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11311-11320: フローニンゲンからの便り 2023年11月14日(火)



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タイトル一覧

11311. 今朝方の夢

11312. 今朝方の夢の続き

11313. シロシビン·セッションを終えての2日目を迎えて/比較神秘主義の研究

11314. チラミンとDMT

11315. 自分の守護神としてのシャンカラの思想に関心を持って

11316. 不知と不識へ開かれた在り方を保持すること

11317. ゲシュタルト·スイッチとしてのサイケデリクス

11318. メルヴィンとのサイケデリクス談義を振り返って(その1)

11319. メルヴィンとのサイケデリクス談義を振り返って(その2)

11320. 解離性サイケデリクスのサルビア・ディビノラムへの関心の高まり


11311. 今朝方の夢


時刻は午前7時半を迎えようとしている。早朝から雨が時折激しく降っていて、今も雨が降りしきっている。雨のおかげか気温は比較的高く、12度もある。今この瞬間の気温が今日の最高気温のようで、それが午後5時ぐらいまでずっと維持され、そこから気温が落ちていく形の珍しい温度変化になるようだ。今日は基本的に小雨がよく降るらしく、その中で午後に散髪に行ってこようと思う。前回メルヴィンが、以前付き合っていた女性が入手したLSDを用いてセッションを共にすると述べていたので、その話を今日は必ず聞いてみようと思う。

今朝方はいくつか夢を見ていた。まず覚えているのはロッテルダムに拠点を置くサッカーチームのフェイエノールトのスタジアム近くのホテルに宿泊していた場面である。ホテルの朝食を楽しみに待ちながら、よりお腹を空かせるために同じホテルに宿泊していた日本人の友人たちと外に出かけて散歩することにした。朝のロッテルダムはとても良い雰囲気で、スタジアムの周りはとても静かで気持ちよかった。スタジアムの近くに草サッカーのコートがあり、朝からそこで結構な数の大人が草サッカーを楽しんでいた。楽しみながら試合をしているようでいて、意外と真剣に試合をしていた。そこにいたメンバーの顔ぶれは多様で、国籍がとても豊かだった。ゴールキーパーからのライナー性のゴールキックを中盤の中国人の男性がトラップしようとしたが結果としてミスでそれがスルーする形になり、そこからなんと数人が同じように誰もボールをトラップできずにスルーのような形になった。するとそれが偶然にもフォワードのアフリカ系の男性の足元まで届き、彼が勢いの弱まったボールをトラップして、そこからドリブルで持ち込んで豪快なシュートを放った。それがゴールの右隅に決まり、彼を含め、ゴールを決めたチームが大いに喜んでいた。試合を見ながら自分も出場したくなってきて体がうずいていた。体のうずきを抑えながら引き続き友人数人と観戦していると、私たちの後ろにも人だかりができてきて、結構な数の観戦者がそこにいた。すると、コートの真ん中からふらりと1人の男性がコート脇の私たちのところにやってきた。その男性は細身で、年齢は40歳半ばぐらいで、少しチンピラな感じがした。彼が私たちのところにやってきて、足元にあったボールをひょいと救い上げ、ふわりと私の後ろにいた男性にぶつけた。私の後ろにいた男性は眠っているような形でメディテーションをしていた。その男性は、ボールをぶつけられても目覚めることはなく、深いメディテーションをしたままだった。そこで私は、“Meditation won!(メディテーションの勝ちだ!)”と笑いながら叫んだ。するとその言葉が気に食わなかったのか、その男性は、“Not win”と仏頂面で呟き、私の方に歩み寄ってきた。それを脅しと受け取った私は、とっさに体が動き、ジークンドーの種々の技を発動させ、その男性をボコボコにした。特に蹴り技を連発し、金的に打撃を加えてその男性が悶絶したのを見て、さらに腹と顔面に蹴りを喰らわして失神させるぐらいまで蹴り飛ばした。それを受けて私は、「逃げろ!」と日本語で楽しそうに笑いながら叫んだ。すると私の近くにいた友人やその他の観戦者も一斉にその場から走って逃げ出した。逃げ出した瞬間に私は、これだけ暴れたので朝食がさぞかし美味くなるだろうと思って嬉しくなって笑みが溢れた。そのような夢を見ていた。フローニンゲン:2023/11/14(火)07:39


11312. 今朝方の夢の続き


フローニンゲンは天気が変わるのが早く、それに応じて天気予報もよく変わる。幸いにも雨が上がり、遠くの空には青空が見える。今日は少し風が強いようで、午前中一杯は風速30kmほどの風が続く。ちょうど散髪に出かける頃には風も弱まっているようなので何よりである。これまで気温や降雨量ばかりに着目していたが、風量にも注目してみたいと思う。自分が日々どんな世界を生きているのかを把握する一助になる情報である。

先ほど今朝方の夢について振り返っていたが、アニマルフローの実践を通じて記憶が埋め込まれた身体の細胞が活性化したようで、思い出した夢についても書き留めておきたい。昨日はジムでのハードなトレーニングがあったので、今朝方のアニマルフローはいつもより体を動かすのが少し大変に感じられたが、それもまたアクティブレストとして程よく体を動かすことにつながったのではないかと思う。

夢の中で私は、中が入り組んだ高級ホテルに宿泊していた。そのホテルにはある協働者の方2人と一緒に宿泊していた。会社のトップを務める方とその会社のメンバーの2人の方と一緒に、3人それぞれ違う部屋でありながらもそれらの部屋が1つにつながっている不思議な空間に宿泊していた。トップを務めるその方の部屋を三角形の頂点に位置すると見立てれば、私を含めたもう1人の方の2つの部屋は三角形の土台になる底辺の両脇の頂点に位置していたと見立てることができる。3人はまず荷物を各自の部屋に置いて、思い思いに寛いでいた。しばらくすると夕食の時間が迫っていることに気づき、2人のところに声をかけに行こうとしたところ、時間が突然飛び、朝を迎えていた。なので今から夕食なのではなく朝食になっていたのである。2人はもう身支度を終えていて、朝食会場に行ける状態になっていた。一方の私はまだパジャマ姿だったでの、2人先に朝食会場に行ってもらうことにした。その際にトップの方が、「僕の部屋のシャワーを使っていいですよ」と行ってくれた。もちろん自分の部屋にもシャワーはあるのだが、その方の部屋のシャワーの方が何か高級感がありそうな気がしたのでその方の部屋に行ってみると、部屋そのもののグレードも1つ高いようだった。奇妙なことにシャワーはシャワー室にあるのではなく、部屋の天井にいくつも取り付けられていた。どうやってシャワーからお湯を出すのか不明で色々といじっていたところ、突然複数のシャワーからお湯が出始めた。私は慌てて服を脱ぎ、シャワーを浴びた。しかし、部屋中が水浸しになってしまってこれはどうしたものかと思ったら、一瞬にして水が乾き、また元の部屋に戻った。なんとも不思議な部屋だなと思ったところで夢の場面が変わった。

その他にも今朝方は、ある日本の有名な社会学者の先生と話をしている場面があった。見慣れない会議室のような場所で、その先生が私に気づくと、穏やかな笑みを浮かべてこちらに近づいてきて、挨拶をしてくれた。そこからはその先生が私の専門であるサイケデリクスについてあれこれと質問をしてくれた。意見交換をする中で、今度一緒に対談動画でも撮影しましょうという提案をしてくださり、それを有り難く受けることにした。その先生とであればサイケデリクスについてまた深く広い観点から日本に紹介できると思ったのである。そのような場面に加え、見知らぬ外国人の女性2~3人と楽しく会話をしている場面もあったことを書き留めておく。フローニンゲン:2023/11/14(火)08:25


11313. シロシビン·セッションを終えての2日目を迎えて/比較神秘主義の研究


シロシビン·セッションの第19回目を終えて丸1日経ち、今日から2日目を迎える。毎回のセッションを通じて、新たな気づきと洞察と共に生まれ変わっている感覚がある。それは大きな生まれ変わりではないが、確かな生まれ変わりである。自己と世界をこれまでになかった新鮮な眼で見ている自分がいる。2日目を迎えたこともあって、心身はなお落ち着いている。依然としてシロシビンに対する耐性が体内に残っていることからも、シロシビンが脳に対して働きかけている効力が持続しているようで、依然として言葉が淀みなく出てくる感じがする。ウィリアム·ジェイムズの言葉で言えば、「意識の流れ」がより清純になり、その淀のなさが言葉の流暢さにつながっているように思える。セッション中の体験やそこで気づきを振り返るだけではなく、セッション後の自分の心身の状態や内的体験を振り返ることも等しく重要かつ有用であろう。

今日は、昨日届けられた比較神秘主義に関する学術書を読み進めていく。2冊は古典的な書籍で、ルドルフ·オットーが西洋と東洋の神秘主義を比較した書籍で、タイトルは“Mysticism East and West: A comparative analysis of the nature of mysticism”である。もう1冊の古典は、鈴木大拙氏の“Mysticism: Christian and Buddhist (2nd ed.)”である。数年前の秋に日本に一時帰国した際に、鈴木大拙氏の記念館を訪れ、大いに啓発を受けたことが今こうして大拙氏の仕事を参照することにつながっていることに改めて感銘を受ける。そして、大拙氏は日本人でありながら、彼は自ら英語で書籍を旺盛に執筆しており、基本的に日本語で読めるものは大拙氏が執筆したものではなく、他の翻訳者が翻訳したものだということも思い出した。自分もまたここから学術書や学術論文の執筆を学問の普遍語の地位を確立している英語で積極的に行っていきたいという思いを新たにする。上記の2冊以外にも、もう3冊ほど比較神秘主義に関する学術書を受け取り、それらは読み応えのある生粋の学術書で、その他にもこの分野の書籍はたくさんあるが、今の自分が吟味して選んだこれらの書籍を繰り返し読んでいこうと思う。それを通じて比較神秘主義に関する理解を深め、同時にそこで展開されている言語に親しみ、自らのサイケデリクス体験を紐解くことをしていきたい。また他者のサイケデリクス体験も宗教横断的に比較神秘主義の言語体系を参照することを通じて深く理解していきたいものである。ここからの比較神秘主義研究はその実現に向けたものであり、世界の諸宗教を信じる人たちにサイケデリクスについて説明する際の大事な土台形成となるだろう。フローニンゲン:2023/11/14(火)08:59


11314. チラミンとDMT


今のところサイケデリクス研究における専門性の確立に向けて、物質の分類でいけば、シロシビンとDMTに注目している。それに続く形でカンナビスも注目をしている。DMTについて調べ物をしたり考え事をしている中で、アヤワスカに含まれるN, N-DMTとコロラドリバーヒキガエルに含まれる5-MeO-DMTは随分と体験が異なることを興味深く思った。両者の分子式と分子構造は非常に似ているが、若干の違いがあり、その違いが体験の差を生む。かつて自分が摂取したのは、アヤワスカを通じてのN, N-DMTと、生成されたN, N-DMTの吸引摂取であり、いまだかつて5-MeO-DMTの体験はない。調査をしながら、5-MeO-DMTはホワイトアウトをさせるような内的現象が起こるらしく、それはN, N-DMTのカラフルな知覚現象と随分異なることがわかる。今のところいずれのDMTもアヤワスカのようにものアミン酸化酵素阻害薬となる物質と合わせて口から摂取するか、吸引して肺から摂取するかに分かれる。しかし、北米のある企業がモノアミン酸化酵素阻害薬なしで胃腸から吸収できるようにするようなフィルム状の製品を開発したというニュースを見た。吸引して肺から摂取する際には、肺を傷つけてしまうリスクやDMTを熱した時に他の金属まで合わせて摂取してしまうリスクなどがあり、その問題の解決を長らく望んでいたところのニュースであった。その企業が開発した製品は、現在人体実践のフェーズまで臨床試験を進めているようで、実用化まであと少しである。この製品が世に出る頃になれば、DMTに関する研究もさらに進むことが期待される。

現状、アヤワスカの問題点はやはり浄化という名の下に吐き気をもたらすことだろう。アヤワスカの摂取前にはかなり厳格な食事制限が要求され、とりわけチラミンという物質が含まれる食事を避けるように言われていた。チラミンとは、モノアミン神経伝達物質セロトニンノルアドレナリンアドレナリンヒスタミンドーパミンアセチルコリンなど)と構造が似ており、熟成されたチーズ、ビールやワイン、アボカドなどにも含まれている。さらには、チョコレートなどのカカオ製品も含まれていて、それらを摂取しない形で少なくとも1週間過ごしてアヤワスカのセレモニーに参加することが求められていた。チラミンはそもそも高血圧を誘発する物質でもあり、アヤワスカに含まれるN, N-DMTの方ではなく、モノアミン酸化酵素阻害薬の物質がチラミンと相互作用してしまい、摂取者に高血圧のリスクを生じさせる危険性がある。そうしたことからアヤワスカのセレモニーの前にはこうした食事制限が要求されるのである。このような知識を持ち、そして厳格に食事制限をすればアヤワスカは確かに優れた治癒と変容をもたらしてくれる聖なる薬として機能するが、これらの知識を持たず、食事制限をしない場合には毒薬にもなりかねないという注意が必要である。こうしたリスクがあるゆえに多くの一般人への普及は難しく、ゆえに現在サイケデリクスを研究している企業が摂取しやすい形を模索しているのだろう。そのような動向が窺える。フローニンゲン:2023/11/14(火)09:20


11315. 自分の守護神としてのシャンカラの思想に関心を持って


比較神秘主義のテキストを読みながら、こうした神聖なテキストは、とりわけサイケデリクス·セッション後の時期に読むのに最適であると感じる。それはセッションの体験の振り返りや咀嚼を促し、これまで理解の難しかった高次元のリアリティに対する理解を促進してくれるだろう。セッション後しばらくは存在の入れ子の全てが敏感になっているため、どのようなものに触れるかが大切であり、聖なるテキストに触れることは存在の入れ子全てを喜ばせ、満たしてくれる。そこに書かれている言葉が存在の入れ子全てに染み渡っていく感覚があることも特筆するべき事柄である。サイケデリクス·セッションと聖なるテキストの読解を併用すること。それはインテグレーション·セッションの一環として重要な実践に思える。少なくとも自分の実践の引き出しにそれがある。

不二一元論を提唱した中世インドの思想家シャンカラの言葉が内側に染み込んでいく。不二一元論は、“advaita”と言われるが、これはまさに非二元のことを指し、別の表現で言えば「二のない一(secondlessness)」を指す。自らの存在の根源としてのアートマンもブラフマンも、まさに二のない一であるというありありとした実感。それ以上の真理はないという絶対的確信感。それは2日前のセッションの中でも得られたことであった。今後も定期的にセッションを続けていくことの意味は、この感覚を完全に自分に定着させることにあるだろう。存在の入れ子の全てがそれを完全に了解し、具現化するまで今のペースでのセッションを続けていこう。この探求と実践に終わりはないであろうから、それが完了した後にまた新たな課題が見つかるはずである。非二元を体現した後の課題。それは極めて高度で難易度の高いものになるに違いない。

インドの神話上、なんとシャンカラはシヴァ神の異名だそうだ。「加藤さんの守護霊にシヴァ神がいる」そのようなフィードバックをかつて霊的能力に優れたセラピストの方から言われたことがあり、シヴァ神が自分の守護神であるということは、シャンカラが守護神でもあるということを意味している。それを受けて、シャンカラが残した思想にますます興味が湧いてきた。シャンカラは仏教の教義に対して批判を加えたことでも有名で、その観点でも面白い思想を展開していることが窺える。来年仮にHDSに進学することができたら、シャンカラの思想について学べるコースをぜひ履修したい。ここから比較神秘主義のテキストを読み進めていく際には、とりわけシャンカラの名前が出てきたらその箇所に注目し、そこをくまなく読んでいこう。フローニンゲン:2023/11/14(火)09:42


11316. 不知と不識へ開かれた在り方を保持すること


“Godhead”は名前を持たない存在であり、名付けから一線を画された存在であることを考えてみた時に、私たちが親から付与してもらった名前というのは、アイデンティが存在する階層構造において通用するもので、私たちの魂やスピリットは本来名前を超えたものであることが見えてくる。それらは本質的に名前を超えた存在であり、名付けを寄せ付けぬものなのだろう。2日前のシロシビン·セッションを通じて湧き上がってきた感謝の念は、名付けられた自己への愛おしさと、名付けを超えた存在としての自らの魂とスピリットへの深い慈しみの感情によってもたらされたのかもしれない。

未知なこと(unknown)と知らないこと(not-knowing)の双方から究極的なリアリティを把握する道について考えていた。究極的なリアリティの全体を把握することは人知を超えているため不可能なのだが、未知なことと知らないことへの開かれが、より全体知覚へと導いてくれる側面は必ずあるかと思う。自らのシロシビン·セッションに臨む態度は常にこの開かれなのだ。不知と不識へ開かれた形で、ある種否定の否定を通じて存在を立ち表せるという弁証法的な仕方で世界を把握する試みをセッション中に意識している自分がいることにハタと気付かされた。こうした自己の在り方ゆえに、セッションの前には明確な言葉でセッションから得たいことなどを語らないようにしている節がある。それをしまうと、自らのマインドが拵えた限定的な有から出発することになり、無から出発して無限の有を触知するという道を歩むことが難しくなってしまうのである。もちろんこのアプローチはある程度実践を重ねなければ推奨できるものではなく、基本的にはセット(意図·目的)·セッティング(環境)·ドース(服用量)の枠組みに沿って、セッションを通じて得たいことを明確にしておくことが多くの人に推奨されることは確かである。しかし実践を継続し、実践を深めていくと、その枠組みを含んで超える形で意図や目的というものを手放すフェーズがやって来る。今の自分は意図や目的がむしろ体験を阻害し、足かせにしか過ぎなくなっている印象である。仮に意図や目的を持つのであれば、「意図や目的を手放す」という意図や目的を掲げたい。そして上述のように、不知と不識へ開かれた在り方を保持するということを体験に入る前の意図や目的に掲げることになるだろう。これはぜひとも来月の次回のセッションの際により意識しておきたい点である。フローニンゲン:2023/11/14(火)10:17


11317. ゲシュタルト·スイッチとしてのサイケデリクス


——ランプはたくさんある。しかし光は一つである——ルーミー

午前中の読書が捗っている。これもまたシロシビン·セッションの恩恵の1つの形であろう。集中力が研ぎ澄まされ、言語世界にスッと入っていける感覚があるし、そこで開示されている言葉にある種共感覚的に五感さらには第六感を総動員する形での意味把握がなされている。

本日3冊目の初読に今取り掛かっている。“Philosophy of mysticism: Raids on the ineffable”という書籍は実に分厚い記述で神秘主義について多角的に論じており、今後の自分の研究アイデアをふんだんに醸成してくれている。昨日届けられた5冊のうち、これが3冊目の初読となるが、初読で読むのは今日はこの書籍までとし、午後からはサイケデリクス関係の書籍の再読に没頭したい。午後に親友かつかかりつけの美容師のメルヴィンの店に向かって歩いている最中もサイケデリクス研究についてあれこれと考え事をしよう。

ゲシュタルト·スイッチとしてのサイケデリクス 。ゲシュタルトを脱構築する力を持つサイケデリクス 。そのような新たな意味づけがサイケデリクスに対してなされた。神経科学の観点からすると、古典的サイケデリクスはデフォルト·モード·ネットワーク(DMN)の解体現象をもたらす。脳内においてはDMNが解体され、意識空間内ではゲシュタルトが解体し、新たなゲシュタルトが構築される。そこに中毒やトラウマからの解放という意味での治癒や、既存の認識の枠組みからの脱却という意味での変容がもたらされる。まず脳と意識がそうした対応関係を持ち、古典的サイケデリクスを通じてそのような脱構築現象が起こることを押さえておこう。現在のサイケデリクス研究は幾分「科学主義(scientism)」 とも形容できるぐらい自然科学に偏っている傾向があるが、まずは脳内現象としてそのようなことが起こっている点を押さえ、そこから意識内で何が起こっているのかを押さえていくことが重要になる。さらにはより詳しく、意識内でゲシュタルトの脱構築現象が起こる際に、どのような意味内容や意味次元、あるいは発達構造としてのゲシュタルトの脱構築が起きているのかをつぶさに押さえていくことが重要であろう。古典的サイケデリクスを通じて意識空間で脱構築が起こるというのはその通りなのだが、それは抽象度が極めて高く、より具体的には体験者の中でどのような意味次元での、発達段階次元での脱構築が起きているのかを押さえることは対人支援上重要になるだろう。さらには、そうした見取り図を作ることそのものが学術研究となり、それはサイケデリクス学への貢献となる。フローニンゲン:2023/11/14(火)11:33


11318. メルヴィンとのサイケデリクス談義を振り返って(その1)


穏やかさと静けさに満ちている夕方の世界が目の前に広がっている。散髪屋に向かった行きこそ結構な雨が降っていたが、帰る頃にはすっかり雨が止み、今は世界の穏やかさと呼応するかのように穏やかな心の自分がいる。

今日のメルヴィンとの話も大いに盛り上がった。基本的に1時間の間ずっとサイケデリクスの話をしていた。冒頭ではそれに付随する形でボストン滞在中の話をシェアし、その途中でメルヴィンがケアしているホームレスの男性が1人やって来て、雨で足を滑らせて頭を少し怪我してしまったようで、彼を助ける時間があった。彼はアルコール依存症を患っていて、そもそもアルコール依存症を患った背景に彼の両親の不仲の関係性があり、それがトラウマ的な魂の傷となって、その傷から逃避するかのようにしてアルコールに依存しているというのがメルヴィンの見立てであった。そこから、アルコール中毒や各種のトラウマの治癒に向けたサイケデリクスの可能性について意見交換をしていった。メルヴィンの客の1人に精神科医がいるらしく、その医者はケタミンやMDMA、さらにはシロシビンを活用した治療を提供しているらしく、そこからもサイケデリック·ルネサンスの実践の普及の波を見た。今後このトレンドはさらに大きなうねりとなって、様々なセラピストがサイケデリクスの活用を検討するだろう。そしてセラピストのみならずコーチもそれに注目するだろうし、企業もまたサイケデリクスを基にした製品やサービスの開発に乗り出す動きが加速するであろう。そのような未来が予見されているし、そうした未来は目前である。

自分は2日前にシロシビン·トリュフを摂取したが、偶然にもメルヴィンもまた2週間前に友人の女性と一緒にシロシビン·トリュフを摂取していたようだった。メルヴィンは彼女の闇の側面の治癒の助けをするために、自身も体験に入りながらも半分はシッターとしての役目を務めたと述べていた。彼女もまた過去のトラウマ体験と向き合うことが要求されたらしく、それは大きな課題とのことであったが、無事にその課題を乗り越えていくセッションが実現されたそうである。ちなみにメルヴィンは「ユートピア」という製品名のトリュフを摂取し、彼女は「ホランディア」という製品名のトリュフを摂取したそうだ。2日前に自分が摂取した「ヴァルハラ」は彼女にとって強烈過ぎたようで、今回は1つグレードを落としてそれに落ち着いたとのことである。実際のところは、ユートピアもホランディアも製品パッケージの全てを1度に摂取するのはかなり服用量で、サイケデリクス体験がある程度ないと本来はあまり推奨されないものである。いずれにせよ、メルヴィンはシッターとしての役割を担いながらも、自身としても深い洞察を得たようで、恐怖を司る侍と勇気を司る侍の双方を知覚する体験をしたそうだった。何やら2つの大地を跨ぐ谷が現れ、メルヴィンがいる側の大地に勇気を司る侍がいて、谷を架ける橋の前に恐怖を司る弁慶のような侍がどっしり待ち構えていたそうだ。その橋を渡るには恐怖を司る侍を乗り越えていかなければならなかったらしい。その際に、シャドーワークの原理を体現するかのように、その侍を打ち負かすのではなく、自分に包摂するかのような現象が起きたことを語ってくれたメルヴィンの凄さを見た。インテグラル理論の概念や精神分析的なシャドーワークの概念を知っていないと、恐怖を司る侍を悪者にしたり、切り離したりしがちだと思うが、メルヴィンはそうではなく、陰陽は1つの全体であるという認識から、その侍を分離させることなく自分の内側に受け入れることができたそうであった。まさに3-2-1プロセスの完了である。この体験を受けて、メルヴィンの霊的エネルギーの次元また1つ上がっているようだったことが印象に残っている。フローニンゲン:2023/11/14(火)16:02


11319. メルヴィンとのサイケデリクス談義を振り返って(その2)


小雨が止み、鳩がホーホーと鳴いている。そう言えば、鳩の鳴き声を聞くのはボストン旅行から帰って来て以来初めてのことかもしれない。鳩の鳴き声に耳を傾けながら、先ほどのメルヴィンとの対話の内容を改めて振り返っている。

メルヴィンはこの5週間の間に、LSDのセッションを1回、2週間前のシロシビンのセッションを1回行っている。メルヴィンもなかなかの頻度でここ最近はサイケデリック·セッションを行っているなと思った。LSDとシロシビンの比較に関して、メルヴィンはかなり鋭い観察をしていた。「2つは途中までは全く同じ道なんだけど、途中から道が分岐して異なる知覚体験を生んだんだよね」と述べたのである。それに対して私は、科学的な用語をあえて使う形で説明した。シロシビンもLSDもセロトニン系ないしはトリプタミン系に同じく分類される。そして同じくセロトニン受容体の5-HT2A受容体に主に働きかけるのだが、分子式と分子構造が若干異なる。その若干の差が体験時間の長さや体験内容を異なったものにする。摂取したものがLSDの派生物である1P-LSDやその他のものではなく純粋なLSDかを確認したところ、さすがにそこまではわからないとのことだった。いずれにせよ、メルヴィンは今回が初めてのLSD体験だったらしく、興味深い経験をしたそうだった。特に彼の創造性がまた違う次元に引き上げられ、これまでは母国語ではない英語でフリースタイルラップをしていたところから、母国語のオランダ後のフリースタイルラップを始めたのもLSDセッションがきっかけとのことだった。

私たちの魂とスピリットは本質的に創造的で、創造的な活動を求めているのである。メルヴィンもまた自分と同じように絵を描くし、音楽演奏もする。そこにメルヴィンはこの数年間フリースタイルラップに熱を上げていた。今回オランダ語でラップをするようになってみて、それはこれまでの英語でのラップとは違って勢いというよりも優しさがあるとのことだった。穏やかなビートでリラックス効果のあるラップを口ずさんでいる自分がいるとのことである。メルヴィンは毎日平均して16人の髪を切り、さらには無償でコーチングサービスを数人に提供しており、彼自身の魂に疲弊が見え、エネルギーの減退現象が先月起きたらしかった。なので彼はセラピストのところに行って治癒を受けてエネルギーを回復させたとのことだったが、オランダ語のラップを始めたことによって自分の魂が喜び、自らのラップで自分自身が癒されるという現象が起きていると聞けてこちらも嬉しく思った。

今のところメルヴィンの次回のサイケデリック·セッションの予定を尋ねたら、年末か年始に行うとのことで、誰と何を摂取するかは未定であった。メルヴィンとはかつてうちでホランディアを一緒に摂取したことがあり、仮に来年オランダを離れることになったら、またメルヴィンとセッションを行いたいと思う。メルヴィンとのセッションが素晴らしいのは、お互いがお互いのシッターにならなくてよく、お互いに自らの体験の深みに入り、2人で共有する意識を深めていけることである。きっとどこかのタイミングでメルヴィンとはセッションを共にするだろう。メルヴィンは自分にとってソウルメイトであるからこのような形でセッションが行えるのだろう。

偶然にも今日は、メルヴィンが自分の店を開いて5年目の記念日とのことだった。それを祝うのと同時に、開店からずっと5週間に1度のペースでメルヴィンの店に来て対話を積み重ねて来た歴史を見た。メルヴィンとは開店前の以前の店からの付き合いでもあるから、対話を重ねて来た年数は6年を越す。そうした関係性が自然と生まれ、継続していることに感謝をしているし、何よりもメルヴィンがいなければフローニンゲンでの生活がこれほどまでに充実していなかったであろうことを思うと、メルヴィンの存在そのものに深い感謝を捧げたい気持ちである。メルヴィンは自分にとっての心の支えであり、魂の支えであった。きっとこれからもそうであり続けるだろう。フローニンゲン:2023/11/14(火)16:21


11320. 解離性サイケデリクスのサルビア・ディビノラムへの関心の高まり


今日は随分とサルビア·ディビノラムについて調べていた。これまでサルビア·ディビノラムもまたアルカロイドの一種だと思っていたが、そうではないことを知った。サルビア·ディビノラムは、DMT、シロシビン、メスカリンといった窒素原子を含む天然有機化合物ではなく、窒素原子を持たないテルペノイド(terpenoid)という天然有機化合物であることを知った。窒素原子を含むか否かの分類基準で言えば、麻に含まれるカンナビノイドもまた窒素原子を含まないのでアルカロイドではなく、テルペノイドに分類されるらしい。このように化学の知識を持って身につけていく必要性を感じる。

サルビア·ディビノラムに含まれるサルビノリンAは、古典的なサイケデリクスがターゲットにする5-HT-2Aセロトニン受容体には働きかけず、その代わりににκ-オピオイド受容体にアゴニスト(作動剤:受容体に結合することでその情報を細胞の内部に伝達する物質のこと)として働きかける。注目点は、サルビノリンAはκ-オピオイド受容体との結合のみで内的ビジョンを知覚させる作用を示すわけではない可能性が示唆されており、多岐に渡る要因や複雑なメカニズムがそこにある点である。また、LSD、DMT、シロシビン 、メスカリンがμ-オピオイド受容体、δ-オピオイド受容体、シグマ受容体、グルタミン酸受容体といった複数の受容体に働きかける点とは異なることも注目に値する。

解離性サイケデリクスとして最も強力なものの1つであるこのサルビア·ディビノラムについての関心が高まってきているので、年明け後にまたサイケデリクス関係の新たな書籍を一括購入する際に、サルビア·ディビノラムについての書籍も数冊ほど購入してみようと思う。

サルビア·ディビノラムに含まれるサルビノリンAは、非常に強力な解離性のサイコアクティブな物質なのだが、国際的に厳しく規制を受けているわけではない点も興味深いーー日本においては薬事法によって規制されているーー。宗教儀式として、シロシビン·マッシュルームと同様に、メキシコのマサテコ族がサルビア·ディビノラムを活用していた点も注目に値する。ゴードン·ワッソンやアルバート·ホフマンもマサテコ族を訪問してこの物質を知り、そこから西欧における研究が始まった歴史があるが、これまでさほど光を見るようなサイケデリクスではなかった。現在、北米では徐々にサルビア·ディビノラムにも注目が集まっているようなので、引き続きこの物質も探究していきたいと思う。フローニンゲン:2023/11/14(火)16:46

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