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746. 疑念を超えて


少しばかり前の話になるが、ある夢の中で、私を取り巻く人たちがオランダ語を話しており、私は二言三言オランダ語で応対をした後、幾分気まずそうに自分は英語を話していた。

夢の中に他の言語が混入してくるというのはよく聞く話であり、実際に、これまでの私の夢の中にも英語が混入してくることが時折あった。だが、オランダ語が混入してくる夢というのは、その時が初めてだったように思う。

相変わらず学習の進度は遅いが、それでも毎朝必ずオランダ語を少し学習することを継続している。こうした継続のおかげもあってか、夢の中にオランダ語が染み渡ってくるようになったのだろうか。

とはいえ、注目をしなければならないのは、オランダ語を話す人たちに囲まれ、彼らに対して英語を話している時に感じていたある種の引け目である。オランダでの生活を振り返ってみても、確かに学術生活においては、英語で全てが進行していくため、英語を使うことにためらうことはない。

しかし、日常生活の中では、やはりオランダ人が最初に口にする言葉はオランダ語なのだ。それを思うとき、私がこの国の文化をより深く理解するまでの道のりは依然として遠く、自分の根がこの国に依然として張られていないことに気づく。

これはおそらく、英語圏ではない場所で生活を営む多くの日本人が直面する課題なのだろう。言語や文化の問題というのは実に難しい。

言語や文化に関する問題に付随して、ここ数日間、学術論文を執筆するというテーマが私の関心を捉え続けている。これまでは査読付きの科学論文を執筆したことはなく、自分の論文が採用されるまでには乗り越えなければならないハードルが幾つかあることに気づいた。

書籍の出版社と同じように、論文のジャーナルも無数に存在しており、その格付けや特徴も様々である。また、ジャーナルに応じて、読者の特性も変化することに注意が必要である。

さらに、細かな点であるが重要なのは、受け入れられる論文のスタイルや文体というのもジャーナルごとに異なっている。これまで私は、論文を執筆してからジャーナルに投稿するものだと思い込んでいたが、どうやら手順が全く逆であることに気づいた。

上記で列挙したジャーナル固有の特性を考えると、論文を執筆してから特定のジャーナルに投稿するというのは賢明な手順だとは言いがたい。おそらく、そのような手順で執筆された論文が採択されることはほとんどないだろう。

それぐらいに、ジャーナルには色があり、要求されるものが異なるのだ。そのため、何はともあれ、自分の論文テーマがどのジャーナルに適したものなのかを調査することが最初に行うべきことなのだ。

これまで無数のジャーナルの論文を読んできた経験から、どのジャーナルが自分の論文内容に適したものなのかをおおよそ掴んでいる。しかし、ジャーナルの格付け等を含めて、細かな点についてはまだまだ調べる余地が多く残っているのも事実だ。

このあたりについては、私の論文アドバイザーである経験豊富なサスキア・クネン先生に一度相談したいと思う。昨夜、突如として、自分は科学論文を執筆し続けることが本当にできるのだろうか、という自分を疑う考えが一瞬よぎった。

こうした疑念を完全に払拭することが依然としてできていないが、書籍の出版と同様に、まずは一つの論文を世に出すことが何らかの突破口になるだろう。

実務家という側面のみならず、科学者という側面を自分の中に強固なものとして築いていくためには、多大な研鑽と献身が必要であると改めて自覚した。2017/2/15

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