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477. 無数の言語ゲーム


昨日の学術会議に参加した経緯をよくよく振り返ってみると、この会議の趣旨をそれほど理解せぬまま参加を決意したように思う。実際のところ、この会議の趣旨や参加者の専門性を理解したのは、会議が始まってしばらくしてからであった。

特に参加者の専門性を理解し始めたのは、会議の経過に応じて、そこで展開されている言語ゲームがかなり特殊なものであると気づいた時であった。私たちは普段生活をする中で、実は文脈に応じた様々な言語体系を駆使している。

ヴィトゲンシュタインが提唱した「言語ゲーム」という言葉をなぜ用いたのかというと、やはり昨日の会議の中では、ある特殊な言語体系のルールに基づいて、発表や質疑応答が展開されていたからである。分野の異なる専門家が、往々にしてお互いの議論がかみ合わなくなるのは、双方が立脚する言語ゲームが異なり、そのルールが異なることに一つの理由があるように思う。

語彙体系が異なるだけではなく、言葉を生み出すルールそのものが違うというのは、コミュニケーション上の新たなハードルを生み出してしまうことになる。私は幸か不幸か、関心領域が多岐に渡っているため、これまでも自分の専門領域以外の場に積極的に参加していたように思う。

そうした経験を通じて、確かに様々な言語体系に触れ、特殊なルールを持つ様々なゲームに参加してきたことは確かである。しかし、そうした経験をいくら積んでみたところで、常日頃からそのゲームに親しんでいる人と深く対話を行うのはなかなか難しいものである。

一方で、領域固有の言語体系があるのは間違いないのだが、昨日の会議を通じて、領域全般型の言語体系の存在可能性についても垣間見ることができたのは大きな収穫であった。ここで言う領域全般型の言語体系というのは、仮説の検証の仕方であったり、データ収集の方法や分析の仕方など、あらゆる学術研究のプロセスに通底するお作法のようなものである。

こうした手続きやルールは、どのような分野の科学研究にも当てはまるものであり、それらに則って対話を行えば、両者にとって意義のある対話が成立する可能性を見て取ることができたのだ。ここから改めて、自分の課題が浮き彫りになってきた。

まずは、自分の専門分野の言語体系に習熟していくことが何よりも重要である。研究者としての一つの大きな役割は、自分の専門分野に対して新たな知見を加えていくことにあるが、当該領域の言語体系を習得してないと、新たな知見を加えていくことは極めて難しいのだ。

そのため、私の場合は、発達科学と複雑性科学の言語体系を確固としたものにしていく必要がある。もう一つの課題は、こうした領域固有型の言語体系を身につけていくだけではなく、領域全般型の言語体系も同時に確立していくことにある。

フローニンゲン大学の入学の際に要求された統計学のレベルをクリアしたとはいえ、それは最低限のレベルをクリアしたことしか意味しておらず、議論の中で統計学の込み入った話になると、自分の言語体系が追いつかなくなることが頻繁にある。

統計学の言語もオランダ語と同じで、ある種の言葉の体系であることに変わりはないため、焦らず着実に統計学の言語体系に親しんでいく必要があるだろう。統計学の言語体系は、定量的なアプローチが絡む研究を行う際にも、そうした論文を読む際にも、必須のものとなる。毎日が他言語との格闘の日々である。

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