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466. オランダ語の最終試験を終えて


今日、全13回にわたるオランダ語コースの締めくくりとして最終試験を受けてきた。実際のクラスは次回が最後であり、最後のクラスでは、おそらく今日の最終試験の復習をするのだろう。

最終試験の感想としては、中間試験の出来よりも少々良いぐらいだろうか。今回の試験には、前回あまり出来が良くなかったディクテーションがなかったことには少し拍子抜けをした。文法に関してもしっかりと復習をしていたため、ほとんど間違えていないと思う。

ただし、最後の読解問題は内容を理解するのに少し苦しんだ。内容の理解は不十分なのだが、設問にはなんとなく答えられてしまうというような感じであった。ここから、スピノザの原書を読む日はかなり先のことであると思わされた。

振り返ってみると、これまで成人になってからも、数々の試験を受けてきたように思う。それらの試験は基本的に、全ての問題に正解することがなかなか難しい作りになっており、今の私は義務教育時代のような試験に関して完璧を期することはもはや無くなっている。

これが好ましいことなのかは別として、今回の最終試験の出来にはそれなりに満足するものがあるのは確かである。そもそも成人になってから、発達心理学や教育心理学などを学ぶことによって、試験の出来そのものよりも、試験に対する捉え方や活用の仕方が変化したように思う。

成人期前に比べて、今の私は各種の試験を自分の学習プロセスの中にうまく組み入れることができているように思う。具体的には、現在の自分の知識レベルや能力水準を確認するためであったり、習得すべき知識やスキルを再度振り返るために試験をうまく活用しているように思う。

学習プロセスの所々に試験のようなものを組み入れることは、学習プロセス自身をうまく刺激することにつながっていると実感している。実際に、試験があるおかげで、学習プロセスにメリハリがもたらされているのだ。

学習には変動性が不可欠であるが、ある意味試験が変動性を促すような働きをしているように思うのだ。基本的に試験の前には、必ず学習時間が増加するため、学習時間の波が高くなる。往々にして、十分な学習時間を積めば、知識や能力水準は増加するため、試験は活用の仕方によって、私たちの知識レベルや能力レベルを高めることにつながると考えている。

理想としては、何かを独学する際にも、試験のようなアセスメントを取り入れたいものである。おそらく無意識的に、自分が探究している領域の知識レベルを自己把握するようなことを行っていると思うのだが、これを無意識的ではなく、何かしらの客観的な測定手法に基づいて自己評価をする必要性があるように思っている。

往々にして何かの分野を独学する際には、現在の自分の立ち位置を理解することに怠惰であったり、基準となるものがないために、学習を前に進めていくことが難しい場合があるだろう。明日の「タレントディベロップメントと創造性の発達」のクラスでは、ちょうど知性や能力の評価手法を取り扱うので、自分の学習プロセスの中にどのようなアセスメントを組み入れるのかを考えていきたい。

必要であれば、構造的発達心理学のアセスメント手法と組み合わせる形で独自の測定手法を作り上げていこうと思う。とにかく今回のオランダ語のクラスのおかげで、オランダ語の語学レベルを向上させることができたことのみならず、試験に対する自分の考え方を深めるきっかけになったことは思わぬ副産物であった。

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