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596. 真冬の成層圏


今日は、昼食前にノーダープラントソン公園へランニングに行ってきた。先日書き留めておいた自分の日記に触発され、身体意識を整えるために、そしてそれを鍛錬するために、日頃の運動をより大切にしたいと思う。

自分の足で走ることによって、地に足をしっかりと着ける形で日々の生活を送れるような気がしている。大地をこの足で噛みしめることは、今の私にとって大きな意味を持っている。

クネン先生の研究室に訪問するために、昨日もこの公園を通ったのであるが、歩いている時と走っている時とでは、印象が随分と異なるものだと思った。唯一変わらないものは、この公園が醸し出している何とも言えない観想的な雰囲気であろう。

公園内の芝生や木々。公園内の凍り始めた池を指で示す母親とその池を好奇心の眼で眺める子供。池の上を泳ぐアヒルの群れ。公園内を活発に走り回る犬たち。公園を通り抜ける人々。

それら全てが、この黙想的な雰囲気の中に溶け込み、一つの大きな総体を形作っているかのようである。この観想的な世界の中では、全てのものが紛れもなく一つとして顕現しているのだ。 公園から自宅に向けて再び走り出した。いつも以上に、近所の教会が大きく見えた。物の大きさが変化する裏には、必ず自分の知覚と認識の変化があるはずである。

その教会に張り詰めた緊張感のようなものを感じたのは、なぜだったのだろうか。それについてはまた考えなければならない。 自宅の前に到着し、整理体操を始めた。首を回しながらふと空に目をやると、そこには、吸い込まれそうになるほどの広大な清らかな冬の空が広がっていた。

空しかない空である。冬の空固有の薄青色が、私の視界一面を埋め尽くしていたのだ。もう空を見ることしかできなかった。

自分の顔と空を平行にする形で、その空を静かにじっと眺めていた。清らかな空の先に、清らかな成層圏が広がっていた。

そして、その成層圏にも無限の階層があることを直感的に把握し、地上から成層圏を貫く無限の階段を駆け上がるかのように、私の意識がどんどん拡張していった。この拡張はとどまることを知らなかった。

意識の拡張に合わせて、自己が縮小していくことは大きな発見であった。地上から成層圏を貫く無限の階段と、意識の階段はつながっているのかもしれない。

フランスの哲学者ピエール・テイヤール・ド・シャルダン(1881-1955)は自身が提唱した宇宙論の中で、物質圏(physiosphere)と意識圏(noosphere)との関係性について言及している。テイヤール・ド・シャルダンの考えでは、意識圏は物質圏を含んで超えている、と捉えられている。

しかし、視界一面を埋め尽くす空を仰ぎみていたその時の私にとって、意識圏と物質圏は、対等の関係を結び、両者はどちらも無限の階段を持っているように思えたのだ。 無限に拡張する意識の最中、欧州で過ごすこの二年間は自分にとって、観想的な時期なのだと思った。静かな観想的生活の中で、絶えず継続的な鍛錬を自らに課すことが強く求められている。

真冬の成層圏のその先に、新たな自己の形を見る。この冬を越え、その先の二年間を、今感じているような黙想的な意識の中で、継続的な鍛錬を伴う日常を送っていきたい。2016/12/6

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