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791.「ある」という感覚のその先へ


今日は午前中に、日本を代表するある企業の中で、人財育成に携わっておられる方たちとオンラインミーティングをさせていただいた。一時間半ほどのミーティングだったのだが、その方たちの人財育成に関する思想や具体的な取り組みに対して、感銘を受けることや共感させていただくことが多々あり、非常に密度の濃いい時間だったように思う。

そこでの体験をそのように言葉で表現した途端、こうしたことこそが、私が最も慎まなければならないことなのだと痛切に感じさせられた。そこでの体験は、「感銘」「共感」「密度の濃いい時間」という言葉で表現できる以上のものだったはずなのだ。

そこでの体験をありふれた陳腐な言葉で形作ろうとする、その誤魔化しの誘惑から一刻も早く抜け出さなければならない。このような誤魔化しを続けている以上、私はその瞬間の体験を深く捉えることも不可能であれば、その瞬間に顔を覗かせる真相を垣間見ることも不可能だと思うのだ。

いずれにせよ、日本の企業社会の中に、人間発達の真髄や本質を捉えている方々がいるというのは、私にとって何よりの支えになる。そうした方々との対話は、いつも私にとって啓示的であり開示的だ。

啓発を受けた後に、自己がさらに開く感覚がするのである。人間として生きていく中で、人との関係性を通じて啓示と開示を実感するというのは、とても重要なことのように思える。そのようなことを改めて考えさせてくれるミーティングだった。 今日は朝から天候の変動が激しい。小雨が降っているかと思ったら、急に大雨に変わり、突如として晴れ間が見えるというような天候が続いている。

私は晴れ間が見えた瞬間に、家を出発し、ランニングに出かけた。しばらくランニングを続けていると、突然、みぞれ混じりの激しい雨が降り始めた。

小さな石粒のような雨を顔に受けたことは、生まれて初めてであった。その時、今日の一連の出来事は全て、人生の実相を提示しているものだと思ったのだ。

他者との対話、食事の摂取、歩くこと、考えること、変動の激しい天候・・・。それらの全ては、絶えず変化をし、儚く過ぎ去るものなのだが、紛れもなくそれらは共通の感覚を私の中に引き起こす。

それは、私の内側の世界と外側の世界が、その瞬間に確かに「ある」という感覚に近い。あるいは、未だ明確に掴めぬ、そうした「ある」ものに触れている感覚が紛れもなくするのだ。

欧州での生活を始めて以降、こうした「ある」ものとの接触の頻度が高まっている。この感覚に触れる体験はほんの始まりでしかなく、そこに自分なりの意味と言葉を見つけることを行わなければならない。

この感覚のその先に、人間として生きることの大切な何かがあるはずなのだ。2017/2/28

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