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【フローニンゲンからの便り】16766-16768:2025年5月28日(水)



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タイトル一覧

16766

昇天日前日の朝に

16767

今朝方の夢

16768

今朝方の夢の振り返り

16766. 昇天日前日の朝に 

                         

時刻は午前6時半を迎えた。今日もまた昨日と同じく空にはうっすらとした雨雲がかかっている。早朝に起床した際には少し小雨が降っていた。今の気温は13度で、日中の最高気温は16度である。どうやら雨が降るのは午前8時までのようで、そこからは雨が止み、午後からは晴れ間が広がるようである。明日は「昇天日(Ascension Day)」という祝日で、近所のオーガニックスーパーは休みとのことなので、今日のどこかのタイミングでスーパーに散歩がてら行ってこようと思う。朝の散歩として行くことを今のところ第一候補にしている。昇天日は、キリスト教においてイエス・キリストが天に昇ったことを記念する祝日で、復活祭(イースター)から40日目の木曜日に行われる。主にカトリック教会やプロテスタント教会などで祝われるらしく、オランダもまたキリスト教圏なので、この日が祝日となっている。とは言え、オランダは無宗教者が国民の55%ぐらいを占めており、実際にジムでパーソナルトレーナーのエリーザと彼女と話をしていた別の女性に昇天日について尋ねると、この祝日が何を意味しているのかはあまり知らないようであった。いずれにせよ、明日の祝日を考慮して、天気の様子を見て買い物に出かける。今日もまた自分のペースで意識とリアリティの地動説の探究を進めていく。最近は、インド仏教思想に関する専門書の読解と並行して、量子論関係の専門書も読解を進めている。少しずつではあるが、専門用語がその考え方に慣れてきており、着実に理解が進んでいる実感がある。地道な基礎研究として、引き続きこの分野の探究を進めていく。最初は全くわからなかったことが少しずつわかるようになってくる楽しみを日々感じられるのは有り難いことである。来月末か再来月に入ったら、量子論の哲学に関する専門書をいくつか購入したい。そして、量子論の中でも特に注目している分野として量子情報理論というものがあり、それについても専門書を購入する予定だ。今のところ、購入候補の専門書は、オックスフォード大学出版、ケンブリッジ大学出版、ルートリッジ出版のもので、イギリスの学術系出版社のものとなる。候補の中にはプリンストン大学出版のものもあるが、学術系出版社の勢力図から何かが垣間見れそうである。フローニンゲン:2025/5/28(水)06:59


16767. 今朝方の夢

  

今日もまた今朝方の夢をゆっくりと振り返りたい。夢の振り返りは、心の治癒と変容につながるだけではなく、意識とリアリティの地動説の研究の一環でもある。夢の中で私は、現在イギリスのプレミアリーグで活躍する日本代表のあるサッカー選手がスタジアムのグラウンドで表彰される様子を眺めていた。彼と私は知り合いで、彼が日本代表になる前から関係性があり、現在の彼の活躍は知人としても大変誇らしく、活躍の背後にある彼の日々の努力に対して常に敬意を表していた。そんな彼が今季大活躍し、ベストイレブンに選出されたのは、自分ごとのように嬉しかった。表彰台に登る彼の表情はとても明るく、他のベストイレブンのメンバーとお互いを称え合う姿は感銘を与えた。スタジアムはとても盛り上がっていて、今季活躍した全員に拍手を送りながらも、ベストイレブンの中でも一際活躍していた彼に盛大な拍手が送られた。そのような場面の後には、同じくサッカー日本代表のスペインで活躍するある選手が自分のゼミに毎週参加していて、勉強熱心な姿勢に感銘を受けた場面があったのを覚えている。彼はプロサッカー選手としての練習で毎週土曜日の午後に時間が取れない時もあるが、仮にライブのクラスに参加できなくても、必ず自分でキャッチアップし、ゼミのシステムの中で積極的にコメントや質問を送っていた。人間の発達のプロセスとメカニズムについて学ぶことは、どうやら彼のサッカー選手としてのスキルを高めているだけではなく、人としての成長を促しているようだった。彼はこれからますます活躍が期待される選手であり、日本代表でもさらに存在感を増すであろうから、こうした可能性に満ちた人が自分のゼミに参加してくれるのは本当に有り難く、嬉しいことだと思った。


それ以外に覚えている夢の場面として、海辺で釣りをしていた場面がある。そこは確かに海辺で、岩場だったが、そこで釣れる魚は淡水魚のブラックバスだった。私はそこで、姿が半透明の友人と父と会話をしながら釣りをしていた。午前中の早い時間帯であれば20匹ぐらいは釣れるような予感があり、父も同様の予感をしているようだった。実際に父が大きなブラックバスを釣り上げたところで場面が突然変わり、私は実際に通っていた小中学校の体育館が混ざったような体育館の中にいた。電気は点けられておらず、少し薄暗い中、体育館のステージとその奥が全てレストランになっていた。厨房では数人のコックが料理をせっせと作っていた。良い香りが厨房から漂ってきて、ステージの方に近づいてみると、ステージの足元が魚焼きグリルになっていた。そこに80cmを超える大きな魚が2匹入っていて、上の網にはもう少し小さな魚が数匹いた。小中高時代のある親友(HO)が大きな2匹の魚の火加減の様子を見ていて、2匹の魚をひっくり返すと、1匹が地面に落ちてしまった。しかし、その地面もまた魚焼きグリルの一部であり、綺麗だったので何も問題はないようだった。彼にその最中の種類を尋ねようと思ったが、自分で類推するに、白身魚のシーバス(スズキ)のように思えた。ブラックバスは少し臭みがあるということを聞いたことがあり、一方シーバスは甘味のある味なのでそれを食べることが楽しみだった。ふと立ち上がると、ステージの脇の厨房から油の塊のボールが飛んできて、それをボレーシュートで合わせるゲームが行われることに気づいた。私は真っ先にそれに挑戦することにした。厨房にいるコックが油のボールを投げるタイミングと息が合わず、1回目はうまくいかなかった。2回目も私の動き出しが早すぎて、うまくタイミングが合わなかった。それを見て、そのコックはどうやらプライドがとても高いらしく、コックである自分がなぜこのようなゲームに付き合わないといけないのかと怒り始めた。その様子を見て、彼ではなく、もはや自動で機械から油のボールを投げてもらうように設定した方がいいと思った。怒ったコックは厨房の奥に行き、引き続き怒った表情で料理を作っていた。彼の怒りもしばらくすれば冷めるだろうと思っていた私は、近くにいた2人の女性友達と料理ができるまでしばらく体育館の外で話をしようと思った。それが良い気分転換になると考えたのである。フローニンゲン:2025/5/28(水)07:39


16768. 今朝方の夢の振り返り

        

ChatGPTは、今朝方の夢は、自己の多層的な成長プロセスが、サッカーという動的な舞台と「食―海(生命)―火(変容)」の象徴連鎖によって編まれた物語であると指摘している。冒頭、プレミアリーグで栄誉を受ける日本代表選手を眺める場面は、「公的世界での達成」という外向的自己理想の投影であり、同時に「知人として誇らしい」という感情が示すとおり、観客である自分自身がその栄光に共振するもう一人の主体であることを告げていると指摘する。スタジアムは巨大なコンテナであり、そこに満ちる喝采は潜在的エネルギーの海である。観客席からピッチを見下ろす自分は、まだ意識の安全地帯から眺めているが、表彰台に立つ彼の姿を「自分ごとのように嬉しい」と捉える時、栄光の光は既に自分の内面へ逆流している。すなわち、夢は成功した“友”を介して、自分自身が社会的承認を受け取る準備が整ったことを告げているであろうとChatGPTは述べる。そこで切り替わるのが、スペインで活躍する別の代表選手の「ゼミ参加」という奇縁である。プロの身体性とアカデミックな精神性が交差するこの場面は、「実践(フィールド)」と「研究(ラボ)」を縫い合わせる自分自身のライフワークを象徴している。彼が土曜午後のライブ授業に出られぬ時もキャッチアップを惜しまない姿勢は、「身体が不在の時にも精神は参画できる」という逆説を提示し、意識研究という抽象的営為が、アスリートの極度に具体的なパフォーマンスをも高め得ることを示唆する。ゆえにこの段は、知と行の統合が自分自身の探究テーマであり、同時に社会的貢献の鍵でもあることを強調している。次の海辺の釣りは、時間と空間の境界を攪拌する装置である。海という塩水圏で淡水魚ブラックバスが釣れるという矛盾は、「場違いな成果」や「本来の文脈を超え出る才能」を暗示するとChatGPTは述べる。半透明の友人は、未分化な可能性、あるいは亡き者·まだ顕現していない側面の人格であり、父と並び立つことで「家系的ルーツ」と「個体的未来」が重ね鏡となる。午前の早い時間に20匹釣れるという直感は、黎明期において豊漁(多産)が約束されているという無意識の確信であるが、大物を父が釣り上げた瞬間に場面が転換することで「父の功績を超えよ」という潜在命令が発動する。体育館とレストランが融合した空間は、「学び舎」と「養いの場」の錬金炉である。照明の落ちた舞台裏でコックが火を操り、大魚がじりじり炙られる光景は、原素材(経験)が心理的火(意識化)の中で栄養(智慧)へと変わる過程を示す。HOという旧友が魚を裏返す動作は、「過去の自我が現在の素材を反転させ、新たな面を露わにする」瞬間であり、魚が落ちても床全体がグリルであるため汚れない点は、「失敗に見える転機も本質的には炉の内部である」という夢特有の包摂構造を語る。ブラックバス(泥臭い自己イメージ)とシーバス(甘味ある白身の成熟イメージ)の対比は、粗野なエネルギーを精錬して軽やかな滋味へ変える心理的蒸留を示す。そして油の塊ボールをボレーシュートで合わせるゲームは、スポーツ的ダイナミズムと料理的変容が一点で交差する異種結婚の儀式であるとChatGPTは述べる。油は「未分化の感情エネルギー」、ボレーは「瞬時の意思決定」、そこに息が合わず失敗する二度の試行は、これから訪れる創造プロジェクトにおけるリズム調整の必要を告げる。プライドの高いコックは「高次のサブパーソナリティ」、つまり専門性やこだわりの象徴であり、機械に置き換えようとする発想は、情動を省き効率を優先する理性の介入である。怒りの火に包まれたまま料理を続けるコックは、統合途上のエネルギーがなお燃え盛っている徴であり、外へ出て友人たちと語る決断は、「内なる火力を安定させるために、あえて距離を置く」セルフケアの戦略を映している。全体構造を鳥瞰すれば、第一幕の「公的成功」から第二幕の「境界撹乱」、第三幕の「内的錬金」へと流れる三段円環が浮かび上がる。サッカースタジアムの光が海辺の曙へ降り注ぎ、そこから体育館の闇と炎に潜る旅路は、外界で得た栄光を内界で消化し、再び糧として外へ返す循環そのものである。この夢が象徴するのは、自分自身が研究者·教育者として築いてきた「知の舞台」を、今後いっそう社会的アリーナへ開き、同時に深層で感情と本能を丁寧に火入れし続ける必要性である。光と闇、海水と淡水、生と火、スポーツと料理という相反統合の諸相は、意識とリアリティの地動説という自分の探究テーマが、まさに夢そのものの運動学として顕現していることを物語る。もし現実の研究やゼミ運営、あるいは家族との関係で、ここしばらく「リズムが合わない」と感じる局面があれば、この夢のコックの怒りやボレーのタイミングを思い出し、オイルボール――すなわち情動の塊――をどう受け止め直すかを再検討すると良いだろう。逆に、栄光のスタジアムが告げた追い風を感じるならば、その風に乗りつつ、海辺と体育館の暗がりで進行する錬成を怠らぬことが、長期的な成功と成熟を保証する鍵であるに違いない。フローニンゲン:2025/5/28(水)07:55


Today’s Letter

After I obtain a PhD in Indian and Buddhist philosophy, I will begin studying the philosophy of quantum theory. At that time, my unique background in Indian and Buddhist philosophy will enable me to make a distinctive contribution to the field of quantum theory. This is my conviction. Groningen, 05/28/2025

 
 
 

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