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603. 小学生の頃


夕方の五時となり、一服休憩を挟むと、一日に飲む最後のコップ一杯のコーヒーが半分になったことに気づいた。コーヒカップを片手に、書斎の窓から、真っ暗になった外の世界を眺めた。

二台の自転車がストリートを走り去るのを目撃した瞬間、小学校一年生の時の記憶がまざまざと蘇ってきた。その時に蘇ってきた記憶は、当時行っていた父との交換日記の思い出である。

おそらく当時の父は、毎日の仕事が非常に忙しく、忙しさを考慮して、交換日記を私との間接的なコミュニケーションの手段として選んだのだと思う。交換日記と言うよりも、厳密には、父が私の書いた日記を読み、コメントをするというものであった。

これはそれほど長い期間続いたわけではないのだが、その時のやり取りの印象がとても鮮明に記憶に焼き付いている。当時の私は、ピアジェの発達段階モデルで言うところの「具体的操作段階」の初期にいたと思われるため、日記で記述される内容は、非常に具体的な事物の描写だったように思う。

私の日記に対する父からのコメントは、自分が書いた文章を他者が理解しうるということ、言い換えると、自分が描写した具体的な世界を他者が共有しうるということに気づかせてくれる大きなきっかけの一つだったように思える。

また、今でも鮮明に覚えているのは、話し言葉を使っている父と書き言葉を使っている父が別人のように思えたことである。正確には、父という同一の人物の中に、話し言葉を通じただけではわからないような側面があることを、子供ながらに直感的に感じ取ったのである。

今その記憶を思い返してみると、もしかすると、父との書き言葉でのやり取りによる気づきが、現在の探究を導く原体験のようなものに思えて仕方ないのである。一人の人間の内側には、話し言葉だけではわからないより深い世界が広がっているのと同時に、書き言葉を超えたさらに深い世界が広がっている、という考え方の原初は、あの時の体験にあったのだと思う。 書き言葉を獲得して以降、私は小学校の六年間の間、ずっと日記を書き続けていた。確かに、これは私の学校で課せられていた宿題の一つだったのだが、それを宿題と感じたことは一度もなかった。

今でも一つ覚えていることがある。小学校二年生の頃、ある日、自分にとって大きな体験をし、その体験について、一ヶ月分の日記のページをその日の体験の記述で埋め尽くしたことは、強烈な記憶として自分の存在に刻印されている。

その時に筆を走らせていた私は、無我夢中で書くことと一体化していたのだが、自己から遊離している自分が、日記を書いている自分を眺めていたのを覚えている。

当時の私の発達段階を考えると、第三者的な視点から自己を捉えることなどできようもない。あれは一瞬の「フロー体験」もしくは「超越体験」だったのだと思う。

その体験の中で感じていたのは、自分が灼熱の炎になる快感であった。自分の身体の中で、昇天するような感覚が絶えず流れており、その感覚を通じて、無我夢中で文章を書き続けていたことは、非常に強烈な記憶である。

中学校に入ると、もはや日記を書く習慣など無くなってしまった。しかし、大人になった今、再び日記を書き始めたことの偶然性に驚かされている。

そして、小学生の時の自分が持っていた灼熱の炎が消失することなく、自分の中で生き続けていたことに対して、驚きを隠せない。それはまちがいなく、自己の本質に関わる特性と言えるだろう。

喪失したと思われていた自己の特性が、再び自分の内側で顕現することを実感する時、自己を深めることとは、つくづく自己に回帰することなのだと思わされる。2016/12/8

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