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10369-10372: フローニンゲンからの便り 2023年5月20日(土)



No.4765 光の中で(その1)_In Light (Part 1)


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本日の3曲


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タイトル一覧

10369. 今朝方の夢

10370. 今朝方の夢の続き

10371. 死生観を探究しながら

10372. 色彩豊かな世界の中で


10369. 今朝方の夢


時刻は午前7時半を迎えようとしている。今、朝日が燦然と輝いていて、1羽の小鳥が高らかに鳴き声を上げている。どうやら今日もまた1日を通して天気が良いようで、最高気温は18度ほどになるようなので比較的暖かい。月曜日まで暖かい日が続き、火曜日からまた少し肌寒くなるようだ。気温に関してはまだ肌寒さが残るが、もう完全に冬を抜けた感じがするのは、天気の良い日が格段に増えたことと、日照時間の長さだろう。昨夜は寝る時間になってもまだ明るく、午後10時前の段階ではまだ完全に日は沈んでいなかった。確か6月の半ばぐらいが日没時間のピークで、午後10時半近くまで明るさが残っているような感じにこれからなるだろう。


今朝方はいくつかの断片的な夢を見ていた。夢の中で私は、数人の友人と釣りをしていた。そこは海ではなく、溜池のような場所で、ミミズに似せたワームを使ってブラックバスを釣ろうとしていた。しばらく釣りに興じていると、右隣にいた友人に当たりがあり、彼のロッドを見ると、竿先がかなりしなっており、大物が引っ掛かったのだと分かった。懸命にリールの糸を巻き取っている彼の姿を固唾を飲んで見守っていると、大きなブラックバスが顔を出した。それを釣り上げて早速大きさを測ってみたところ、50cmほどの大きなブラックバスだと思った。ところが正確に測ってみると、それは40cmを越すぐらいで、両手に当てはまるぐらいのサイズだった。しかしそれでも立派なブラックバスであることには変わりなかったので友人を褒め称えた。すると池のそばに建っている家の2階の窓から声が聞こえたので見上げると、そこに住んでいる中年の男性がいた。その方の奥さんも横にいて、私たちに何が釣れたのかを尋ねてきたようだった。ブラックバスが釣れたことを伝えると、2人の話によれば、以前も別の人がここで大きなブラックバスを釣ったようだったが、その男性は素行が悪く、ブラックバスを逃す際に池に放り投げて、ブラックバスがお腹から水面にぶつかってしまっていたたまれなかったのことだった。私たちはそんなマナーの悪いことはせず、ブラックバスを大切にしながら優しく池に逃すことにした。そのような場面があった。


その他には、北半球の冷たい海の上にいる場面もあった。そこでは私は夢を眺める者として存在していた。海の上に浮かぶ氷の上に数人の男女がいた。彼らはどうやら何かの罰でそこにいるようで、刑の執行人が彼らに罰を与えた。その中身は残酷で、氷の中に彼らを閉じ込めるというものだった。氷の中に閉じ込められた彼らは苦しそうにしていたが、それぞれが閉じ込められた氷はどれも弱点があって、それに気付けば氷を割れるようになっていた。刑の執行人はもうその場におらず、氷に閉じ込められた彼らが全員無事に氷を割れるかどうかハラハラしながら彼らを見守っていた。そんな場面もあった。フローニンゲン:2023/5/20(土)07:40


10370. 今朝方の夢の続き


小鳥たちが引き続き静かな歌声を上げている。耳を澄ませば、そよ風の歌声も聞こえてくるかのようであり、心の耳を澄ましてみると、朝日の歌声も聞こえてくるかのようだ。肉眼、心眼、魂眼と同様に、肉耳、心耳、魂耳というものが存在していることを忘れてはならない。それらの眼と耳を開発してみると、これまで見えなかった様々なものが見え、これまで聞こえなかった様々なものが聞こえるだろう。それは幻覚や幻聴とは一線を画す現象である。


今朝方の夢の続きを静かに振り返っている。夢の中で私は、今の家のオーナーのフレディさんの別荘に招待され、そこを訪れていた。そこは別荘兼美術館になっていて、家の中の壁には至るところに絵画作品が飾られていた。家自体は2階しかないが、敷地面積が相当に大きく、家の中にある絵画作品を見ていくことは見所が多く時間を要した。どうやらそこはある時間帯は一般の人にも開放されている美術館になっているようで、訪問者の間隔を空けながら入場させるようにしているようだったので、落ち着いて鑑賞できるようになっていた。壁にかかった作品はどれも素晴らしく、フレディさんを描いた自画像の前で足を止めた。その作品は単なる自画像ではなく、抽象性も取り入れられていて、不思議な魅力があった。すると突然、私は激しい尿意を催した。なのですぐにトイレに行こうと思ったが、トイレに行く時間がないほどの尿意だったので、どうしたものかと思った瞬間に、ズボンを下ろしていないにもかかわらず、不思議なことに自分の尿が自画像と天井にかかった。天井と自画像の上からポタポタと滴り落ちる透明な尿を見た時にはしまったなと思ったが、どういうわけかそれは自分の尿ではないように思えてきて、自分の責任ではないと一瞬思った。しかし、それは紛れもなく自分の尿のはずなので、すぐさま尿を拭こうと思ったが、自画像の上の方かつ天井にかかっていたし、さらにはタオルやティッシュなどを持ち合わせていなかったので困ったなと思った。そこでは私は開き直り、自然に乾燥するだろうと思って、気にせずにその場を離れることにした。とは言え、作品と天井に自分の尿がかかっていて気にせずにはいられず、足早にその場を離れ、来た廊下を逆走し、階段から下の階に降りて外に出ようとした。すると偶然にもフレディさんに遭遇し、フレディさんは知り合いの女性を招待していたようで、その女性と一緒に館内の作品を解説しながら歩いていた。私は少し動揺していたが、それを画すように平然さをなんとか装ってフレディさんとその女性に挨拶した。あまり長く会話をしていると動揺を隠しきれなくなりそうだったので、挨拶もそこそこにその場を後にすることにした。フレディさんとその女性以外は館内に人がいないようだったのは幸いで、あとは2人があの作品の前に到着するまでに尿が自然乾燥することを祈った。自分の計算では作品の上と天井からポタポタと尿が滴り落ちることは止まっていて、少し水滴が残るぐらいまで落ち着くのではないかと思った。しかし、フレディさんが仮に尿のサンプルをDNA鑑定でもすれば、自分の尿だとバレてしまうと思ったので、正直にフレディさんに伝えたほうがいいかもしれないと思った。そのような夢を見ていた。フローニンゲン:2023/5/20(土)07:59


10371. 死生観を探究しながら


時刻は午後1時半を迎えた。空は青く輝いていて、今日はそよ風も気持ちがいい。後ほど気分転換に近所のショッピングモールに行き、そこのHolland & Barrettという店でプロテインを含め、必要なものを購入してこようと思う。


正午前まで行われていた今日のゼミナールのクラスを振り返っている。前回から死生観を扱い始め、今日もまた引き続きそのテーマで対話を重ねていった。死生観について学ぶというのは、自分の中では有限性と無限性について考えさせてくれるものでもあり、哲学とも繋がってくる。さらには、自分の死生観を見つめることを通じて、美しく生きることに関する美学と、善く生きることに関する倫理学が関係してくる。このように、引き続き自分にとって大事なテーマと絡めて死生観を探究していきたい。自分の死生観がより深いものになってくればなるだけ、自らの生き方が確固としたものになり、日々がより充実したものになるだろう。死への眼差しを研ぎ澄ませていきながら、これからも生命の燃焼過程としての生を充実させていこう。


ゼミナールのクラスの前には少しばかりGREの対策をしていた。今から引き続き対策を進めていく。午前中の対策の中でふと、細かなことだが重要な工夫として、数学のセクションでスクリーン上の電卓を使うのであれば、マウスを使って数字をクリックしていくのではなく、キーボード上の数字を入力した方が圧倒的に早いことに気づいた。時間に追われる本番では、こうしたちょっとしたことの積み重ねがものを言う。これからまた数学の対策を行う際に電卓を使う問題があれば、キーボードを通じて数字を入力するようにし、今後解く模擬試験でもそのような形で数字の入力をしていこう。まだまだ色々と工夫できることが見つかることは楽しいことであり、こうした些細なことに楽しさを見い出せるというのもまた日々を幸福感に包まれた形で過ごすことにきっと繋がるはずである。GRE対策はそうしたことにも気付かせてくれる素晴らしい機会として存在している。フローニンゲン:2023/5/20(土)13:49


10372. 色彩豊かな世界の中で


時刻は午後5時を迎えた。今、書斎の窓から見える景色をぼんやりと眺めている。すると、車庫の上に植えられた色取り取りの草花が目に止まった。白い花、赤い花、黄色い花が小さく咲いていて、それらを眺めていると心が癒される。


先ほど、近所のショッピングモールに散歩がてら行って買い物をしてきた。その道中には美しい運河があって、今の季節はその周りは緑に色付いている。今、そうした色彩豊かな世界の中にいることを嬉しく思う。多様な色は自分の心の癒しにつながっているようだ。そこから、誰かの癒しにつながることを祈りながら、自分の色をこの世界に顕現させていくことを静かに求め続けたいと思った。


数日前に作曲実践をしている時にふと、作曲実践は音で絵を描いている感覚があった。外面上においては音符で絵を描き、内面上においては音の響きで音楽的絵画が立ち現れてくる感じである。音を通じて絵を描く楽しみとしての作曲実践がここにある。音に関する外面と内面、すなわちsignifierとsignifiedを通じた幾何学的な作曲実践を日々自分は楽しんでいるのだと思う。


今日もまた毎週の土曜日と同じくゼミナールが充実していた。いつも何か派手に大きな発見や気づきがあるという感じではなく、着実な発見や気づきがあるという感じである。その蓄積は今後の自分を形成していき、その蓄積は大きな花を咲かせるであろう。そう考えてみると、毎週土曜日のゼミナールのクラスは将来に向けて種を撒いている感じであり、同時にそれが絶えずその瞬間の自分の養分になっているのを実感する。また、今日のクラスでのやり取りの内容と絡めると、毎回のクラスは自分にとって適切な負荷を与えてくれる場でもあり、こうした負荷を継続的に与えていくことによって、自己はまたより育まれていくのだと思う。そのようなことを感じさせてくれる今日のクラスを終えて、これからまた小さく地道な実践としてGREの対策の続きに少々取り掛かろうと思う。フローニンゲン:2023/5/20(土)17:08


本日の自由詩(free verse)

No.2977, A Morning Flower

A morning flower blossoms in my heart.

It smiles at the world.

Groningen; 08:31, 5/20/2023


No.2978, Celebration for Rebirth

The world celebrates my rebirth every minute.

I’m in such a celebrated continuous process.

Groningen; 13:07, 5/20/2023


No.2979, A Dance of the Evening Wind

The evening world enjoys a dance.

The dance empowers all sentient beings.

Groningen; 19:35, 5/20/2023

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