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2612. 旺盛な読書と作曲のパズル性

ここ最近は再び旺盛な読書を行っている。これまでも日々読書を行っていたが、どうしても大学院での研究や講義関係の書籍や論文を読むことが多く、自分が真に探究したいと思うものばかりを読むことはできなかった。 だが今はそうしたことが可能になっている。自らの純粋な探究心に基づいた読書を日々行うことは、これほどまでに充実感をもたらすのだということに改めて気付く。 今日からは、ルドルフ・シュタイナーが色について解説した“Colour (1992)”を読み始めた。日々作曲実践やデッサンを続けていけばいくほどに、色への関心が高まる。 色が私たちの知覚や脳に及ぼす作用などにはあまり関心がない。それよりもむしろ意識の形而上学的な側面から色の特性について考えていくことに関心がある。 また、色に対する理解を深めることで、自分が作る曲にも何らかの変化が現れてくるだろうと期待している。この夏は色々と読む本がたくさんある。それらが全て手元にあることが喜ばしい。 ブラヴァツキー、シュタイナー、オーロビンドに関する書籍を読み、美学と芸術一般に関する書籍を旺盛に読んでいく。それに加えて作曲理論に関する書籍も積極的に読んでいく。 和書に関してもこの夏は随分と多く読めるのではないかと思う。森有正先生の日記、辻邦生先生の日記、小林秀雄氏の全集、井筒俊彦先生の書籍の何冊か。それらもこの夏に読み進めていこうと思う。 論文の提出が終わり、完全に夏期休暇に入ったら、一日に二曲作るという実践量を確保したい。一つはバルトークの短めの曲を参考にし、もう一つはバッハの曲を参考にしていく。 シンプルなものと複雑なものからの学びを共に大切にす

2611. 月から地球に生還した感覚

昨日と同様に、薄い雲が空を覆っている。今朝は五時半過ぎに起床し、六時あたりから一日の活動を開始した。 天気と同じく、夢に関しても昨日と同じように印象的な夢を見た。夢の中で私は、欧州での生活を終え、日本で再度一年ほど生活することになった。厳密には、パリから世田谷に引っ越すことになった。 夢の始まりは、世田谷のとある駅から徒歩で10分ほどの所にあるアパートの中だった。このアパートは幾分古びていたが、部屋の広さは十分であり、家具なども一式揃っていた。 日本での新生活に際して家具を揃える必要がないことは有り難かった。また、このアパートは一階建てになっていて、合計で三つの部屋しかない。 もしかすると、これはアパートというよりも、部屋だけがある平屋を三つ連ねたような居住場所と言った方が正確かもしれない。隣の部屋には、私よりも少し年上の女性が住んでいた。その方の職業は不明であるが、清潔感があり、とても感じの良い方だ。 引越してきてからすぐに挨拶に行き、その場で少しばかり話をした。あいにく、一番奥の部屋に住んでいる人は不在であった。雰囲気から察するに、そこは誰も住んでいないのかもしれない。 引越してすぐに何かを始めようとするのではなく、私はスライド式のガラス窓を開け、窓際の地べたに仰向けになった。私は何を考えるでもなしに、目を開けたまま太陽の方向を眺めていた。 すると、一人の友人が私の家にやってきた。友人は以前ここに住んでいたらしく、何か置き忘れたものがあったようだ。 それを確認した後、彼はこれから会社に行くと言っていた。どおりで綺麗な格好をしていると思った。 一方私は特に何もすることがなかっ

2610. 本当の音を求めて

時刻は夕方の七時半を迎えた。夕方まで晴れ間が広がっていたが、今は空に薄い雲がかかっており、今日は西日が強くない。小鳥の鳴き声が遠くの方でこだましている。 先ほど、論文アドバイザーのミヒャエル・ツショル教授からメールがあった。ツショル教授はいつも本当に丁寧に論文のドラフトを読んでくださる。 そして、細部に囚われない形で非常に重要な箇所について的確なフィードバックをいつも数多く与えてくださる。今回のドラフトに対してもそのようなフィードバックをしてくださった。 ちょうど明日の午後にミーティングがあり、今日メールに添付されたワードファイルへのコメントについて改めて意見をもらうことになるだろう。明日の午前中に頂いたコメントを丁寧に読み、ミーティングで何を議題として取り上げるかを事前に設定しておきたい。 おそらくミーティングは明日ともう一回ほどだけとなり、論文のドラフトをレビューしていただくのもあと一回だけになりそうだ。ここまで丁寧に指導をしてくださる教授もなかなかいないだろう。 ツショル教授はイギリスで博士号を取得しており、その時に受けた論文指導同じような形で私を支援してくださっているのかもしれない。ここまで二人三脚で時間をかけて取り組んできた研究であるから、やはり今回の研究論文を査読付き論文にするか、少なくとも論文を短くまとめ直したものをどこかの学会で発表するようにしたいと思う。 なぜ創造的になれないのかを人は嘆くかもしれないが、それは自己と繋がっていないからだという考えが午前中に湧いてきた。自己は本質的に創造的であり、絶えず新たなものを創造するという特性を持つ。 自らが創造的ではない

2609. 船旅と宇宙旅行

今日も非常に天気が良い。時刻は夕方の四時を迎えた。フローニンゲンにおいてはこの時間帯が一番気温が高くなる。 確かに日差しは強いが、そこには凶暴さはない。それよりもむしろ、この時間帯の太陽はどこか祝福に満ちた光のように思える。 今日も午前中から、何かに取り憑かれたかのように書物を読んでいた。論文の提出を終える六月の半ばからは本格的にこうした生活を一年間送り続ける。 そしてそれはこの一年間のみならず、今後も継続していくだろう。こうした憑依性が自分のこれからの生活から失われることはないと思われる。 何かに憑依され、何かに帰依している感覚が内側にある。それを通じて残りの人生を生きて行くことになるであろうという直感めいたものがある。不思議なことを考え出す夕方だ。 もしかするとこれは、今朝方に見た印象に残る夢のせいかもしれない。早朝にこの夢についてはあれほどまでに文章を書き留めておいたのに、まだ夢の体験が完全に消化されていないかのようである。 一つの体験はそうやすやすと消化されるようなものではないということがわかる。じっくりと時間をかけ、省察を伴った形で緩やかに咀嚼されて行くようなものなのだ。 夢について書き留めてからも、幾分不思議な意識状態が続いていた。もしかすると今この瞬間もそうした意識状態にあるかもしれない。 雄弁でいて、とても静かな感覚が内側に広がっている。そうした感覚の中で今この瞬間を生きているという実感がある。 午後、読書の手を止めて、ふと船旅について考え始めた。昨年の暮れあたりに突如として船旅への憧れが強くなり、何かに目覚めたかのように船旅について時々思いを巡らせるようになっ

2608.「それ」

青空の広大さと小鳥の鳴き声の美しさはわかる。確かに今も晴れ渡る大空を眺め、小鳥の鳴き声に私は耳を傾けている。 しかし、そうしたこと以上にどうしても今朝方の夢の内容がまだ気になる。夢の内容については早朝から随分と書き留めた。そのため、内容そのものについてはもはや言及する必要はほとんど無い。 だがなんとも言えない感覚が自分の内側の中に蠢いていることは確かである。このざわざわする感覚は一体なんだろうか。 こうした感覚こそ外側に形として残していくべきなのだ。一刻も早くこうした感覚を曲として表現したいと思う自分がいる。 このざわざわした感じは、内側にあるものが外側に出てこようとする衝動に違いない。あるいは、形を求めてやまないものが形を求めている叫びにも似た衝動だと言っていいだろう。 そのような感覚が今の自分の内側にある。こうした感覚を曲として形にしていくための技術を今日も高めていく。今はなんとか言葉や絵を通じてこうした感覚を形にしている。 それが行えるだけでも幸いであり、仮にそれらを言葉や絵を通じて形にしなければ自分は一体どうなってしまうのだろうと思う。 今朝方の夢の中で露わになった「死の先にある永遠への憧憬」によって引き起こされる感覚を曲として表現したい。さらには、そこで知覚される内的ビジョンについても音楽として表現する。 内的ビジョンについては「イマージュ」などの別の呼び名もあるが、いずれにせよ、そうした色と形を伴う心的現象を曲の中で表現していく。それを実現するためには、これから相当な修練が必要だろう。 前途多難であることは明らかだが、そこに向かっていく。向かっていかざるをえないもの

2607. 不気味な夢が開示したもの

今朝方見た夢について書き留めていると、その夢についてあれこれとまた考えている自分がいた。夢の中の二つの場面はどちらも不気味な雰囲気を漂わせていた。 二つの場面の中で喚起されていた感情をもう一度思い出す前に、私は一旦書斎の窓の外から青空を眺めることにした。そこには鮮やかな青空が果てしなく広がっていた。 今もまだこの青空を眺めている。空には雲一つなく、遠くの空の下を飛ぶ鳥たちの姿が見える。また、今この瞬間には小鳥の鳴き声が聞こえたり、目の前の道路を走る車の音が聞こえたりする。 先ほど思い出していた夢が象徴するものは一体何だったのだろうか。一つ目の場面で印象的だったのは、上空10,000メートルまで続く橋のような煙である。 あの煙のうねった姿がとても印象に残っている。あの煙はうねりながら空に向かって上昇していた。あたかも滝が逆に流れるかのような勢いで、しかもそれは螺旋を描きながら天高く向かっていた。 ここでふと、それはヨガの伝統で言うところの身体エネルギーの上昇過程に似ていると思った。螺旋を描きながら、うねるようにして立ち昇って行くエネルギーの様子と、夢の中の煙がうねりながら天高く上昇している姿が重なった。 一方で、最初は真っ白な煙であったものが、最後には灰色の煙になったことについても考えてみる必要がある。最初の真っ白な煙はもしかすると、身体エネルギーの上昇過程の最後に待つ白い光の状態を暗示しているように思える。 実際に、天空にほど近いところにある煙は白い光の筋のように見えていたことを覚えている。そのような特徴を持つ煙も、友人からの一言を境目に突然灰色になっていってしまった。 工場の

⭐️【お知らせ】Back Number Vol 60-61(記事1181-1220)

いつも「発達理論の学び舎」をご覧になってくださり、どうもありがとうございます。 過去記事1181から1220に編集をし、所々に追記をいたしました。 お役に立てる情報は少ないかもしれませんが、皆さんのご関心に合わせて、必要な箇所を読んでいただければ幸いです。 閲覧・ダウンロードは下記よりご自由に行えます。 ・Back Number Vol 60 ・Back Number Vol 61

2606. 「信頼と裏切り」の夢

今日はここ数日に比べて少し遅めに起床した。六時前に起床し、六時半あたりから一日の活動を開始した。 今日も昨日に引き続き、晴天に恵まれるようだ。時刻は六時半を迎え、早朝のこの時間帯は雲一つない青空が広がっている。 今日から一週間は小雨が降る日もありながらも、最高気温は25度を越す日が続く。フローニンゲンは初夏に入ったようだ。 六月のフローニンゲンの平均最高気温が20度だということを考えると、この一週間の気温はずいぶんと高い。また、フローニンゲンの気温が最も高くなる七月と八月の平均最高気温ですら22度であることを考えると、初夏というよりも今週は夏のようだと思った方がいいかもしれない。 早朝の優しいそよ風が吹き、小鳥が街路樹の木々に止まって美しい鳴き声を発している。昨夜も就寝前に小鳥たちの鳴き声を聞くことができた。 夜の鳴き声の響きと朝の鳴き声の響きは随分と印象が異なる。夜の響きはどこか神秘的であり、瞑想的だ。一方朝の響きは、清朗感に溢れている。 小鳥の鳴き声を聞いていると、今朝方の印象的な夢を思い出した。特に二つの場面を覚えている。 夢の中で私は、ある街の会議室の中にいた。会議室の一階にある部屋の中で、別に会議をしていたわけではなく、小中学校時代のある友人と雑談をしていた。 会議室の窓から外を眺めると、遠くの方にある工場から煙がもくもくと立ち上がっているのが見えた。その工場の持ち主は日本のある有名な製薬会社である。 私はその煙を見たとき、その工場から出ているものだとは思わなかった。というのも、その煙の色は汚れた様子はなく、真っ白であり、工場が出すような煙とは似ても似つかなかったから

2605. 作曲実践における新たな習慣と時間を超越するような曲に向けて

今日も一日が終わりに差し掛かっている。昨日と同様に、今日もあっという間に時間が過ぎた。それも非常に濃密な時間感覚を持ってだ。 時刻は夜の八時半を迎えたが、外はまだまだ明るい。もうしばらくすると、太陽が一番長く出る時期に差し掛かるのではないかと思う。 ゆっくりと暮れ行く夕日を眺めながら、今日の振り返りを行いたい。今日は昼食後に作曲実践を行った。 学術論文の執筆に目処がついたため、幸運にも自由な探究時間と作曲に充てるだけの十分な時間がある。欧州の三年目は、読みたい本を読みたいだけ読み、書きたいだけ文章を書き、作りたいだけ曲を作るような生活を送る。 そしてそれは欧州での三年目だけではなく、それ以降にも永続して行われるような形にしたい。今後の人生は日々をそのように送る。そのように送ることを許さないものからは離れていくことにする。 今日はいつものようにバッハに範を求めて曲を作った。今日から少しばかり工夫を凝らし始めた。 参考にする曲を決めたら、まずはその曲の楽譜を目で追いながら注意深く聴く。楽譜を目で追うことによって初めて見えてくるものや感じられるものがあることは以前に述べた通りだ。 何回かそのようにして曲を聴いたら、楽譜から一旦離れ、引き続き繰り返しその曲を聴く。その過程の中で喚起される内的感覚を楽譜の中にデッサンとして絵で表現することを今日から本格的に行い始めた。 これに対して明確な意図はなく、何かを期待しているわけでもない。それをする必然性のようなものを感じるだけだ。 あえて言うならば、ある曲が今の自分に引き起こす固有の感覚を形にしておきたいという意図がある。この実践を毎日続けてい

2604. フローニンゲンという街の素晴らしさ

フローニンゲンの街の良さを再確認するような日であった。今、燦然と輝く太陽の光がフローニンゲンの街に降り注いでいる。 時刻は夕方の四時半を迎えた。今日は三時前あたりに街の中心部にある役所に向かった。 欧州での三年目の滞在にあたり、その手続きの方法を聞きに街の役所に向かって自宅を出発してみると、今日は随分と暖かいことにすぐに気づいた。気温はかなり高くなり、半袖で外出するにはもってこいの天気であった。 役所に訪れるのは今回が初めてであるが、その近くには行きつけのインドネシア料理店があり、役所の周辺の地理は理解していた。あえて今日は普段通らないような道を歩いてみると、随分と色んな発見があった。 これまで見逃していた小さな教会や骨董屋など、この街にはまだ私の知らなかった場所がたくさんあることに気づかされた。役所に到着すると、そこはとても綺麗な建物であり、すぐに担当の人と話すことができた。 対応は迅速であり、説明も実に親切であった。今年の九月に修士課程を終えることになり、その後三年以内であればいつでも一年間ほどオランダで滞在できる許可を得ることができる。 この制度の本来の目的は、オランダで仕事を見つけることやインターンとして働くことを斡旋するものだが、私はどこかの組織に属して働くつもりはなく、欧州の地で探究活動を継続させるためだけにこの制度を利用する。 昨年すでにフローニンゲン大学での一つ目の修士課程を終えており、今回の二つ目の修士課程の修了をもって二回この制度に申請できるのかは定かではない。仮にその適用可能性があり、今後数年以内に再びオランダに戻ってこられる可能性を保持するためにも、昨年

2603. 声部連結の解説書より

今日は午前中から“Voice Leading: The Science Behind a Musical Art (2016)”と“Ancient Greek Music (1992)”を読み始めた。“voice leading”については昨年に作曲を始めた当初から耳にする言葉であったが、これが日本語でなんと翻訳されているのかについてはこれまで調べたことがなかった。 どうやら「声部連結」という訳語が当てられているらしい。本書を読み進めてみると、昨年に履修していたオンラインの作曲講座では触れられていない声部連結のルールが数多く存在することを学んだ。 本書はタイトルにあるように、科学的な観点から声部連結のメカニズムを解き明かすものであり、とりわけそれが音楽の聴き手に及ぼす認知的な効果について解説を加えている。科学的な発見事項として随分と興味深いものが多く、その発見事項を念頭に置きながら作曲をすれば、曲が持つ諸々の作用や効果を引き出すことにつながりうるという確信を得た。 例えば、それは以前から私が関心を持っていたような、曲を通じた意識の治癒及び変容の実現である。この実現に向けて、学ぶべきことは無数のように存在しているが、本書はその実現に向けてまた新しい一歩を歩ませてくれたように思う。 声部連結というテーマに関しては、その他の書籍にあれこれ手を出すのではなく、とりあえず本書を何度か繰り返し読むことによって、以前履修した作曲講座では触れられていなかった規則を学び、声部連結に関連した諸々の実証結果に関する知識を得ていきたいと思う。 兎にも角にも今の私には音楽言語の体系が内側に確立されていな

2602. 永続的な夢の世界と隠遁生活の必要性

この時期の早朝に見える赤紫色の朝焼けは本当に美しい。今日は残念ながらそうした朝日を拝むことはできなかったが、目が覚めた時に広がる空の輝きには思わず息を飲んでしまうことがよくある。 夢から覚めたのに、また夢の世界に戻ってしまうかのような幻想的な朝の世界がこの街にはある。明日の朝は赤紫色に輝く朝日を拝みたい。 明日は晴れるようであるから、早朝には幻想的な朝日を、そして夕方には沈みゆく幻想的な夕日を眺めることができるだろう。朝方に夢を見て、夢から覚めたと思ったらそこにまた再び夢の世界が広がっていて、夕方に夢を見たと思ったら再び夜に夢の世界の中に入っていく。日々は本当に夢の世界の中で展開されていくかのようだ。 日々が持つ夢のような性質について考えていると、今朝方の夢について思い出した。起床からすでに数時間が経ってしまっているため、記憶はすでに曖昧であるが、覚えていることだけを書き留めておく。 夢の中で私は、小中学校時代から今でも付き合いのある四人の親友と一緒にいた。そこでは昔話に花が咲いていた。 すると、友人のうち二人が楽器の演奏を始めた。一人はフルートのような楽器を演奏し、もう一人は打楽器を演奏し始めた。 私は二人の演奏に耳を傾けていた。二人は私の方に向かって演奏をしているのではなく、目の前に広がる山の方に向かって演奏をしていた。 私はフルートのような楽器を演奏している友人の後ろに回り、近づいてその音色を聴いてみた。近づけば近づくほどその音色がおかしいことに気づき、遠ざかれば遠ざかるほど綺麗に聞こえてくるという不思議な現象に立ち会った。 絵画作品を鑑賞する際に、あまり近づきすぎるので

2601. 旅について

昨日の夕方、作曲実践の休憩がてら、この夏の旅行の計画について考えを巡らせていた。予定としては、八月にスウェーデンとフィンランド、そしてアイスランドを訪れようと思っている。 アイスランドにだけ七月中に行き、スウェーデンとフィンランドへは当初の予定通り八月に足を運ぶのがいいかもしれない、などということも考えていた。幸いにもフローニンゲンの空港からアイスランドの首都レイキャビクへの直行便が出ていたように記憶しており、距離的にも全く遠くない。 ただし、六月末にロンドンでの学会参加を兼ねた旅行があるため、七月と八月に旅行に行くことは少し慌ただしいだろうか。やはり八月に三つの国に足を運ぶ方がいいかもしれない。 今回は時間の都合上、それぞれの首都に滞在することになるだろうが、できるだけ自然が近くにあるような場所に宿泊し、街の中に出掛けて行くこと以上に自然の中でくつろぎたいと思う。 特にアイスランドを訪問した際は、レイキャビクから外に出て自然の中に入っていきたいと思う。欧州での三年目の生活は旅を積極的に行うことを通じて、人間が生きるとは何かについて見つめ直すことにしたい。それはすなわち自分の人生の見直しにも直結しており、自らの人生を深めることにもつながっていくだろう。 年内の旅行に関しては、八月に上記の三カ国を訪れ、十年以上の付き合いのあるドイツ人の友人に会いに行くために九月にはデュッセルドルフを訪れ、その帰りにボンに立ち寄る。十月には五年振りにボストンに行く。 11月は旅に行くことをせず、今年の年末年始はイタリアとエジプトで過ごそうと思う。もしかすると、イタリアとエジプトへ訪れるのは時期が少

2600. 無風の早朝から

今朝は五時半前に起床し、六時手前から一日の活動を開始した。昨日天井の電球を交換したためか、書斎の明るさが増したように思う。 特に今朝のように曇りがちな日において、電球はなお一層部屋を明るくしている。電球が交換されて部屋全体を明るくすることは可能だが、なるべく自然の光を活用しようと思う。明るくするのは手元だけで十分かもしれない。 今朝は一切風がなく、世界がピタリと止まってしまったかのようだ。だが、時折聞こえてくる小鳥たちの鳴き声は、この世界が確かに動いていることを知らせてくれる。 どこからともなく聞こえてくる小鳥たちの鳴き声に耳を傾けながら、一日の活動の開始に向けて心身の準備を進めていきたいと思う。 あいにく今は曇り空であるが、これから少しずつ晴れ間が見えるらしい。午前中の早い段階で雲はなくなり、快晴になるようだ。 そうした天気の中、午後からは街の役所に行って、欧州での三年目の滞在の手続きについて話を伺いに行こうと思う。その帰り道に行きつけのチーズ屋に立ち寄り、いつものチーズとナッツ類を購入する。 それ以外の時間は全て自分の探究活動に時間を充てたい。具体的には、今日は午前中から“Voice Leading: The Science Behind a Musical Art (2016)”と“Ancient Greek Music (1992)”を読み始める。 今日は特に前者を一読することにし、後者に関しては中身をざっと確認するような読み方をしたい。後者についてはまた後日全体の一読を行う。 これらの二冊は全て音楽関係のものであり、それ以外には小林秀雄全集を引き続き読み進めていく。今

2599. 秩序と無秩序から

今日も充実した一日が終わりに差し掛かっている。時刻は午後九時を過ぎた。 今日は早朝の五時に起床してからこの時間帯まで随分と集中的に探究活動に打ち込んでいた。もはや探究領域は混沌としており、それらの領域を一つ一つ列挙することが大変なぐらいである。 自分の中に秩序と無秩序を生み出す根源的な力があることに気づく。それら対極の力に寄り添って探究を進めていくことが自分にとっての真の探究なのだと思う。 対極性こそ万物の根源的な特質であり、それが自らの生をこの上なく深いものにしてくれる。明日も今日と同じほどに密度の濃い時間を過ごすことができるだろう。 書物を読み、文章を書き、音楽を聴き、そして音楽を作る。今日はそこに画集の鑑賞もあった。 学術的なもの、芸術的なもの、実践的なものが一つの巨大なまとまりに向かって歩き始めているのを実感する。自分にできることは、その歩みを見守りつつ自らの足で歩むことだけだ。 明日からは本格的に音楽関連の書籍を読み進めていく。もちろん主に読み進めていくのは作曲理論に関するものだが、それ以外にも以前に購入した音と言語に関する書籍、先日街の古書店で購入したギリシャ音楽に関する書籍などを読み進めていく。 今日は昼食後と夕食後に作曲実践を行った。自分の作った曲を聴きながら喚起される内的感覚をデッサンとして表現した。今はそれが作曲後の一つの内省実践だと言える。 これからは本格的に言語的な意味での振り返りを行っていきたい。そのためには音楽言語に習熟する必要がある。 今の私はまだ音楽言語を扱うことができない。それは単純に語彙の不足と、言葉の獲得と合わせて獲得していく実践経験の不足

2598. 一年半ほど放置していたこと

昨日、突然浴室の電球が切れた。厳密には浴室の電球は半年前にすでに切れており、それについて私はあまり気にしていなかったのだが、浴室にある洗面台の電球が突然点灯を始め、目がチカチカして困ってしまったので不動産屋にメールをした。 「水曜日か木曜日なら家にいますので、そのどちらかの日に修理屋さんの都合の良い日はありますか?」と連絡をした。すると、二年前の日記で登場した例のヨスから連絡があり、「おはようございます!ご自宅にいらっしゃらなくても大丈夫ですよ。修理屋は今日(火曜日)そちらに向かいます」という返信があった。 数ヶ月前にフローニンゲン大学のイノベーション情報センターで研究インターンをした時に同僚から言われたのは、「オランダ人は直接的な物言いをしてコミュニケーションする国民である」ということだった。不動産屋に送ったメールにはもしかすると、依然として日本人的な文脈思考の名残があったのかもしれない。 私のメールの意図はもちろん、自分が自宅にいる時に修理に来て欲しいということであり、しかも修理は今日ではなく、水曜日か木曜日にして欲しいということだったのだが、ヨスからのメールにあるように、結局本日火曜日に修理屋が来ることになった。 幸いにも今朝の天気予報の判断で、午後から予定していた街の役所に行くことを明日に延ばしたので自宅に待機できることになったが、本当にこちらの意図を全て明示的に文章にしなければ相手に真意を伝えることができないことを改めて知る。 お世話になっている不動産屋が契約している修理屋はいつも同じ男性であり、これまた二年前の日記で書いた例の人物である。あの時は、フローニンゲンに到

2597. 魂の形象化能力

どうやら今日は雨が降らないらしい。早朝に確認した天気予報では午後から少しばかり小雨が降るようだったが、先ほど天気予報を改めて確認すると、今日は一日中晴れのようだ。 晴れと言っても薄い雲が所々に空に浮かんでおり、日差しはそれほど強くない。爽やかな風が吹いているため、外は幾分肌寒く感じる。 午後から天気がもつのであるから、午後三時あたりに街の役所に足を運び、欧州でもう一年滞在するための手続きについて確認してこようと思う。これを明日にするのではなく今日行う。 早朝に聞こえていた小鳥の美しいさえずりが今は聞こえない。どうやら近所で工事をしているらしい。自分の魂が小刻みに踊りだすかのような、あの美しいさえずりがまた聞こえてくることを望む。 量子論の思想に対する関心が少しばかり増す。自然現象に非連続性があるのと同様に、人間の心的な発達現象にも非連続性があることがわかっている。この点については一昨年何本かの論文を読んでいたが、改めて発達の非連続性について思いを馳せる。 物質世界における量子のような存在に対応するものが心的世界にもあるのだろうか。発達の非連続性を考えると、そうしたものが存在するのかもしれない。であればそれは何と呼ぶことができるのか。 すでに研究がなされているのであれば、それは何と呼ばれているのだろうか。そのようなことに関心を持つ。 物理量の最小単位が量子であるならば、精神量の最小単位は何なのだろうか。関心は尽きない。 今朝方、過去の日記を読み返していると、再度その日記で取り上げていたテーマについて考えが及んだ。それは「形を求める魂」というテーマだ。 自然言語を用いて日記を書くこ

⭐️【お知らせ】Back Number Vol 56-59(記事1101-1180)

いつも「発達理論の学び舎」をご覧になってくださり、どうもありがとうございます。 過去記事1101から1180に編集をし、所々に追記をいたしました。 お役に立てる情報は少ないかもしれませんが、皆さんのご関心に合わせて、必要な箇所を読んでいただければ幸いです。 閲覧・ダウンロードは下記よりご自由に行えます。 ・Back Number Vol 56(1101-1120) ・Back Number Vol 57(1121-1140) ・Back Number Vol 58(1141-1160) ・Back Number Vol 59(1161-1180)

2596. 内側の衝動に従って

時刻は朝の七時を迎えた。この時間を迎えてから、小鳥の鳴く声がより一層元気付いているように聞こえてくる。活力に満ちた小鳥の鳴き声を聞いていると、こちらも活力に満ち溢れてくる。 今日も静かに一日が始まった。今の空の様子を見る限り雨は降りそうにないのだが、本当に午後から天気が崩れるのだろうか。今はそれを信じることができないが、この街の天候の変動性を考えてみた場合、もう少し観察が必要だと思う。 現在美学への関心の高まりに合わせて、意識の形而上学に対する関心の再燃を経験している。これら二つの領域については、欧州での三年目の生活の中でとりわけ時間をかけて探究していく。 今日もこれからそれら二つの領域に関する書籍を読み進めていく。それに並行して、近々作曲理論の解説書を久しぶりに読み返したいと思う。 これまでは曲を作るという実践をとにかく優先させ、少しばかり経験が蓄積されたため、ここでもう一度理論書に目を通すことが有意義であるように思われる。作曲理論に関する知識はまだまだ脆弱であり、一心不乱に手持ちの理論書を読み進めていきたいと思う。 何度も繰り返し繰り返し理論書を読む。作曲実践の経験がひとつの段階にまで到達した都度、理論書を紐解くことによって自分の経験を再検証し、さらなる経験への足がかりにしていく。 知識と経験をそのようなサイクルの中で深めていく。実践に偏重するのでも、理論に偏重するのでもなく、どちらも共に偏重していく。どちらも常軌を逸した形で深めていく。 明日あたりから、音楽理論、メロディーの創出方法、フーガの技法、転調の技法、ハーモニーの創出方法、作曲理論の基礎に関する書籍を10冊ほど一

2595. 新たな一日の開始に向けて

今朝は五時に起床し、五時半から一日の活動を開始した。以前の日記で言及したように、朝の身体運動の中に再びヨガを加えることになった。 これにより、目には見えない微細な感覚で身体の状態が変わっているように思う。引き続き、起床直後にヨガを行うことを続けていきたい。 五時半を過ぎたばかりの早朝のこの時間帯はとても静かだ。聞こえてくるのは小鳥の鳴き声ぐらいである。 朝日もこれからその強さを増すようであり、今は赤レンガの家々に少しだけ朝日が当たっている。天気予報を確認すると、どうやら今日は午後からわずかばかり雨が降るようだ。 今の空の様子を見ていると、午後から雨が降るようにはどうしても思えないが、変化の激しいフローニンゲンの天気においてはそうしたことも十分にありえるだろう。予定では、午後から街の中心部にある役所に行き、もう一年欧州に滞在するための手続きの方法について尋ねに行こうと思っていた。 だが、午後から雨が降るようなので、役所に行くのは明日でいいかもしれない。ちょうど行きつけのチーズ屋にそろそろ足を運ぼうと思っていたので、明日に両方の場所に訪れようと思う。 昨日は美学の書籍と、辻邦生先生の『小説の序章』を読んだ。前者の書籍は非常に内容が濃く、美学の領域に含まれる無数のトピックには少々驚かされた。 今の私には全く理解できないトピックがあったことは確かである。ただし、多岐にわたるそれらのトピックを全て理解する必要は全くなく、自分を捉えてやまない自らの関心に合致したトピックから徐々に理解の幅と深さを広げていく。 後者の書籍に関しては、辻先生は小説家でありながらも、つくづく哲学者でもあると思った

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