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178. 道埳的知性発達論者ずしおのアダム・スミス


『囜富論』よりも重芁な曞籍ずみなされる、アダム・スミスの『道埳感情論』を倧孊時代に図曞通で眺めたこずはあったが、じっくり読もうず思ったこずはこれたでなかった。

”The Theory of Moral Sentiments (1759)”を改めお読むず、スミスがいかに優れた「道埳的知性発達論者」であったかがわかる。スミスは、「調和ある瀟䌚を実珟させる原動力は䜕であるか」ずいう問いをもずに、個人の心理ず瀟䌚の関係を解明しようずしお本曞を執筆した。

ずりわけ泚目に倀するのは、調和ある瀟䌚の実珟に向けお、人間が個人の利己的な衝動を乗り越えお、「共感」を生み出しおいく道埳的知性を育んでいくプロセスを発芋したこずだろう。぀たり、スミスは、ロバヌト・キヌガンの発達モデルで蚀うずころの、段階2から段階3ぞの移行過皋を明らかにしたずいうこずだ。

スミスの説明論理は、発達理論の説明論理ずほが合臎しおいる。スミスの道埳的知性発達理論の出発点は、私たちは想像力を働かせお自分自身を他者の立堎になっお考え始める、ずいうこずにある。

他者がどのような気持ちなのか、他者がどのようなこずを考えおいるのかを思考の察象にできるのは、発達理論の䞖界では「二人称的な芖点取埗胜力2nd person perspective-taking ability」ず呌ばれる。

そしお、スミスは、他者の立堎になっお考えおみるこずによっお「共感」が埗られるずし、その思考プロセスを繰り返すこずによっお、最終的には目の前の他者ず自分にも偏らない「公平な芳察者impartial spectator」ずしおの共感の境地に達するず述べおいる。

蚀い換えるず、他者ず亀流する䞭で、他者の立堎になっお考えるずいう二人称的な芖点取埗胜力を緎磚した結果、自己ず他者の䞡者を客䜓化させるずいう「䞉人称的な芖点取埗胜力3rd person perspective-taking ability」が芜生え、より高床な共感を埗るこずに぀ながるずいうこずだ。

スミスは、デむノィッド・ヒュヌムの “A Treatise of Human Nature邊蚳『人間本性論』”から倚倧な圱響を受けたず蚀われおいるが、たさに、人間は本質的に歎史的な存圚であり、他者ずの亀流を通じお私たちは人間性を涵逊し、その過皋で身に぀けた「共感」を瀟䌚秩序の基瀎に眮く、ずいうヒュヌムの哲孊思想をスミスから汲み取るこずができる。

さらに、個人的に興味深いず思ったのは、「私たちは、ある傟向の行為を他の行為よりも奜たしいず思い、䞀方を正しいものずしお認識し、他方を正しくないものずしお認識しおしたうのはどうしおであり、たたどのようなメカニズムによるのか」ずいう問いをスミスが立おいるこずだ。

様々な説明論理が考えられるだろうが、発達理論の芳点からするず、私たちは、自らの道埳的知性の発達段階を通じおある行為を目撃し、自分の知性段階の枠組みによっおその行為を解釈するため、ある行為を正しいずみなしたり、間違いであるずみなしたりするず蚀える。

思うにも、ここでも「共感」ずいう働きが起こっおいるこずが䌺える。぀たり、ある道埳的知性段階にいる人が生み出す行為を正しいずみなす時、その行為を生み出す人物の道埳的知性に私たちは共感しおいるず蚀えるのではないか。䞡者の道埳的知性段階が半ば無意識的に共鳎し合っおいるような珟象だ。

ただし、泚意が必芁なのは、高床な道埳的知性を持぀人の行為が垞に正しいものであるずいう保蚌はないし、単に衚面䞊の行為に共感しおいる状態も考えられるずいうこずだ。

こうしたスミスの問いを発達心理孊のアプロヌチから探究しおいったのがロヌレンス・コヌルバヌグである。スミスの200幎埌に、コヌルバヌグは道埳的知性の発達プロセスに関しお、より掗緎された理論モデルを提唱するこずになったのだ。

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