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11161-11165: フローニンゲンからの便り 2023年10月25日(水)



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成人発達理論とインテグラル理論を楽しく学んでいただける「成人発達コラボラジオ」を2023年7月14日より始めました。

タイトル一覧

11161. ボストン旅行中に行いたいこと

11162. 今朝方の夢

11163. リテラシーと規制に加えて重要な事柄

11164. マイケル・ウォッシュバーンとラマナ・マハリシの書籍から

11165. 最大の公共善の実現に向かって


11161. ボストン旅行中に行いたいこと


時刻は午前6時を迎えた。天気予報を確認すると、今この時間帯は雲1つない晴天のようだ。しかし外は闇に包まれているのでその様子がわからない。ここから2時間ほど経てば明るくなり、その頃には朝日が拝めるだろう。今日は見事な朝日を拝めそうなのでそれが今から楽しみだ。


今週の日曜日から5年ぶりにボストンの旅行に出かける。それに伴って冷蔵庫の食材の量のコントロールを始めた。旅行前に全ての野菜を使い切っておきたい。その他の保存が効くものはそのままで良いだろう。旅行に向けた荷造りは前日にサッと済ませておきたい。アメリカに旅行するとは言え、それもこれまでの旅と同じなので、機内持ち込みのスーツケースとリュックだけを持ってコンパクトに旅行しようと思う。滞在先のホテルからホールフーズまでは歩いて行ける距離なので、滞在中の夕食は常にホールフーズの食材になるだろう。ホールフーズを活用するのも5年ぶりであり、依然と何か様子が変わっていないかを確認する楽しみがある。少し気が早いが、アムステルダムからボストンまでの7時間のフライトの時間には、HDSへの出願に際してのライティングサンプルの加筆修正を行いたい。以前にドラフトを作成して以降も何回か手直しをしたが、ここである程度最終版に近いものを作っておき、キャンパスビジットの際に話をする教授や研究者たちにミーティング前に送っておき、話の題材にしたい。帰りの便においては、今回キャンパスビジットで得られたことをもとに志望動機書のドラフトを加筆修正する。すでに作成しているドラフトの中でもキャンパスビジットでの経験を想定した記述がなされているが、実際にキャンパスビジットをして得られたことや考えたことを執筆する方がより説得力があるだろう。オランダに戻る日のフライトは夜なので、空港のラウンジや機内でじっくりと加筆修正をしていきたいし、それを待たずしてもボストン滞在の最終日は1日完全にフリーなので、HDSの図書館に行ってドラフトを出来る限り最終版に近づけることを行うのも良さそうだ。今のところその方が良さそうだと思っている。滞在最終日の方が朝に集中して取り組むことができるだろうし、HDSの図書館からエネルギーをもらえるような気もするので、より説得的かつ充実した志望動機書が執筆できるのではないかと思う。


今週末からのボストン滞在に展望を馳せたところ、今日は午前中にヒューマンポテンシャルラボさん後援の月1回の対談がある。そこではトランスヒューマニズムを始めとしたテクノロジーに関する思想的なことを扱っていくが、今日もひょっとしたらサイケデリクスについて取り上げることになるかもしれない。午後からは「インテグラル·サイケデリックラジオ」の第36回の収録がある。今日の収録もまた楽しみであり、どのような対話がそこで実現されるか期待に満ちている。フローニンゲン:2023/10/25(水)06:30


11162. 今朝方の夢


時刻は午前7時を迎えたが、依然として辺りは闇に包まれていて真っ暗なままである。ちょうどボストン旅行が始まる日の深夜2時に欧州のサマータイムが終わる。なので土曜日に荷造りをして眠りの世界に入っている最中にサマータイムが終わることになる。当日の朝は起床時間に気をつけたいと思う。サマータイムが終われば、しばらくは1時間ほど時間変更のおかげで日の出が早くなることを実感できるだろうが、フローニンゲンはこれからより日照時間が短くなり、寒さが厳しくなっていく。それもまた冬の楽しみであり、8回目の冬から得られることが今から楽しみで仕方ない。その学びは春を迎えたときに何かしらの芽をもたらすであろう。


今朝方は2つほど夢を見ていた。1つはサイケデリクスに関するもので、自分がある知人の方とサイケデリクスに関する勉強会を行っていて、今度そこでの勉強内容を広く一般に話をする機会に恵まれた。一般の方に向けた講演会に向けて、資料を作る中で、改めてハードドラッグとサイケデリクスの違いをきちんと説明する必要があると思った。後者だけを説明するのではなく、前者と後者についての両方の説明をすることで両者の線引きをきちんとすることが、聞き手にとっても正しい線引きができると思ったのである。そうした差異化をした上で、ハードドラッグとサイケデリクスのそれぞれに対して別々の規制の枠組みを提供することを政府に打診することになった。そしてそこでも差異化を終えた後には、ドラッグ全般の規制の枠組みを考えていくという統合化のフェーズまで見据えた打診をしていくことになった。それに向けて勉強するべき点や考察を深めていく点が多々あったが、これもまた自分の学習意欲を掻き立てるものであったし、何よりも国民の役に立っているという公共的実感があったことが探究の大きな支えになっているようだった。


もう1つ見ていたのは、知人の画家が自分に絵画の手ほどきをしてくれる場面だった。夕方の優しい日が地上に降り注ぎ始めた時間帯に、何かの集まりで訪れた旅館の一室で1人ポツンと残って何気なく画用紙に絵を描き始めたところ、その知人がひょっこりと顔を出し、自分に声をかけてきてくれた。てっきり私はもう彼女は帰ったと思っていたので、残ってくれていたことを嬉しく思い、自分が今どのような絵を描いているかを伝えた。すると、筆を使うのもいいが素手で描いてみるのはどうかと提案してもらい、早速素手で絵の具を触ってみたところ、その感触がなんとも言えず心地良く、そこからは没頭して素手で絵を描いていた。彼女はそれ以降は何も言わずずっと自分のことを笑顔で見守っていてくれて、絵が完成して没頭から覚めると、彼女はもうそこにいなかった。その代わりに脳内でテレパシーを送ってくれ、彼女がどこにいるかを教えてくれたので、今から旅館を出発して彼女に会いに行こうと思った。そのような夢を見ていた。フローニンゲン:2023/10/25(水)07:33


11163. リテラシーと規制に加えて重要な事柄


昨日はサイケデリクスを含めたドラッグ全般に関するドラッグリテラシーを高めていくことの重要性と、ハードドラッグとサイケデリクスの規制を分け、ドラッグポリシーをより健全なものにしていく必要性について考えていたように思う。インテグラル理論の枠組みで言えば、前者は左下象限の現象で、後者は右下象限の現象かと思う。国民全体のドラッグリテラシーを高めること、そして規制の枠組みを整えることも重要なのだが、それだけではどこかうまくいかないような気持ち悪さを感じていた。それが何かを考えてみたときに、現在の日本の共同体が底抜けし始めている現象に焦点を当てなければならないと思ったのである。規制の枠組みを整えるだけではうまくいかず、ドラッグの何が危険で、どのようなドラッグは何に効力があるのかを示すという啓蒙活動に合わせて、ドラッグについて話題に挙げて身近な人と語り合えるような共同体精神が必要になると思ったのである。ドラッグリテラシーというのは狭義には1人1人が獲得していくものであり、そのリテラシーを真に意味のあるものにするためには、獲得されたリテラシーを通じて身近な他者と対象について語るということが重要になる。現在は、表面的に対話の重要性が叫ばれているが、何のことはない、そこで話題に上がるのは取り扱いが容易なものばかりであり、対話の難しい話題や社会的にタブーになっているような話題が取り上げられることはほとんどないのである。そのような表面上の対話をいくら行ったところで問題が解決されるわけでも、何かが健全化されるわけでもない。そもそもそのような次元の対話は対話とは最初から言えないのである。


ドラッグと括るとあまりにも範囲が広くなり過ぎてしまうので、少なくともハードドラッグとサイケデリクスに関するリテラシーを1人1人が高めていき、それらの規制の整備と健全化を進めていきながら、「そんな危ないハードドラッグは摂取しない方がいいぞ」「そのような課題にはこのようなサイケデリクスが有効だ」というような形で友人や知人と自然と対話が起こるような共同体を作っていく必要があるように思える。これは何もハードドラッグやサイケデリクスに関する話題だけではなく、その他の社会的にタブーだとこれまで蓋をされてきたような話題に対しても同じである。とにかく自分で抱え込まず、他者からのフィードバックを得られるような対話する共同体の実現に向けた取り組みを合わせて行っていかなければならない。そのようなことを考えていた。フローニンゲン:2023/10/25(水)07:54


11164. マイケル・ウォッシュバーンとラマナ・マハリシの書籍から


時刻は午前8時半を迎え、ようやくこの時間になってほぼ完全に朝の世界がやってきたと言えるかもしれない。スカイブルーの見事な朝空が広がっていて、その優しい輝きに存在が吸い込まれそうである。そうした視覚世界だけではなく、聴覚世界としても小鳥たちの清澄な鳴き声が辺りに染み渡っている。特にキッチン側の窓の外にいる小鳥の鳴き声は本当に素晴らしい。その鳴き声に耳を傾けているだけで至福さが滲み出てくる。それは決して巨大なものではないが、むしろ小さいがゆえに深く染み渡っていく感じを自分に与えるのだろう。


早朝のこれまでのところ2冊の書籍を再読した。ここ数日間はサイケデリクスに直接関係する書籍ではなく、サイケデリクス体験で触れる高次元の世界に関する書籍を読んでいた。そうした世界は超越世界と表現されたり、トランスパーソナルな世界と表現されたり、実に様々な表現がなされるが、いずれにせよそうした霊的世界に関する書物を読んでいたのである。最初に着手したのは、トランスパーソナル心理学に大きな貢献をし、ケン·ウィルバーの霊性発達モデルに建設的な批判を加えているマイケル·ウォッシュバーンの書籍である。この書籍を再読しながら、改めて存在の動的な基盤(the Dynamic Ground)がいかに発達していくかについて考えさせられた。サイケデリクス体験と絡めれば、一度その基板から解離した私たちがサイケデリクスを通じて基盤との再統合を図ろうとする際には、これまで基盤と解離していた状態で抑圧していた様々なものが吹き荒れる可能性がある点に注意が必要である。まさにそれは「発達に伴う膿み出し」として不可避な現象なのだが、その膿み出しをいかに行っていくかのプロセスの慎重さはとりわけ摂取者やサイケデリクスを活用した支援者に求められることだろう。もちろん全てのサイケデリクス体験でこうした発達に伴う膿み出し現象が起こるとは限らないが、それが起こり得るという前提の元、それが起こったときにどう対処するのかを考えておくことは重要になる。ある意味、自らの霊性を呼び覚ますということは自らのリビドーを呼び覚ますことでもあるということを念頭に置いておこう。


もう1冊の書籍は、インドの賢者ラマナ·マハリシの著作集である。こちらも2年前に初読を終え、2年振りに読み返してみたところ、1つ内面探求的内省に関して重要な指摘を見つけた。私たち誰しもが持つ自分に対する誤った信念というのは、それそのものはサトル次元にあるものだ。しかしそれはグロスボディに刻まれているものでもあって、内面探求的内省を通じてそうした誤った信念を取り除いていく試みは、グロスボディを清浄化していく作業でもあるということを改めて学ばされた。よりわかりやすい表現で言えば、正誤を問わず自らの信念は精神空間上に存在するだけではなく、自らの身体にも宿っていて、肉体にも影響を与えているということである。集合に意識を向ければ、社会的に構築された病理的信念や精神を信奉している場合、それが自らの肉体に刻印され、自分の肉体に何かしらの影響を与えているという自覚が必要になるだろう。その自覚を出発して、内面探求的内省を通して、そうした1つ1つの誤謬的信念を取り除いていく作業が求められる。そのようなことを考えていた。フローニンゲン:2023/10/25(水)08:34


11165. 最大の公共善の実現に向かって


時刻は午後4時半を迎えた。早朝から昼にかけてはあれだけ晴れていたのだが、午後からは天気予報通りに小雨が降り始めた、今もシトシトとした雨が地上に降り注いでいる。


今日も午前中の読書が捗り、いくつも発見があったが、それ以上に午前中のヒューマンポテンシャルラボさんの後援の対談と午後からのラジオ収録での学びが多かった。ラジオの中でも話題に挙がったが、やはり自らが言葉にし、それを他者に聞いてもらって何かしらのフィードバックをもらえることがさらなる学びにつながっているのを実感するし、そもそも他者の意見の内容と切り口から愛ばされることが非常に多く、ここに対話の価値を改めて実感した次第だ。


そこからは再び1人での探究活動に戻り、とりわけ日本社会に潜むドラッグに関する闇の現状を見つめていくことを行っていた。それは文献を通じてではなく主に動画を視聴することを通じて行い、動画を見ながらそうした現象を生み出している構造に眼差しを向けている自分がいた。表象として現れている現象をどれだけ見ても、そしてその現象に対する対処療法をどれだけ行おうとも問題が根本的に解決することはなく、重要なことは兎にも角にも問題を生み出している構造に働きかけることなのだ。これはいつも述べているようなことだと思うが、実際には構造の特定は難しいし、構造に働きかけていくアプローチも難しい。だがそうした難しさにたじろぐことなく、ドラッグによって人生を棒に振ってしまう人を救済する意味でも、この問題の構造の詳細な分析と構造に対しての具体的な働きかけを見出していくことをこれからの自分の探究上と実践上の最大の関心事項としたい。構造を捉える目を養う努力を怠らず、この問題の解決に向けた知識と技術を高めていくことにもはや余念はない。


今日の午前中の対談の中で、人が高次元の意識にアクセスし、そこから治癒と変容の効果を得る方法には多様なものがあるという話題が挙がった。まさにその通りなのだが、その中の道の1つであるサイケデリクスの価値と役割をどのように位置付け、その道も否定しないことの大切さについて考えていた。仮にサイケデリクスの価値と役割を発見することに失敗し、その道を否定することは、結局これまでと変わらず、ハードドラッグなどと一緒くたにされて過去の失敗を繰り返すだけである。ゆえにまずはハードドラッグとサイケデリクスの明確な差異化が必要であり、両者が未分化のまま地下世界に潜ることを避けなければならない。現在欧米の大学や研究機関で各種の医療効果に着目したサイケデリクスの研究が進んでいる動向を踏まえ、サイケデリクスもまた治癒と変容をもたらす多様な道の1つでありながらも、同時に固有の価値や効能を持つものでもあるため、サイケデリクスという存在の居場所をきちんと作っていくことが今後強く求められる。サイケデリクスについて何も知らない状態でそれを排斥しようとするのは、未分化の未成熟な知性の現れであり、きちんとした知識伝達と啓蒙活動をした上で、ハードドラッグとの差異化を果たして初めて、サイケデリクスが必要な人に必要な形で活用されるという健全な社会実装が行われ始めるのではないかと期待する。色々と前途多難ではあるが、この道が自分の進む道であるという使命感のもと、絶えず学び、絶えず実践をしながら最大の公共善を実現していく道を常に探していきたい。フローニンゲン:2023/10/25(水)16:59

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