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798. 能力の発達とエントロピー


先週から今週にかけて、そして来週はほぼ雨模様である。ただし、土日を目前にした今日の午前中だけは、非常に良い天気に恵まれた。

フローニゲンという街は、オランダのほぼ北端に位置しており、ここはもはや北欧と位置付けても問題はないだろう。実際に、ノルウェーなどの北欧諸国は目と鼻の先にある。

薄暗い天候が続く冬の日々を過ごしながら思うのは、こうした気候条件は、私の観想的な生活を支える上で不可欠なものになりつつあるということである。今文章を綴っているこの瞬間も、先ほどまでの晴天が嘘のように、薄い雲が空全体を覆っている。

つくづく取り巻く環境は、精神に強い影響を及ぼすということを考えながら、天気が恵まれていた午前中にランニングに出かけて正解だったと思う。自宅を出発し、ノーダープラントソン公園に到着するあたりから、自分の影と一体になるかのような観想的な意識を通じて、自分が走る足取りを一歩一歩前に進めていることに気づいた。

冬の穏やかな太陽光を浴びながら、そして、公園内に鳴り響く小鳥のさえずりを耳にしながら走るのは、実に爽快であった。ここでふと、午前中に目を通していた論文の内容を思い出した。

それは、認知的発達と非線形ダイナミクスの手法である「再帰定量化解析(recurrence quantification analysis)」に関する論文である。その論文の前半部分では、複雑性科学に馴染みのない論文の読者に向けて、「自己組織化」と呼ばれる概念が丁寧に説明されている。

自己組織化という概念は、私たちの能力の発達という文脈において、既存の能力構造から新たな能力構造が生まれる現象を説明するために不可欠なものである。認識論者であり、発達心理学に大きな貢献を果たしたジャン・ピアジェの著作を読めば読むほど、複雑性科学の発想をピアジェが持っていたことが見て取れる。

実際に、ピアジェの最大の関心事項は、発達段階モデルを創出することではなく、新たな段階が既存の段階からどのように生成されるのか、という点にあったと言っても過言ではない。ピアジェはこの問いに生涯にわたって取り組みながらも、残念ながらその問いに答えることなく生涯を閉じた。

しかし、現在の発達科学は、複雑性科学の恩恵を受け、徐々にピアジェが解決することのできなかった問いに対して説明ができるようになってきているのだ。 午前中に読んでいた論文では、自己組織化とエントロピー(システムにおける乱雑さの度合い)との関係性の観点から、認知的発達を説明している箇所が特に私の関心を引いた。簡単に述べると、認知能力にせよ、他の能力領域にせよ、ある能力が新たな段階構造を生み出すためには、自己組織化という現象が起こる必要がある。

そして、自己組織化とは、乱雑さから構造が生み出されることに他ならず、自己組織化が生み出されるためには、能力という一つのシステムの中に、ある程度の乱雑さが確保されておく必要があるのだ。

個人的に、これは体験的にとても納得のいく話だと思った。欧州で生活を始めて以降、人間発達に関する探究のギアを入れ替えることによって、毎日膨大な論文と専門書に目を通している。

そのような作業によって獲得された情報は、何もしなければ、非常に乱雑なまま意識空間の中に格納される。文献調査を通じて得られた気づきなどを絶えず文章の形にしていくことによって、乱雑な情報が徐々に秩序立ったものに変化していくのを日々実感している。

実際には、文書を書くという秩序化の作業よりも、情報を取り入れる作業の方が絶対量が多い。こうした状態を継続していくと、文書を書くという秩序化とはまた次元の異なる秩序化が、自分の内側で起こることを経験することがある。

それは、自分の知識の体系が自己組織化を経験し、新たな構造を生み出したことを示している。日々の生活の中で、取り入れる知識項目を整理するために、現在のようにそれほど多くの文章を書くことを自らに課していない場合、単純に今日のようなランニングを行うという体を動かすことなどが、情報のエントロピーを整理し、自分の知識体系を秩序化させることに貢献しているように思えて仕方ない。

実際に、ランニング後はいつも、自分の中で諸々のことが整理されているのを実感するのだ。頭を使うことに長けていない私にとって、身体を活用することはなくてはならないものである。2017/3/3

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