配置は、依存の反転と、美を通じて自己を再編成する意思の宣言である。総体として、夢は「殴打」という粗粒度の自己防衛を、円環の稽古、試験、師、装い、美術鑑賞、水と菓子という微細な制度へと連結させ、攻撃性を境界と技と美学に転写するプロセスを描く。3人の上司を倒して去る者は、内なる少年の師として帰還し、物理のアニマと母の滋養のあいだで、力を失わずに形を変える方法を学びつつあるのである。ここに示された道は、名誉を守る暴の法化、法の技化、技の美化という三段変容であり、目覚めた朝の静けさは、その連鎖が現実の1日へと持ち込まれ得ることを告げている。フローニンゲン:2025/8/16(土)07:36


17219. 第145回のクラスに向けた3つの問い

            

朝のジョギングとウォーキングからつい今しがた帰ってきた。時刻は午前10時を迎えようとしているが、気温は18度と非常に限定的で、時折朝日が顔を覗かせながらも、風は完全に秋のそれだった。ジョギングから戻って来たので、今日のゼミナールの予習をし、そこからまたIELTSの対策を楽しみたい。


事前課題として受講生に提示した3つの問いのうち、問いの1つ目は、ダイナミックスキル理論の構築過程において用いられた「abduction(アブダクション)」という推論方法は、どのような意味を持ち、理論発展にどのように寄与したと考えるか、というものである。アブダクションとは、観察された事実から最も妥当と思われる仮説を生成する推論方法であり、C.S.パースが提唱したものである。演繹や帰納と異なり、未知の現象に対して探索的かつ創造的な仮説形成を可能にする点が特徴である。ダイナミックスキル理論の構築においては、初期段階から「どのように人間が多様な方法で変化するのか」という大まかな方向性を持ちながらも、その具体的な到達方法は固定せず、観察・相互作用・経験の蓄積に基づいて柔軟に修正を加えていった。この探究的姿勢こそが、理論を固定的枠組みに閉じ込めることなく、文脈に応じた概念や方法を生み出す原動力となったのである。問いの2つ目は、理論と方法の関係について、課題文献の該当箇所では「両足で歩く」という比喩が使われているが、この比喩はダイナミックスキル理論の発展をどのように表していると理解するか、というものである。「両足で歩く」という比喩は、理論と方法を車の両輪のように不可分な関係として用いるべきことを示している。多くの行動科学研究は理論偏重または方法偏重に傾く傾向を持つが、ダイナミックスキル理論の発展は、この二者を常に統合的に運用することによって実現した。例えば、スキルや発達範囲といった概念的枠組みの構築は、最適・機能レベル測定や動的モデリングなどの方法論的革新と不可分であった。理論と方法が相互に補完し合うことにより、複雑で変動的な人間発達をより精緻に記述・分析するための体系的な分析システムが形成されたのである。問いの3つ目は、カート・フィッシャーは理論構築の過程で「協働(collaboration)」の重要性を強調しているが、発達科学においてこの協働的アプローチはどのような利点をもたらすと考えるか、というものである。発達科学における協働的アプローチの利点は、多様な視点・専門性・経験を結集することにより、単独研究では到達困難な理論的深度と実証的精度を実現できる点にある。ダイナミックスキル理論の構築過程では、指導的学者、同僚研究者、大学院生など多層的な協働ネットワークが形成され、それぞれが異なる知見や方法論を持ち寄った。このような共同作業は、科学的発見を社会的構成過程として捉える視点を体現しており、理論の多面的発展、異文化的比較、方法論的革新を促進した。結果として、理論は個人の視野に制約されず、より包括的かつ実践的な枠組みへと成熟したのである。フローニンゲン:2025/8/16(土)09:59


17220. 4つの身体的メタファーと成人の学習・実践

  

フィッシャーらが提示した「嗅覚で進む(following our noses)」「目を開く(opening our eyes)」「2本の足で歩く(moving our two legs)」「手を取り合う(holding each other’s hands)」という4つの身体的メタファーは、単に理論構築の歴史を象徴する比喩にとどまらず、人間が生涯を通じて学習し発達していく際の普遍的な態度を示すものであると考えられる。これらは大人の日常的な学びや実践にもそのまま応用できるものであり、成人が自己の成長を止めることなく持続させるための哲学的・実践的指針となり得る。まず「嗅覚で進む」とは、具体的な方法や道筋が見えていない中でも、方向感覚を頼りに手探りで進み、観察や試行錯誤によって次第に進路を切り開く態度を意味する。これは、学びや実践の場において「まずやってみる」勇気と結びつく。例えば新しいスキルの習得を試みる際に、完全な計画や予測可能な成果を待つのではなく、小さな挑戦を繰り返しながら方向を修正していく姿勢がここに重なる。直感的探索と柔軟な軌道修正こそが、成人の学びを動的に支える出発点である。次に「目を開く」とは、自己の枠組みに閉じこもることなく、新しい観察や視点、他者からの洞察を積極的に取り入れる開放性を表している。これは日常において「この状況は自分に何を教えているのか」と問いかけ、予期しない出来事や異質な文化、他者の意見を学習の資源として受け止める態度に通じる。発達科学が単一の理論に依存してきた時代を超えて多様な学問領域を統合したように、成人もまた学びにおいて一面的な理解にとどまらず、多角的視野を開くことによって成長を豊かにすることができる。さらに「2本の足で歩く」とは、理論(思考)と方法(実践)の両輪をバランスよく動かすことを意味する。多くの行動科学の研究が理論偏重あるいは方法偏重に陥りがちであるのに対し、理論と方法を結びつけることで初めて有効な理解が得られるとフィッシャーらは指摘した。成人の学びにおいても同様に、読書や研修による知識習得と、現実場面での小規模な実践とを往復させることが重要である。理論的理解を行動に移し、その結果を振り返って理論を修正するという往還運動が、真に有効な成長のプロセスを形づくるのである。最後に「手を取り合う」とは、研究や学習が本質的に社会的な営みであることを示している。ダイナミックスキル理論の構築が多数の共同研究者や学生との協働によって進められたように、個人の発達もまた他者との関係性の中で促進される。成人の日常生活においても、学びを独力で完結させるのではなく、仲間や同僚との対話、協働的問題解決、共同作業を通じて成長を加速させることができる。他者との「協働的再構成(ensemble learning)」は、個人の枠を超えた発達の媒介となるのである。総じて言えば、これら4つの身体的メタファーは、成人の学びにおける基本姿勢として整理できる。すなわち、まず動き出す直感的勇気(嗅覚で進む)、新しい視点を受け入れる柔軟性(目を開く)、理論と実践を往還させる統合力(2本の足で歩く)、他者とともに成長を紡ぐ協働性(手を取り合う)である。これらを意識して日常に取り入れることは、成人が自己の成長を継続させ、学びを単なる知識の獲得にとどめず、実践的かつ共創的な発達のプロセスへと高めていくための基盤となる。言い換えれば、この4つの比喩は「発達を止めない大人の学びの姿勢」を象徴しているのである。フローニンゲン:2025/8/16(土)10:12


17221. 「メモリースポーツ」と出会って


ひょんなことから面白いスポーツに出会った。かつて「eスポーツ」はなかなか面白そうだなと思ったが、自分の学術研究と関連した形で「メモリースポーツ」というものとの邂逅があり、このスポーツをこれから楽しんで実践していきたいと思った。AIを含めて、人間が何かを記憶することの価値は減退する一方だが、メモリースポーツをするにあたって必要な記憶術の中核にある「イメージ力」に注目してみると、それは想像力と言い換えることができ、これはAIがどれだけ発達しようが、人間が想像力豊かに生きていく際に普遍かつ不変の価値を帯びた力だと思ったのである。実際に自分が唯識や量子論哲学などの学術分野を探求していても、良い論文や良い書籍を執筆するには単に知識があるだけではダメであり、読み手にとって面白いストーリーを作っていく力が求められる。研究の中で知識を獲得する時にもイメージを働かせることは非常に有効であり、それはインプットを加速させ、アウトプットの質にもつながってくる。自分はこれまで知らず知らずのうちにイメージを活用しながら難解な学術的専門用語が理論に触れていたのだと気づき、これをより意識的に、まさにカート・フィッシャーの理論で言うところの1つのスキル領域として捉え、記憶力もスキルとして捉えることを通じてその力を高めていきたいと思った。日本においてメモリースポーツはまだまだマイナーなスポーツのようであるが、世界の競技者人口は結構あり、今後年齢ごとに世界大会が開かれたりするようになると、ぜひ参加してみたい気になってくる。英語でメモリースポーツに従事することは英語の学習にもなり、メモリースポーツを通じた交友関係が生まれるかも知れず、それを楽しみに今日から少しずつではあるが、本格的にメモリースポーツの世界に従事していきたいと思う。とにかくいかなるスキルとも同じで、この領域もまた実践あるのみだが、無鉄砲に実践をしていても仕方なく、1つ1つの記憶術の方法の原理と理論を学び、それを日常生活の中で使ってみることを楽しんで行っていきたい。最終的には世界大会に出場できたらと思うが、大きな目標を立てて肩肘を張るのではなく、純粋に記憶すること、すなわちイメージを豊かにして毎日を生きることを楽しみ、結果的に記憶術の力を伸ばしていきたい。今日はメモリースポーツに出会えた記念するべき日である。フローニンゲン:2025/8/16(土)18:34


Today’s Letter

Today was a memorable day in my life. I came across “memory sports” by chance. I was captivated by this sport, and I decided to engage in it. In today’s AI-driven society, the value of memory ability might decrease, but the imaginative ability, which lies at the very foundation of memory, will not lose its worth. Groningen, 08/16/2025

 
 
 

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