
3455. 学習への没頭
時刻は午後の六時半を迎えた。これから入浴をし、夕食を食べる。夕食後には、再び作曲理論の学習を行い、本日最後の作曲実践を行う。 今は作曲の実践よりも、とにかく作曲理論の基礎を固めることに集中している。今日の学習もかなりはかどり、着実に作曲理論を学んでいる自分がいる。 今日は夕方の時間を除いて、基本的には他の時間はすべて作曲理論の学習を行っていた。夕方には、明日の勉強会に向けて論文を再度読み直し、解説のポイントをまとめていた。 それ以外の時間は、本当にすべて作曲理論の学習に時間を充てており、学びに伴う喜びと充実感に絶えず包まれていたと言える。今は本当に、発達理論の学習にのめり込んでいた時と同じぐような感覚に包まれて日々を過ごしている。 理論を学ぶ面白さに絶えず触れている感覚がそこにある。いや、絶えず作曲という実践が伴う分、作曲理論を学習することは発達理論を学習することを越える喜びをもたらしていると言えるかもしれない。 それほどまでに、作曲理論に没頭している自分がいる。あまり消化に良くないのかもしれないが、実は昼食と夕食を食べている時にも音楽理論に関す

3454. 師走近づく日の午後に
時刻は午後の二時半を迎えた。つい先ほど仮眠から目覚め、これから夕方に向けての取り組みに従事していく。 今日も午前中から、作曲理論に関する学習を進めていた。今日はとりわけ、作曲で活用する和音について学びを深めていた。 これまで知らなかったような和音が次から次へと現れ、それらの特性を学びながら、今日からの作曲実践にすぐにでも活用したいと思っていた。夕方にもう一度作曲実践をしようと思っているので、その時に本日の学習内容を積極的に活用したい。学習即実践であり、実践即学習のサイクルを継続させていく。 仮眠を取る前あたりから、少しばかり小雨が降っていたようだ。それに気づかないほど仕事に没頭していた。仮眠の前には、協働プロジェクトに関するメールに対して返信をしていた。 今日はそれほど風が強くないのだが、道行く人の姿を眺めていると、重たそうに自転車のペダルを漕いでいる人が多い印象だ。薄い雲が覆われた寒空の中を、多くの人たちが自転車に乗りながら通り過ぎていく。 そういえば、午前中に、一羽の小鳥が裸の街路樹のてっぺんに止まった光景を目にしていたことをふと思い出した。

3453. 理論体系の発展過程
闇に包まれたフローニンゲンの早朝。時刻は七時を過ぎ、後一時間ほどすれば、辺りはうっすらと明るくなってくるだろう。 今日と明日は、午後から小雨が降るようだ。そうしたこともあってか、今日と明日の気温はそれほど低くない。 今日と明日のみならず、実際には来週の初旬までは、比較的穏やかな気温が続く。肌を刺すようなマイナスの世界が広がるのは、もう少し後になるだろう。 今朝方の夢について再度思い返している。そういえば、夢の途中で、父が現れ、「スリーポイントシュートなど自分の時代にはなかった」と述べていたのを思い出した。 その点については、現実世界の中で、実際にバスケをしていた母から聞いたことがある。父はバスケの経験者ではないのだが、そのようなことを述べながらスリーポイントシュートを次々に打つと、自分よりも成功確率が高いことに驚かされた。そのような場面があったことを覚えている。 夢の内容にここでもう一度立ち返ると、興味深いのは、私に近寄ってきた見知らぬ男性が勧める一風変わったシュートフォームの意味である。あのフォームそのものの意味についてここで述べようとしている

3452. 今朝方の印象的な夢
今朝は六時過ぎに起床した。起床した時の外の気温はマイナス2度とのことであったが、室内ではそれほど寒さを感じない。外は寒いが、家の中は暖かいというのはオランダの家の特徴である。 昨日に引き続き、今朝方も印象に残る夢を見ていた。夢の中で私は、実際に通っていた中学校か高校の体育館にいた。 そこで私はバスケの練習をしていた。特に、何人かの友人たちと一緒に、スリーポイントシュートの練習を楽しくおこなっていた。 友人たちを眺めてみると、バスケの経験のない者も何人かいて、さらには友人だけがそこにいると思っていたのだが、見知らぬ人もそこにいた。私が黙々とシュート練習をしていると、見知らぬ一人の人物が私に声をかけてきた。 見知らぬ男性:「そのシュートフォームはあまり良くないですね。こうやってシュートを打つと良いですよ」 その男性は私に近寄るなりそのように述べた。私はこれまでの自分のフォームは、シュート理論に則る正しいものだと思っていた。しかしその男性は、そうした理論から逸脱するようなフォームを勧めてきたのである。 私:「そのフォームはあまり正当なものに思えないので

3451. 本日の作曲理論の学習を振り返って
今日も気がつけば夕方を迎え、今となってはもう夕食後の時間になっている。今日は一日中作曲理論の学習に時間を充てていた。 今は作曲理論を学ぶことが楽しくて仕方ないという状況にある。これまで知らなかった事柄を次々に知っていくことや、これまであやふやになっていた知識項目を一つ一つ理解していくプロセスそのものに喜びを見出している。 さらには、学習した事柄を実際の作曲実践の中で活用してみることも大きな喜びである。作曲実践は本当に実験の場であり、学んだことを試しに活用し、そこで試行錯誤することの中にも喜びがある。 興味深いのは、作曲理論を学んでいる最中において、ある項目が理解できた時のみならず、理解できずに頭を悩ませている時ですら喜びの感情が根底にあるということである。また、作曲実践の最中において、学んだことがうまく適用できた時のみならず、うまく適用できない時にも喜びの感情が自分の内側に湧き上がっていることは面白い。 作曲理論を学ぶこと、作曲実践の双方において、何がどうあっても学習と実践の喜びが絶えずそこにあることに気づく。これは進歩を遂げていくための貴重な資

3450. 作曲理論の学習方法と師匠につく意義について
今日は午前八時を過ぎてからしばらく経ったあたりに夜が明け始めた。昨日に引き続き、午前中は作曲理論の学習に集中していた。 当初の予定通り、本日からまとめノートを作りながらテキストを読み進めている。テキストに書かれている事柄を自分の言葉でまとめ直すことは、とても学習になると実感している。 掲載されている図も、改めて自分の手を動かしてまとめて直してみると、その図の意味がより頭に入ってくる。面白いことに、手を動かして学習すればするほどに、知識項目が単に頭に入ってくるだけではなく、身体全体に染み渡っていくような感覚がある。 こうした感覚は今後も大切にしていき、学習の際にはこうした感覚が起こっているかどうかを絶えず確認していくようにする。仮にそうした感覚がしないまま学習を進めているのであれば、それは学習方法がどこかおかしいと言えるだろう。 テキストの学習項目をノートにまとめていくだけではなく、今日からはMIDIキーボードを使って、実際に音を出しながら学習を進めている。これまでは作曲ソフト上における楽譜しか見ていなかったが、実際にキーボードを使って音を出してみ

3449. 理論の大切さを示唆する夢
時刻は午前七時を迎えた。この時間帯は、辺りはまだ真っ暗であり、日の出まではあと一時間半ぐらい待つ必要がある。 今朝方の夢について先ほどまで振り返っていた。やはり印象に残っているのは、道路の上で作曲をしていたことだろう。 道路の上に音符を置き、出来上がった八小節の音の流れについて思い出している。どのようなメロディーが流れていたのか定かではないが、道路から自分が作った曲が流れてくるというのは不思議な感覚であったことを覚えている。 その後に見た、丸の内のような場面での夢のあと、実はもう一つ夢を見ていた。完全に場面が変わり、私は欧州のサッカーの試合の解説現場にいた。 対戦している二つのチームは、それぞれ欧州の名門チームであり、私は解説者の説明に耳を傾けていた。私の役割は、成人発達理論の観点から、とりわけサッカー選手の知性に関する観点から解説を補助することであった。 私の横にいたスペイン人の解説者は、実際に現在試合を行っている名門チームにかつて所属していた選手だった。その解説者は、自分が選手であったことからか、選手目線での丁寧な解説を行っていた。 一つ印象

3448. 今朝方の印象的な夢
今朝は六時に起床し、六時半から一日の活動を開始させた。今日の最高気温は3度であり、最低気温はマイナス1度である。 ここ最近は随分と冷え込んでいたが、明日からは雨の降る日が多くなるためか、気温が上がる。天気は優れないが気温は暖かくなるというのは、嬉しいのやらそうでないのやら複雑なところだ。 いずれにせよ、フローニンゲンはすっかり冬らしくなった。おそらく来週の前半まで続く雨の日が終われば、気温が一気に低くなるだろう。 今朝方の夢について少しばかり思い出している。夢の中で私は、ロサンゼルスのダウンタウンと東京の丸の内を合わせたような町にいた。 最初私は、ロサンゼルスの道路を彷彿させるような道の上にいた。その道路は、ある法則性によって区画化されており、一つ一つの区画に対して、私は道の上に大きな音符を描いていった。 どうやら私は、道の上で作曲を行っているようだった。楽譜上の一小節に該当するのが道路の一区画であり、一つ一つの区画ごとに音符を並べていった。 ちょうど八小節分、つまり八区画ほど道の上に音符を置いて音楽を作った時に、私は知人を駅に迎えに行くことを思

3447. 作曲理論の学習に伴う喜びと充実感
気がつけば夜の八時半を迎えていた。週の始まりの月曜日が静かに終わりに向かっている。 今日は作曲理論を集中的に学ぶ一日であり、明日もそのような一日にしたいと思う。とにかくここからは、作曲理論の基礎を構築することに集中したい。 作曲理論の基礎を確立したら、再び旺盛に作曲をしていくのと同時に、自分が好む作曲家の実際の楽譜を次々に分析し、そこから作曲上の着想を得ていく。それを行うために、もうしばらくしたら、楽曲分析のための参考文献を購入しようと思う。 分析を通じて得られた事柄は逐一作曲ノートに書き留め、それを自分の作曲の中で活用していく。現在学習している作曲理論のテキストの一読目を終え、明日からは二読目に入る。 この時には、早朝の日記で言及していたように、MIDIキーボードで実際に音を出しながら学習をしていくのと合わせて、自分でまとめノートを作っていく。さらには、テキストの中にある課題を拡張させて、それを元に練習曲のような短い曲を作っていく。それは16小節ぐらいで十分だろう。 これまでに作ってきた600曲は、一つ一つの音符を置く際に、それはすべて直感であ

3446. 作曲理論の集中的な学習に向けて
日の出の時間がどんどん遅くなる今日この頃、今日は午前八時半を迎えてようやく辺りが明るくなり始めた。今は午前11時に近づいていることもあり、すでに辺りは明るい。 早朝にバッハの四声のコラールに半を求めて一曲作り、その後は作曲理論の学習を進めていた。作曲理論の学習がますます面白くなってきている。 そうした気持ちにさせてくれているのは、理論を学べば学ぶほど、作曲技術の幅が拡張していくのを実感できているからだろう。もちろん、学んだことを自由自在に使いこなすには膨大な訓練が必要だが、新たなことを学んだ瞬間に、自分の内側で何かが広がった感覚がある。 理論を学ぶことの大切さはまさにこの点にあるように思えてくる。発達理論と同様に、作曲理論は本当に奥深い。その奥深さを実感するたびに、ますますそれを学びたくなってくる。 ここから三ヶ月程度は特に、一日に三曲作るのではなく、二曲にとどめ、その代わりに徹底的に作曲理論を学んでいこうと思う。作曲理論の中には当然ながら音楽理論が含まれており、作曲及び音楽そのものに対する理論的な理解を深めていく。 この冬は、とにかく作曲理論の