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142. 形式論理思考の盲信とホリスティック思考への飢え


もし弁証法思考と同時に人間の知性発達に関心があれば、下記のような質問を投げかけるかもしれません。「知性発達理論はどのような思考を扱っているのだろうか?トートロジー的な論理思考なのだろうか、それともより高度な弁証法的な思考についてなのだろうか?」

多くの研究成果が示すように、これまでのところ発達心理学は非常に抽象的な概念である「メタシステム的」という言葉で完結する三段論法的(トートロジー的)な論理思考を研究対象としてきました。科学の世界、そして近年では政治やビジネスの世界においてもこうしたトートロジー的な論理思考が勢力を強めています。

実際に、近年のビジネスパーソンは「論理思考(ロジカルシンキング)」「批判思考(クリティカルシンキング)」という言葉に踊らされ、それらを熱心に習得しようとしています。

もちろん、それらを習得することはより高度な思考形式を獲得するために不可欠なのですが、あたかもロジカルシンキングやクリティカルシンキングが認知的発達の極致であり、それさえ磨いておけば安泰であるとうような無意識的な発想に絡め取られている気がしてなりません。

実際には、ロジカルシンキングやクリティカルシンキングといった三段論法的(トートロジー的)な論理思考は全くもって認知的発達の完成系ではないのです。それどころか、それらはピアジェで言うところの形式論理思考の範疇にとどまるものなのです。

三段論法的(トートロジー的)な思考は、一見すると実に見事な論理の積み重ねによって客観的に見えますが、論理の客観性を主張するあまり、思考が内在的に持つ主観性に対して盲目的なところがあります。つまり、三段論法的(トートロジー的)な思考は主観と客観を二分法的に切り離してしまうのです。

こうした二分法的な考え方は人間の心にある種の「飢え」をもたらしました。三段論法的(トートロジー的)な思考を鍛錬していくと、形式論思考が持つ二文法的な発想の限界に気づく人が出てきます。こうした人たちに多く見られるのが、「ホリスティック思考(包括的な思考)」というきらびやかな言葉に魅了されたり、論理を超えたトランスパーソナルな体験を夢見るようになります。

多くの人たちが抱きがちなこととして、「ホリスティック思考」や「トランスパーソナルな経験」を専門に扱う人は形式的な論理思考から解放され、より高度な思考形態を獲得しているという思い込みがあります。しかし、ラスキーが提唱する弁証法思考の観点からすると、彼らの思考は高度であるというよりもむしろ、形式論理思考を不十分に鍛錬してしまったばっかりに、形式論理思考では説明のつかない現象に単に囚われてしまっている場合が多いのではないかと思っています。

つまるところ、安易にホリスティック思考や形式論理思考では説明のつかない体験を追い求めるのではなく、まずは形式論理思考を徹底的に鍛錬することから始め、その先にはより高度な思考形態が存在するという強い認識を持っておく必要があるでしょう。

【追記:インド伝統医学アーユルヴェーダについて】

先週末、アーユルヴェーダのワークショップに参加してきました。アーユルヴェーダは、イスラム伝統のユナニ医学や中国医学と並び、古代インドから伝わる伝統医学です。

私がサンフランシスコでヨガのインストラクターの資格を取得した時に、偶然ながらアーユルヴェーダについて学ぶ講座が一つありました。その時は、興味深い伝統医学があるものだという感覚しか持っておらず、深く学ぼうとしていませんでした。

さらに偶然が重なり、アメリカら日本に引越しを完了させ、輸送した荷物の段ボールから “Ayurveda and the Mind”という書籍を発見し、そこに書かれている意識論が深遠であることに改めて気づいたのです。

知性の成長・発達や意識の進化を考える際に、私たちの身体は切っても切り離せないものです。アーユルヴェーダは、アーサナ的なアプローチのみならず、食事実践にも奥深い体系をもっており、私たちの身体を駆動させるエネルギー源である食事を再考察する上で今回のワークショップに参加しました。

そこで得られた学びを追記の形で今後紹介できたらと思います。

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

過去の曲の楽譜と音源の保存先はこちらより(MuseScore)

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