Search By Tags

3455. 学習への没頭

時刻は午後の六時半を迎えた。これから入浴をし、夕食を食べる。夕食後には、再び作曲理論の学習を行い、本日最後の作曲実践を行う。 今は作曲の実践よりも、とにかく作曲理論の基礎を固めることに集中している。今日の学習もかなりはかどり、着実に作曲理論を学んでいる自分がいる。 今日は夕方の時間を除いて、基本的には他の時間はすべて作曲理論の学習を行っていた。夕方には、明日の勉強会に向けて論文を再度読み直し、解説のポイントをまとめていた。 それ以外の時間は、本当にすべて作曲理論の学習に時間を充てており、学びに伴う喜びと充実感に絶えず包まれていたと言える。今は本当に、発達理論の学習にのめり込んでいた時と同じぐような感覚に包まれて日々を過ごしている。 理論を学ぶ面白さに絶えず触れている感覚がそこにある。いや、絶えず作曲という実践が伴う分、作曲理論を学習することは発達理論を学習することを越える喜びをもたらしていると言えるかもしれない。 それほどまでに、作曲理論に没頭している自分がいる。あまり消化に良くないのかもしれないが、実は昼食と夕食を食べている時にも音楽理論に関するポッドキャストを聞いている。 アメリカ人の二人の若い教授がエンターテイメント性に溢れるやり取りをしながら音楽理論について解説しているものを聞きながら飯を食べている。そういえば、発達理論に没頭していた初期において、特にジョン・エフ・ケネディ大学に在籍していた時は、確かに昼食と夕食時に、発達理論に関するオーディオを常に聞いていたように思う。 そればかりか、何かしらの移動の際には必ず発達理論に関するオーディオを聞いていたように思う。文字どお

3454. 師走近づく日の午後に

時刻は午後の二時半を迎えた。つい先ほど仮眠から目覚め、これから夕方に向けての取り組みに従事していく。 今日も午前中から、作曲理論に関する学習を進めていた。今日はとりわけ、作曲で活用する和音について学びを深めていた。 これまで知らなかったような和音が次から次へと現れ、それらの特性を学びながら、今日からの作曲実践にすぐにでも活用したいと思っていた。夕方にもう一度作曲実践をしようと思っているので、その時に本日の学習内容を積極的に活用したい。学習即実践であり、実践即学習のサイクルを継続させていく。 仮眠を取る前あたりから、少しばかり小雨が降っていたようだ。それに気づかないほど仕事に没頭していた。仮眠の前には、協働プロジェクトに関するメールに対して返信をしていた。 今日はそれほど風が強くないのだが、道行く人の姿を眺めていると、重たそうに自転車のペダルを漕いでいる人が多い印象だ。薄い雲が覆われた寒空の中を、多くの人たちが自転車に乗りながら通り過ぎていく。 そういえば、午前中に、一羽の小鳥が裸の街路樹のてっぺんに止まった光景を目にしていたことをふと思い出した。その小鳥は、少し休んでから、どこかに飛び去って行った。 時の流れは早いものであり、今年もあと少しで師走を迎え、一年が終わる。四ヶ月前にフローニンゲン大学でのプログラムを終えてからは、再び自由の身となり、自分の望む探究と仕事だけに従事できる日々が過ごせている。 一切強制的なものがなく、多岐にわたる自分のライフワークの一つ一つに思う存分取り組む中で日々が過ぎていく。 来年はどのような年になるだろうか。今年と同様に、絶えず自分のライフワークに

3453. 理論体系の発展過程

闇に包まれたフローニンゲンの早朝。時刻は七時を過ぎ、後一時間ほどすれば、辺りはうっすらと明るくなってくるだろう。 今日と明日は、午後から小雨が降るようだ。そうしたこともあってか、今日と明日の気温はそれほど低くない。 今日と明日のみならず、実際には来週の初旬までは、比較的穏やかな気温が続く。肌を刺すようなマイナスの世界が広がるのは、もう少し後になるだろう。 今朝方の夢について再度思い返している。そういえば、夢の途中で、父が現れ、「スリーポイントシュートなど自分の時代にはなかった」と述べていたのを思い出した。 その点については、現実世界の中で、実際にバスケをしていた母から聞いたことがある。父はバスケの経験者ではないのだが、そのようなことを述べながらスリーポイントシュートを次々に打つと、自分よりも成功確率が高いことに驚かされた。そのような場面があったことを覚えている。 夢の内容にここでもう一度立ち返ると、興味深いのは、私に近寄ってきた見知らぬ男性が勧める一風変わったシュートフォームの意味である。あのフォームそのものの意味についてここで述べようとしているのではなく、あのフォームが夢の一つのシンボルとして果たす機能的な意味について考えていた。 そのフォームは、既存のシュート理論からはかけ離れたものであり、見た目としてもあまり美しいとは言えない。しかし、その男性が述べた、そのシュートフォームが持つ利点について考えてみると、理屈として非常に納得のいくものであった。 実際に、そのフォームでシュートを打ったほうがゴールに入る確率が上がった。仮に誰かがそのフォームでスリーポイントシュートを打ち始め

3452. 今朝方の印象的な夢

今朝は六時過ぎに起床した。起床した時の外の気温はマイナス2度とのことであったが、室内ではそれほど寒さを感じない。外は寒いが、家の中は暖かいというのはオランダの家の特徴である。 昨日に引き続き、今朝方も印象に残る夢を見ていた。夢の中で私は、実際に通っていた中学校か高校の体育館にいた。 そこで私はバスケの練習をしていた。特に、何人かの友人たちと一緒に、スリーポイントシュートの練習を楽しくおこなっていた。 友人たちを眺めてみると、バスケの経験のない者も何人かいて、さらには友人だけがそこにいると思っていたのだが、見知らぬ人もそこにいた。私が黙々とシュート練習をしていると、見知らぬ一人の人物が私に声をかけてきた。 見知らぬ男性:「そのシュートフォームはあまり良くないですね。こうやってシュートを打つと良いですよ」 その男性は私に近寄るなりそのように述べた。私はこれまでの自分のフォームは、シュート理論に則る正しいものだと思っていた。しかしその男性は、そうした理論から逸脱するようなフォームを勧めてきたのである。 私:「そのフォームはあまり正当なものに思えないのですが、そのフォームの良さはどのようなところにありますか?」 見知らぬ男性:「ええ、このフォームだと、ボールを相手からより遠いところに置くので、シュートモーションに入る直前に相手からボールを奪われる心配がないという利点と、シュートがブロックされにくくなるという利点があります」 見知らぬ男性はそのように述べ、実際にシュートを放った。すると、ボールは綺麗な放物線を描きながらも、ゴールには届かず、その手前で落ちた。 男性は笑いながら頭をかき、「

3451. 本日の作曲理論の学習を振り返って

今日も気がつけば夕方を迎え、今となってはもう夕食後の時間になっている。今日は一日中作曲理論の学習に時間を充てていた。 今は作曲理論を学ぶことが楽しくて仕方ないという状況にある。これまで知らなかった事柄を次々に知っていくことや、これまであやふやになっていた知識項目を一つ一つ理解していくプロセスそのものに喜びを見出している。 さらには、学習した事柄を実際の作曲実践の中で活用してみることも大きな喜びである。作曲実践は本当に実験の場であり、学んだことを試しに活用し、そこで試行錯誤することの中にも喜びがある。 興味深いのは、作曲理論を学んでいる最中において、ある項目が理解できた時のみならず、理解できずに頭を悩ませている時ですら喜びの感情が根底にあるということである。また、作曲実践の最中において、学んだことがうまく適用できた時のみならず、うまく適用できない時にも喜びの感情が自分の内側に湧き上がっていることは面白い。 作曲理論を学ぶこと、作曲実践の双方において、何がどうあっても学習と実践の喜びが絶えずそこにあることに気づく。これは進歩を遂げていくための貴重な資源となるだろう。 明日は、今日のように一日中作曲理論を学ぶことはできず、午後からは、明後日に控えた協働者の方たちとの勉強会に向けた準備をしようと思う。今回から四回にわたって、発達心理学者のスザンヌ・クック=グロイターの論文を取り上げ、彼女の発達モデルに関する理解を深めていく。その準備を明日の午後から行い、午前中と夜は再び作曲理論の学習に時間を充てたいと思う。 今日は作曲理論のテキストを150ページほど読み進めていた。まとめのノートを取り

3450. 作曲理論の学習方法と師匠につく意義について

今日は午前八時を過ぎてからしばらく経ったあたりに夜が明け始めた。昨日に引き続き、午前中は作曲理論の学習に集中していた。 当初の予定通り、本日からまとめノートを作りながらテキストを読み進めている。テキストに書かれている事柄を自分の言葉でまとめ直すことは、とても学習になると実感している。 掲載されている図も、改めて自分の手を動かしてまとめて直してみると、その図の意味がより頭に入ってくる。面白いことに、手を動かして学習すればするほどに、知識項目が単に頭に入ってくるだけではなく、身体全体に染み渡っていくような感覚がある。 こうした感覚は今後も大切にしていき、学習の際にはこうした感覚が起こっているかどうかを絶えず確認していくようにする。仮にそうした感覚がしないまま学習を進めているのであれば、それは学習方法がどこかおかしいと言えるだろう。 テキストの学習項目をノートにまとめていくだけではなく、今日からはMIDIキーボードを使って、実際に音を出しながら学習を進めている。これまでは作曲ソフト上における楽譜しか見ていなかったが、実際にキーボードを使って音を出してみるのも非常に効果的であると感じている。 午前中の学習は随分とはかどり、午後からも同様のペースで学習を進めていこうと思う。仮眠を取った後にも作曲理論の学習を一時間ほど行い、そこで休憩がてら、そこまでで学習した内容を適用する形で作曲実践を行う。 今日も昨日に引き続き、テレマンに範を求めようと思う。その際には、実験として、一般的には明るいとされる長調の曲を暗めに響かせるような工夫をしていく。 具体的には、曲の中で用いる和音を長三和音よりも短三

3449. 理論の大切さを示唆する夢

時刻は午前七時を迎えた。この時間帯は、辺りはまだ真っ暗であり、日の出まではあと一時間半ぐらい待つ必要がある。 今朝方の夢について先ほどまで振り返っていた。やはり印象に残っているのは、道路の上で作曲をしていたことだろう。 道路の上に音符を置き、出来上がった八小節の音の流れについて思い出している。どのようなメロディーが流れていたのか定かではないが、道路から自分が作った曲が流れてくるというのは不思議な感覚であったことを覚えている。 その後に見た、丸の内のような場面での夢のあと、実はもう一つ夢を見ていた。完全に場面が変わり、私は欧州のサッカーの試合の解説現場にいた。 対戦している二つのチームは、それぞれ欧州の名門チームであり、私は解説者の説明に耳を傾けていた。私の役割は、成人発達理論の観点から、とりわけサッカー選手の知性に関する観点から解説を補助することであった。 私の横にいたスペイン人の解説者は、実際に現在試合を行っている名門チームにかつて所属していた選手だった。その解説者は、自分が選手であったことからか、選手目線での丁寧な解説を行っていた。 一つ印象的なことは、実は守備をする際にはかなり高度な理論が背後に存在しているということだった。いかに組織的に相手からボールを奪うかに関する理論体系が存在しており、その解説者は、ボールを奪取するいくつものパターンを説明していた。 こうした解説を聞いていると、サッカーというスポーツが高度な知性を要求していることに改めて気づかされ、随分と感銘を受けた。すると今ままでいた解説現場が、突然実際のピッチの上に変わり、その解説者は、先ほどまで試合をしていた選

3448. 今朝方の印象的な夢

今朝は六時に起床し、六時半から一日の活動を開始させた。今日の最高気温は3度であり、最低気温はマイナス1度である。 ここ最近は随分と冷え込んでいたが、明日からは雨の降る日が多くなるためか、気温が上がる。天気は優れないが気温は暖かくなるというのは、嬉しいのやらそうでないのやら複雑なところだ。 いずれにせよ、フローニンゲンはすっかり冬らしくなった。おそらく来週の前半まで続く雨の日が終われば、気温が一気に低くなるだろう。 今朝方の夢について少しばかり思い出している。夢の中で私は、ロサンゼルスのダウンタウンと東京の丸の内を合わせたような町にいた。 最初私は、ロサンゼルスの道路を彷彿させるような道の上にいた。その道路は、ある法則性によって区画化されており、一つ一つの区画に対して、私は道の上に大きな音符を描いていった。 どうやら私は、道の上で作曲を行っているようだった。楽譜上の一小節に該当するのが道路の一区画であり、一つ一つの区画ごとに音符を並べていった。 ちょうど八小節分、つまり八区画ほど道の上に音符を置いて音楽を作った時に、私は知人を駅に迎えに行くことを思い出した。私はその場を離れ、駅に向かった。 駅に到着すると、三人の知人がそこにいて、簡単な挨拶をした。一人の知人が、「今日はこれまで何をしていたのか?」と尋ねてきたので、「さっきまで道路の上で作曲をしていた」と答えた。 すると、三人の知人がぜひその曲を聴きたいと述べてきた。人に聴かせられるような曲ではないかもしれないと思ったが、知人がぜひと言うので、私は先ほどまでいた道路の区画を、駅の近くの道路にスライドさせようと思った。 私は三人の知

3447. 作曲理論の学習に伴う喜びと充実感

気がつけば夜の八時半を迎えていた。週の始まりの月曜日が静かに終わりに向かっている。 今日は作曲理論を集中的に学ぶ一日であり、明日もそのような一日にしたいと思う。とにかくここからは、作曲理論の基礎を構築することに集中したい。 作曲理論の基礎を確立したら、再び旺盛に作曲をしていくのと同時に、自分が好む作曲家の実際の楽譜を次々に分析し、そこから作曲上の着想を得ていく。それを行うために、もうしばらくしたら、楽曲分析のための参考文献を購入しようと思う。 分析を通じて得られた事柄は逐一作曲ノートに書き留め、それを自分の作曲の中で活用していく。現在学習している作曲理論のテキストの一読目を終え、明日からは二読目に入る。 この時には、早朝の日記で言及していたように、MIDIキーボードで実際に音を出しながら学習をしていくのと合わせて、自分でまとめノートを作っていく。さらには、テキストの中にある課題を拡張させて、それを元に練習曲のような短い曲を作っていく。それは16小節ぐらいで十分だろう。 これまでに作ってきた600曲は、一つ一つの音符を置く際に、それはすべて直感であり、なぜそのように音を置いたのか自分では全く説明ができない。つまり、その背景には理論がなく、明確な意図に基づいて生み出されたものではないということである。 作曲に伴う真の感性を育んでいくためには、この習慣を一度改めなければならない。惰性で音を生み出していくのではなく、言葉を一つ一つ選びながら文章を構築していくような手順で曲を作っていく。 そのためには、最初は本当に短い小節でいいので、学習したことを元に、すべての音を明確な意図と理論に基づ

3446. 作曲理論の集中的な学習に向けて

日の出の時間がどんどん遅くなる今日この頃、今日は午前八時半を迎えてようやく辺りが明るくなり始めた。今は午前11時に近づいていることもあり、すでに辺りは明るい。 早朝にバッハの四声のコラールに半を求めて一曲作り、その後は作曲理論の学習を進めていた。作曲理論の学習がますます面白くなってきている。 そうした気持ちにさせてくれているのは、理論を学べば学ぶほど、作曲技術の幅が拡張していくのを実感できているからだろう。もちろん、学んだことを自由自在に使いこなすには膨大な訓練が必要だが、新たなことを学んだ瞬間に、自分の内側で何かが広がった感覚がある。 理論を学ぶことの大切さはまさにこの点にあるように思えてくる。発達理論と同様に、作曲理論は本当に奥深い。その奥深さを実感するたびに、ますますそれを学びたくなってくる。 ここから三ヶ月程度は特に、一日に三曲作るのではなく、二曲にとどめ、その代わりに徹底的に作曲理論を学んでいこうと思う。作曲理論の中には当然ながら音楽理論が含まれており、作曲及び音楽そのものに対する理論的な理解を深めていく。 この冬は、とにかく作曲理論の基礎を固めていこうと思う。現在使用しているテキストの一読目をできるだけ早く終え、二周目からは手を動かしながら丁寧に読み返していく。 手持ちのノートに五線譜を書きながら、テキストに書かれていることを自分なりにまとめていき、譜例が現れるたびに、MIDIキーボードを自分で叩いて音を出していく。 理論の学習はとにかく手を動かしながら、身体全体を通して学んでいく。身体の次元で理論を習得して初めて、学んだことが自由自在に活用されるようになる。 自分

3445. 映画としての人生及び人生の役割について

時刻は午前七時を迎えた。言うまでもなく、フローニンゲンのこの時間帯は深い闇に包まれている。明るくなり始めるのはあと一時間ほどだろう。 今日は一日を通して曇りのようであり、最高気温は4度、最低気温はマイナス1度である。今日は昼前に近所のスーパーに買い物に出かけようと思う。 それにしても今朝は、早朝の夢のおかげもあってか、活動に向けた気力で満ち溢れている。 実は深夜未明に一度目を覚ました瞬間があり、再び寝ようと思って目を閉じたところ、強烈な白い光を脳内で知覚した。これは一昨日に座禅瞑想の際に知覚していたものと似ているのだが、深夜未明の白い光は強烈かつ突然やってきたため、少々驚いてしまった。 長時間座ることによって、自分の脳細胞が再構成され、新たな脳内回路が開かれたようである。こうした回路が一度構築されると、何かのきっかけで開かれた回路を通じてしか知覚できないものを知覚できるようになるのだろう。 それは物理的な脳内現象としてだけではなく、意識上における現象でもそうだ。新たな脳内回路が開かれることは、新たな意識上の回路が開かれることであり、その逆も然りである。 意識の発達は脳内構造の発達に他ならず、脳内構造の発達は意識の発達に他ならない。意識という言葉を知性に置き換えてみても同様のことが言える。 すると学習によって知性を涵養していくというのは、脳内構造の変容に他ならないことが見えてくる。物理的な脳の特性についてもより探究を深めていこうと思う。 今朝方の夢について再度振り返っている。場面場面の細かな内容を振り返るというよりも、夢全体を巨視的な観点から見た時に、一体どのようなことが言えるの

3444. 映画俳優を務める夢

今朝は六時に起床し、六時半から一日の活動を始めた。新たな週が始まり、月曜日の今日は、早朝から活力に満ち溢れている。 一昨日に行った座禅瞑想のおかげか、自分の内側が刷新され、それがこうした活力を生んでいるのかもしれない。昨日は夢を見なかったのだが、今朝方は印象に残る夢を見ていた。 夢の中で私は、ある映画の俳優を務めていた。その映画はアメリカのものであり、私以外にはそうそうたるアメリカ人俳優が出演していた。アメリカの映画やテレビドラマでよく見かける人物たちと共に、私は映画の撮影を行っていた。 映画の一つのシーンは、日本のどこかの都市を舞台にしているようだった。それはどこか私が日本で通っていた大学の大学通りのようだった。 大学通りの先には本来駅があるのだが、夢の中の舞台では、巨大なビルがそこにそびえ立っていた。この映画のテーマや状況設定は錯綜としており、言葉で説明するのはとても難しい。 役者である私ですら、映画の次の場面の進行を予測するのが難しかった。その場面では、私が一人の友人と共に、消息を絶ったある人物を捜す設定になっていた。 その街を歩いて捜すこともできたのだが、友人が特殊な乗り物があると私に述べた。すると、横にいたはずの友人が突然消え、大学通りの先にそびえ立っているビルのてっぺんからトランペットの音が聞こえ始めた。 私は後ろを振り返り、ビルのてっぺんを見ると、友人がトランペットを吹きながら、小型の車のような乗り物に乗って、ビルのてっぺんから垂直方向に下ってくるのが見えた。何かの始まりを告げるトランペットの響きのみならず、私は友人が乗っている近未来的な乗り物にも驚いた。 その乗

3443. 身体を通じた理論学習

時刻は午後の八時半を迎えた。日曜日が終わりに向かい、新たな週の始まりに向けて動き出しているかのようだ。 夕食後、昨日の座禅瞑想の体験を理論的に解釈するために、発達心理学やトランスパーソナル心理学の専門書を本棚から引っ張り出し、それらを読んでいた。数多くの先人が同種の体験を積み、それらを理論的に体系化した記述を読んでいると、色々と参考になることがある。 もちろん、昨日の体験内容自体は自己に固有のものだと思うが、それらの体験がどのような階層の意識状態から生み出されているものなのか、さらにはそうした意識状態によってもたらされる治癒と変容の効果はどういったものなのかを理論的に理解することは大切であろう。 本日中に全ての記述に目を通すことはできなかったため、明日も引き続きいくつかの専門書を読み進めていく。 昨日に言及していたように、ここから数週間は長時間の座禅瞑想をしないようにする。行うとしたら、年末の最後の週の土曜日か、その前の週の土曜日にする。少なくとも三週間ほどは間を空けてから座ろうと思う。 夕方に、協働プロジェクトに関するレビューの仕事を終え、再び作曲理論の学習について考えていた。そこでは作曲理論を学んでいたわけではなく、それをどのように学んでいくかについて新たな工夫は何かないかを考えていたのである。 作曲理論を学ぶ際には、とにかく手を動かして学ぶことが大事であるため、書籍の中に記載されている譜例は、MIDIキーボードを実際に打ちながら音を出していこうと思う。確かに、自分はピアノを演奏する気は今のところないため、作曲ソフト上に音を並べていくだけでも十分なのかもしれないが、それより

3442. ティール以降の発達段階の限界に関する良書

今朝は五時に起床したおかげもあり、午前中の時間を有意義に過ごすことができている。先ほどまで作曲理論の書籍を二時間ほど読み進めており、ここで一度発達心理学のテキストに戻りたいと思う。 早朝の時点では、スザンヌ・クック=グロイターの発達モデルを活用し、段階5、5/6、6の特性と限界について簡単に書き留めておきたいと思っていたのだが、それらを書くことに気乗りしない自分がいる。 ジョン・エフ・ケネディ大学時代にお世話になっていたマーク・フォーマン博士の“A Guide to Integral Psychotherapy: Complexity, Integration, and Spirituality in Practice (2010)”の中に、それらに関する記述があり、それを読んでいると、改めて文章の形にまとめておく必要もないように思えてきたのである。 ティール(段階5)の先に存在するターコイズ(段階5/6)においては、言語でリアリティを構築・把握していくことの限界について深い認識を持ち、通称「第三層の意識階層」に属するインディゴ(段階6)、ヴァイオレット(段階7)、ウルトラヴァイオレット(段階8)、クリアーライト(段階9)はトランスパーソナルの領域であるから、そこでの発達課題はますますトランスパーソナルなものになっていく。 フォーマン博士の書籍の中で記述があるのは、インディゴ(段階6)までであり、自然言語を用いてそれ以上の段階の限界を記述するのは相当に難しいと思う。しかし、そうした試みを行っているのが、ケン・ウィルバーの“The Religion of Tomorrow (20

3441. 夜明け前の日曜日

時刻は午前八時に近づきつつあるが、辺りはまだ暗い。夜が明けるにはもう少し時間がかかりそうだ。 一羽の小鳥が小さく鳴き声を上げている。今書斎の中には、ノルウェーの作曲家ハラール・セーヴェルーのピアノ曲が鳴り響いている。外の世界と調和するようなとても静かな曲だ。 昨年の夏に訪れたベルゲンで生まれたこの作曲家の曲を聴いていると、ベルゲンの思い出が蘇ってくるかのようだ。時折私は、欧州で訪れた様々な土地の思い出をふとしたきっかけで思い出すことがある。 セーヴェルーの曲はベルゲンに関する私の記憶を引っ張り出してくれている。今日は三時間半ほどのこのアルバムをまずは聴き通したい。 そういえば、今朝方は印象に残る夢を見ていなかった。昨日の午後から夜にかけて長時間にわたって座禅瞑想をしたことによって、無意識そのものが深く休息をしているかのようだ。この休息は本日も継続するか、はたまた休息が終わり、今夜は何かしらの夢を見るかもしれない。 早朝にバッハの四声のコラールに範を求めて作曲を行った。今日の工夫としては、テンポをいつも以上に遅くしてみたことと、ハーモニックマイナーとメロディックマイナーを活用したことにある。 それら二つのマイナースケールに関しては、まだ両者が持つ固有の響きについて習熟していないため、活用する適切なタイミングが掴めていない状態だ。そうしたことから、今はまだ、曲全体の中で最適なタイミングでそれを活用するというよりも、適当なタイミングでそれを適用することに留まっている。 それらのマイナースケールを活用するためには、二つの固有の音の違いを理解しておく必要がある。それは理性的にも身体感覚的

3440. 日曜日の早朝に

昨夜は九時に就寝したおかげか、今朝は五時に起床した。五時半過ぎから一日の活動を始めた。 一日の活動を始める前に、いつも短い時間だがゆっくりとした呼吸をしながら少しばかり瞑想をしている。昨日長時間にわたって座っていたことが影響してか、早朝の短い瞑想の時間にも意識がすぐに深まっていくのを実感していた。瞑想後、いつものように短めにヨガを行った。 深い闇に包まれた日曜日の朝。日が昇り始めるのは二時間後ぐらいだろう。 今日と明日は比較的寒いが、明後日以降は雨のせいもあってか、気温が少し上がるようだ。11月の前半のような気温に戻るらしい。 昨日長時間にわたって座っていたこともあり、何か自分の中で刷新された感覚がするのだが、そうだからといって今日から特別なすることをするわけでもない。今日も普段と変わらず、探究活動と創造活動に従事していこうと思う。 具体的には、早朝にはバッハの四声のコラールに範を求めて作曲をする。その際には、ここ数日間集中的に学習している音楽理論の書籍から得られた事柄を適用してみる。常に実践と理論の学習を往復していくことが重要だ。 今日は時間を見つけて、マーク・フォーマン博士の書籍を参考に、発達段階5/6と発達段階6の特徴や限界などをまとめておきたいと思う。これを行うことは少し前の日記で言及していたのだが、結局今日まで先延ばしになっていた。今日はそうしたまとめを行いたい気持ちが湧いているので、午前中か午後にそれに取り掛かる。 今日は芸術教育哲学に関する書籍を読むことを控え、明日から“Art as Experience (1934)”を読み始めていく。その代わりに今日は、ここ数

3439. 座禅体験の補足

今日は早めに九時頃には就寝しようと思う。先週の土曜日に引き続き、今日も長時間にわたって座禅瞑想をすることによって、自分の中で何かがまた刷新されたように感じる。 つい先ほどまで、これまで描いてきた水彩画に水筆ペンを用いて水を浸していた。しばらくの間、無心でそれに没頭していた。 今日は結局昼食を摂らず、夕食はブルーベリーとリンゴ一つ、それにキャロットジュースだけだった。接心と少食がセットになっていることは面白い。 断食のような実践をすることによって、たまには胃腸を休めることは大切だろう。それにしても、夕食時に食べたブルーベリーとリンゴはとても美味しかった。 リンゴはいつも朝食の際に食べているだけなのだが、今日は夜にも食べた。ブルーベリーは毎晩食べているのだが、今日は接心によって知覚が鋭敏になり、感覚が刷新されたためか、いつも食べている食べ物が極めてうまいことに驚いた。 ブルーベリーを一粒ずつ食べ、リンゴを齧りながら闇夜を眺めていると、とても幸福な気持ちになった。 今日の座禅体験については、先ほどの日記で大半のことを書き留めていたが、別の体験をもう少し思い出した。一つ重要な気づきとしては、今取り組んでいる諸々の事柄の一つ一つ、そしてこれから一年以内に行う取り組む予定の事柄は全て正しいことがわかった。 何を持って正しいのかは定かではないが、とにかく正しいという絶対的な正しさを自分の取り組みの一つ一つに対して感じた。絶対的な肯定がそこにあった。 もう一つ不思議な体験としては、意識が深まっている最中に、100年後の自分が今の自分を見ているかのような感覚があった。100年後の自分は、今の自分

3438. 六時間に及ぶ接心を終えて

先週の土曜日に引き続き、今日もまた午後から長時間にわたって座禅をしていた。先週は四時間半ほど座っており、今日もそれと同じくらい座ろうと思っていたのだが、それを上回る形で六時間弱座っていた。 昼食を摂ることなく、12時半から午後の六時半まで座っていた。先週に引き続き、いや先週以上にそこでの知覚体験は強いものであった。 座禅の深まりと共にどのようなことが自分の脳内で起こるのかについては、諸々の専門書や過去の経験によって知っているつもりだったのだが、今日はいかんせん座っている時間が長かったためか、意識の深まりのピークで知覚していた事柄は想像を遥かに超えるようなものばかりだった。 そこで知覚される内的ビジョンについて圧倒されることはなかったのだが、そこで得られる洞察が珍妙なものばかりで相当に面食らった。いくつか書ける範囲のものについては書き留め、ここでは書けないながらも重要なものについては心に留めておく。 今日の座禅瞑想においては、最初の二時間弱をモーツァルトの三大交響曲を聴いており、残りの時間は全て、バッハの平均律クラヴィーア曲集を聴いていた。それらの曲を聴きながら、端的には聴く者としての自己は完全に溶解し、世界が完全にその曲となった。 奇妙な表現としては、そこでは音楽を聴く者だけではなく、聴かれる対象としての音楽も完全に溶解していた。つまり、主体と客体が完全に溶解し、ただ世界全てがその音楽であった。 より具体的な体験としては、モーツァルトの交響曲のどれかを聴いている最中に、自分の脳と意識がペンキで次々と上書きされるかのように、何度も何度も新たなものに更新されていく体験を知覚していた

3437. ジャズピアノとニコライ・カプースチン

早いもので、あと一時間ほどで時刻は正午を迎える。今日は天気予報の通り、薄い雲が空を覆っており、太陽の姿は見えない。おそらく一日中このような天気になるかと思われる。 今日は早朝にバッハのコラールに範を求めて作曲をし、その後、音楽理論に関する学習をしていた。今日は特にコード進行に関することを学んでいた。 昨日と同様に、これまで自分が活用していたコード進行の幅を一気に広げてくれるような発見が多々あったことは大変嬉しい。昼食前に一曲ほど作ろうと思っており、その際には午前中に学んだ事柄を早速試してみようと思う。 現在は主にクラッシック音楽における音楽理論を学んでいるが、それに習熟したら、今度はジャズ音楽における音楽理論を学んでみたいと思った。両者は多分に重なる部分もあるが、同時に異なる部分も多々あることは確かだろう。 ラヴェルやガーシュウィンは積極的にジャズの要素を自分の作曲の中に取り込んでいったことはよく知られている。午前中にふとしたきっかけで、ジャズピアノについて調べており、クラッシック音楽にジャズの要素を取り入れたウクライナの作曲家ニコライ・カプースチンの仕事と出会った。 今カブースチンのジャズ風のピアノ曲を聴いている。ジャズにおける音楽理論を学ぶことはまだ先になると思うが、音楽鑑賞と作曲技術の幅を広げるためにも、ジャズについても学習を進めていきたいと思う。 このように、一つの探究というのは派生的にどんどんと広がっていくものであることを改めて思う。それは音楽に関することだけではなく、絵画などの他の芸術領域においてもそうであろうし、学術探究においてもそうだろう。自分を捉えてやまないあ

3436. 充実感と若さについて

毎日が本当に充実した形で過ぎていく。一見すると日々は何の変哲もなく過ぎているように思えるのだが、そうした変哲のなさが逆に尊いもののように心の眼に映り、そしてそうした中で、淡々と水の流れのように自らのライフワークに取り組むことが充実感の源になっているように思う。 欧州での三年間を振り返ってみると、最初の年は、爆発的な充実感と寂寥感が交互にやってくるような不安定な状態に自分が置かれていたように思う。北欧にほど近いフローニンゲンの気候を初めて経験したことも影響してか、気候の厳しさに精神が随分と影響を受けていたように思う。 一方翌年は、精神の本質的な特性として変動性が存在しているため、この年も精神に変動があったことは確かだが、そうした変動さえも超越するような感覚の中にいたように思う。そのためか、爆発的な充実感というよりも、自分の存在の奥深くに染み込んでいく類の新たな充実感が芽生え始め、寂寥感を感じることはほとんどなかったように思う。寂寥感を生み出す何かが静かな充実感に浸されているような感覚があった。 三年目を過ごす今においては、今度は充実感が内側に染み込んでいくだけではなく、同時に自分の奥底から充実感が湧き上がっていく現象が起きている。それは真の内発的な充実感だと言えるかもしれない。 こうした外から内へ、内から外へと広がっていく二種類の充実感と一体となっているのが今の私の姿だと表現していいように思える。今後の人生において、もう一秒たりとも自らの充実感と離れることはないだろう。なぜなら、今ようやく自己が自己そのものを超出し始め、本質的な自己が生み出す真の人生を歩み出したからだ。 昨日、先

© 2013 All rights reserved by Yohei Kato

 

免責事項:当サイトを利用したウェブサイトの閲覧や情報収集については、情報がユーザーの需要に適合するものか否か、情報の保存や複製その他ユーザーによる任意の利用方法により必要な法的権利を有しているか否か、著作権、秘密保持、名誉毀損、品位保持および輸出に関する法規その他法令上の義務に従うことなど、ユーザーご自身の責任において行っていただきますようお願いいたします。

 

当サイトの御利用につき、何らかのトラブルや損失・損害等につきましては一切責任を問わないものとします。当サイトが紹介しているウェブサイトやソフトウェアの合法性、正確性、道徳性、最新性、適切性、著作権の許諾や有無など、その内容については一切の保証を致しかねます。当サイトからリンクやバナーなどによって他のサイトに移動された場合、移動先サイトで提供される情報、サービス等について一切の責任を負いません。当サイト内には、他の著作物から引用し、文章を作成している記事がございます。万が一、著作権に抵触する場合にはお知らせください。速やかに対処させていただきます。