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609. 書籍の執筆とオランダ語


今日は、午前中から昼食後にかけて、第二弾の書籍の執筆に取り組んでいた。今日取り掛かっていたのが、本書のチャプターとして最も難解な箇所であり、何をどれほどまでに説明し、何を説明しないのか、ということに注意を払っていた。

当初の予定通り、決められた分量を執筆することができた。このチャプターに関しては、今後何度も推敲を重ねていく必要があるだろう。前回の書籍の時もそうであったが、執筆内容について改めて文献調査をする必要がないことは、自分にとっても少なからぬ驚きである。

前回の書籍では、ロバート・キーガンの発達理論を中心的に扱ったが、その時にもいちいちキーガンの書籍や論文に立ち返る必要はなく、自分の中に格納されている知識に文章という形を与えさえすればよかったのだ。

今回の書籍では、カート・フィッシャーの発達理論を中心的に扱っているが、状況はほとんど同じである。こうした現象が起こるのは、やはり、これまでの数年間、実際の仕事でフィッシャーの理論を活用していたことが大きいだろう。

つまり、フィッシャーの理論が確かに自分の経験知になっているのを実感するのだ。今執筆中に起こっているのは、フィッシャーの理論に関する、これまでの自分の知識と経験を想起し、それらに文章という形を与えることである。

前回の書籍の執筆を通じて、キーガンの理論をさらに深く理解するきっかけになったのと同時に、キーガンの理論から離れることを促す儀式的な側面があった。今回も、フィッシャーの理論に対して、そのようなことが起こるかもしれない。

今回も五章立ての構成を取っており、前半の三章がフィッシャーのダイナミックスキル理論に関するものである。しかし、今回は前回以上に、自分の考えが色濃く出ている気がしている。

これはおそらく、単にフィッシャーの理論を紹介するような翻訳者になることを避け、マサチューセッツのレクティカでの業務経験など、これまでフィッシャーの理論を活用してきた経験をもとに、自分なりの知見を加えながら、フィッシャーのダイナミックスキル理論に迫っていきたいという思いがあるからだろう。

明日は、フローニンゲン大学の講義と研究の中間発表があるため、執筆を中断するが、明後日から再び執筆に取り掛かりたいと思う。少しずつ自分の内側のものが形になっていくのは、研究も書籍も全く同じである。

これらの仕事を通じて、また違う何かが自分の中で開かれていくことを期待している。

今日の午後は、哲学科に所属するキューバ人のシーサーと久しぶりに対話をするために、大学のカフェに向かった。そのカフェでいつも通りに注文を済ませ、コーヒーの受取場所で待機していると、後ろで待っていた女性から英語で声をかけられた。

「オランダに来てから何ヶ月なのか?」「なぜオランダ語が話せるのか?」という質問を受けた。確かに今日は、4回以上の会話のターンをオランダ語でこなしていたため、自分でも驚きだったのだが、その様子を後ろで待っているその女性は見ていたようだ。

聞くところによると、彼女はウクライナから来たとのことであった。オランダに到着した時期は、私と全く同じなのだが、どのようにオランダ語を学習したのかを、私にあれこれと質問をしてきたのだ。

オランダ語の学習について助言をできるほど立派なオランダ語力を身につけているわけではないのだが、語学センターのオランダ語コースを推薦しておいた。今朝も書籍の執筆前に、日課の一つであるオランダ語学習を数十分間こなしていた。

このように継続的な学習は、やはりじわじわと効果を発揮するようである。今回の件を励みに、オランダにいる間はオランダ語を学び続けたいと思う。2016/12/14

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