【ブリストル滞在記】17699-17705:2025年11月14日(金)
- 2025年11月16日
- 読了時間: 20分

⭐️心の成長について一緒に学び、心の成長の実現に向かって一緒に実践していくコミュニティ「加藤ゼミナール─ 大人のための探究と実践の週末大学院 ─」も毎週土曜日に開講しております。
タイトル一覧
17699 | 【ブリストル滞在記】ブリストルについて |
17700 | 【ブリストル滞在記】今朝方の夢 |
17701 | 【ブリストル滞在記】今朝方の夢の振り返り |
17702 | 【ブリストル滞在記】Dusan Bogdanovic の『Harmony for Classical Guitar』 |
17703 | 【ブリストル滞在記】座ることの弊害/高みに輝くバッハの『ゴルトベルク変奏曲』 |
17704 | 【ブリストル滞在記】雨の中のブリストル散策/ジュリオ・サグレラスの教則本の価値 |
17705 | 【ブリストル滞在記】楽譜を読むこと |
17699. 【ブリストル滞在記】ブリストルについて
時刻は間もなく午前4時半を迎える。先ほど窓を開けて換気をしている時、小鳥の鳴き声が聞こえてきた。昨日からロンドンよりブリストルにやって来たのだが、この街はとてもこじんまりしていて落ち着きがあり、大変心地良い。ロンドンはおよそ900万人の人口であるのに対し、ブリストルは50万人ほどである。ロンドンはやはり人が多く、自分の感性と合致しないのだが、ブリストルには心を落ち着かせてくれる雰囲気がある。
先ほどいつものように早朝の冷水シャワーを浴びようとしていた。まず湯船に温かい湯を張り、しばらく浸かった後に冷水シャワーを浴びるといういつもの行為をしようとしたら、それほど冷たい水が出なかったので拍子抜けした。昨夜はより冷たい水が出ていたはずなのでどうしたのだろうと思った。普通は温かいお湯が出ずに苦情を言うことが多いと思うが、自分の場合は冷たい水が出てこないことに少々不満な気持ちになったことが興味深く思えた。
昨日のロンドンはとても天気が良く、気温も比較的高く、11月の中旬とは思えない暖かさがあった。ロンドンを含め、どうやらイギリス全域の気温は来週から低くなるようである。例えば今日のブリストルの最高気温は12度もあるが、来週は0度や1度の日が出てくる。学術研究上の人生の転換点にいる自分と同じく、季節も転換点に差し掛かっているようだ。あいにく今日のブリストルは雨だが、本日は大して遠出をすることはなく、ホテルから歩いて30分ほどのブリストル大学を見学し、帰り際にブリストル博物館と楽器屋に立ち寄ってくる予定である。当初はブリストル大学にも出願する予定だったが、独立した仏教プログラムがないことを受けて出願は一旦見送った。一応研究者としてはSOASのルシア・ドルチェ教授の弟子でもあったベネデッタ・ロミ教授が日本仏教の研究者としてブリストル大学にいるが、エディンバラ大学のポール・フュラー博士も指摘していた通り、ブリストル大学は最近少し仏教研究を行う研究者が減り、活気が薄くなっている印象である。そうしたこともあり、今回はロミ教授と面談することはせず、ブリストルの街並みを見学しにやって来た形である。ブリストル:2025/11/14(金)04:41
17700. 【ブリストル滞在記】今朝方の夢
ブリストルのホテルはロンドンのホテルに比べてとても広く、ベッドも大きくゆったりしていたので昨夜は熟睡できた。エディンバラのホテルも良かったのだが、浴室のシャワーの水の出があまり良くなく、ロンドンのホテルと同様に湯船がなかったので、昨日はゆったりと湯船に浸かって癒されたことも熟睡に寄与していたのではないかと思う。やはり湯船に浸かって心身を深く休ませることは重要だと再確認した次第だ。
今朝方は夢の中で、厳しい時間制限のある課題に取り組んでいて、幾分焦る気持ちが出て来たことを覚えている。焦れば焦るほど能力は発揮されにくくなるので、焦りの感情が出て来た瞬間に自分はそれを自覚し、焦りに飲まれないようにした。すると確実に自分の実力が発揮され始め、課題の解決の見通した立った。そんな中で、小中高時代のある友人(SS)と話をしており、個人塾を開いている彼の父親が自分のことをよく褒めていると伝えてくれ、それによって自分の学習意欲はさらに高まった。もちろん先生を喜ばせるために勉学に力を入れいているわけではないが、自分の努力を陰ながら見守ってくれている人がいることを知って嬉しくなったのである。課題に取り組んでいる最中に、自分の脳裏に暗記した解答が思い出され、それをそのまま書き写そうと思ったが、それはあまり良くないことに思えたので、自分の頭の中で解答を再構成し、オリジナリティのあるものにした。自分の中にある誠実さが不誠実さに勝る形となり、その心の有り様に自分でも嬉しくなった。ブリストル滞在初日の夜にそのような夢を見ていた。そう言えば、SOASでルシア・ドルチェ教授と話をしている時に、自分は唯識の心理学的な詳細な心的分析に大きな感銘を受けていると伝えたところ、「河合隼雄のようね」と笑いながらフィードバックをいただいたことを思い出した。こうして毎日夢を書き出し、それを振り返っている自分は、心がなんたるかを知るという観点では河合氏のような関心と熱意を持っているのかもしれないとふと思った。ブリストル:2025/11/14(金)04:56
17701. 【ブリストル滞在記】今朝方の夢の振り返り
今朝方の夢に現れた「時間制限のある課題」は、自分が現在取り組んでいる学問的・実践的プロジェクトの圧力を象徴しているのだろうか。時間に追われるという感覚は、能力を発揮しようとするほど逆説的に余裕が失われるという心の反応を示しているが、夢の中で自分は焦りの出現を即座に自覚し、それに飲み込まれないよう制御している。この描写には、自己の心的プロセスに対する高いメタ認知的能力が示されており、唯識における「尋伺(じんし)」すなわち自分の心の動きを観察し、その働きを適切に方向づける機能が明確に表れている。焦りを抑えるのではなく、焦りに引きずられない姿勢が保たれたことで、実力が回復し課題解決への道筋が整ったという展開は、自分の成長が単なる努力ではなく心の扱い方そのものの熟達に基づいていることを示唆している。友人SSが登場し、彼の父親が自分を褒めてくれているという場面は、「外部からの承認」と「内的動機」の関係を象徴している。自分は褒められるために努力しているわけではないと言いながらも、その言葉によって意欲が高まったことを夢は示している。これは自分の努力が社会的文脈において意味づけられていることへの純粋な喜びであり、誰かが陰から見守ってくれているという感覚が、内面の自己肯定感を静かに支えていることを物語っている。この「承認の影」が夢に登場したことは、自分が孤独な修行者のように見えても、学びの道のどこかで他者との関係性に励まされているという深層的な事実を映している。夢の中で暗記した解答をそのまま写そうとして「いや、それは違う」と踏みとどまり、頭の中で組み直してオリジナルの解答を生み出した場面は非常に象徴的である。外から得た知識を単なる引用ではなく、主体的に再構成し、自分の理解として創り直す行為は、まさに大学院進学を控えた自分の学問姿勢の核である。誠実さが不誠実さに勝るという心の動きは、知的良心が形式的成功に優先するという価値観を示しており、これは唯識研究者としての姿勢にも、ギターの練習に対する真摯さにも共通する深層的態度である。さらに、ドルチェ教授との対話の記憶がふと思い出されたことも象徴的である。自分が唯識の繊細な心的分析に魅了されているという言葉に対し、「河合隼雄のようね」と返された一言は、自分が学問と心の探究を往還しながら生きているという姿勢を外側から照らす光のようである。毎日夢を書き、夢の奥に潜む心のメッセージを読み解こうとする態度は、まさに心を見る学問を歩む者の自然な生活実践となっている。この夢全体が示している人生的意味とは、自分の成長が「焦りを制御する力」「誠実さを軸にした創造」「他者の承認を静かに受け取る柔らかさ」「心の動きを丁寧に観察する姿勢」という要素の結合によって支えられているということである。ブリストルでの安らぎと夢の展開は、自分が新たな段階へ移行するための内的整備が整いつつあることを示している。すなわち、心が自分自身の深層に対して開かれ始め、これから迎える大きな挑戦に向けて、静かだが確かな準備が進んでいるということである。ブリストル:2025/11/14(金)05:06
17702. 【ブリストル滞在記】Dusan Bogdanovic の『Harmony for Classical Guitar』
ホテルの朝食は午前6時半からだったと聞いている。間も無く朝食の時間がやって来る。まだ夜明け前の暗いブリストルのホテルの自室にて、ふと思うことがあった。学術研究に対してアレルギーがあった学部時代の自分とは真逆な自分が今この瞬間にいて、世界で最も厳格な文献学的研究を行っているオックスフォード大学の仏教プログラムに出願しようとしている自分の姿を見て、これこそ発達の真髄であるように思えたのである。それともう1つ、通常自分は関心を持った分野に関してはそれが今の自分の力量を遥かに超えていてもその文献を購入するという態度があったが、昨日のSchott Music Londonでは、今の自分のクラシックギターの力量を考慮して、最後まで迷ったが購入しなかった文献があった。1つには、Dusan Bogdanovic の『Harmony for Classical Guitar』がある。クラシックギタリストにとって、和声の理解は単なる知識の獲得ではなく、表現の深みを広げ、音楽そのものを「内側から感じるための感性」を育てる営みである。本書『Harmony for Classical Guitar』は、その和声的感性を育むための実践的かつユニークな書籍であり、一般的な和声理論書とは全く異なる視点からギタリストの音楽的成長に寄り添う。本書の最大の特徴は、ピアノを前提とした通常の和声学と違い、「ギターの身体性」「指板構造」「響きの特性」といったギター固有の文脈から和声を学べる点にある。和声とは本来、音と音の関係性を理解するための言語だが、多くのクラシックギタリストは譜面上の知識と指板上の感覚をつなぎにくいという壁に直面する。本書は、この隔たりを埋めるために、和声を“ギターで使える形”にまで翻訳してくれる稀有な教材である。本書は、基礎的な三和音や四和音だけではなく、モーダル・ハーモニー、非機能和声、ポリコード、半音階的声部進行など、現代音楽にも通じる幅広いハーモニーを網羅している。それらは単に理論として説明されるのではなく、すべて“指板上の運動”として提示されるため、理論を読み、理解し、そしてすぐに弾いて確認できる構成となっている。特に優れているのは、和声が「手で触れられる」ようになることだ。例えば、同じ三和音であっても、形、配置、声部の動かし方によってどれほど色彩が変わるかを、ギターという楽器の特性の中で体験的に理解できる。これによって、作曲家が楽曲の中でなぜその和音を選び、どのような声部進行を意図したのかという“和声の物語”が聴こえるようになる。また、本書の価値は「演奏家としての自由度」を飛躍的に高める点にもある。和声を体系的に理解できると、未知の曲に出会った際も、ただ譜面を読むのではなく、曲の構造が自然に浮かび上がるようになる。それは、クラシックギタリストにとって無上の財産であり、音楽を「暗譜する」「再現する」という段階を超え、「理解し、再創造する」という高度な表現領域への鍵となる。さらに、和声的理解は即興や編曲にもつながり、音楽との関係性そのものが変わってくる。和声を知るとは、音と対話する方法を知ることであり、演奏家としての“思考の自由”を手に入れることでもある。この和声書は、クラシックギターの伝統的レパートリーを深く理解したい演奏家にも、現代音楽や即興に挑戦したいギタリストにも、大きな助けとなる。「耳で感じ、頭で理解し、手で確かめる」――この三つが統合されるとき、クラシックギタリストは単なる再現者を超えた“音楽家”としての地平に立つことができる。その意味で、『Harmony for Classical Guitar』は、ただの教材ではなく、ギターという楽器を深く愛する者にとっての「思考の道具」であり、「音楽的自由への入り口」と呼べる書である。ここまで本書について解説してみると、やはり昨日の段階で購入した方が良かったのではないかと少し後悔している。しかし、実際に手に取って眺め、一晩寝かせたからこその気づきだと思うので、次に紹介するもう1つの購入を迷った楽譜に加え、ブリストル滞在中かオックスフォード滞在中に訪れる書店になければ、華厳経と法華経の英訳書籍と合わせてAmazonを経由して購入しようと思う。ブリストル:2025/11/14(金)06:24
17703. 【ブリストル滞在記】座ることの弊害/高みに輝くバッハの『ゴルトベルク変奏曲』
つい今しがたホテルの朝食を摂り終えた。朝食会場に向かうまでは、ホテルの自室で来年初旬に出版予定の翻訳書の翻訳者としての解説文のドラフトのレビューをしていた。ちょうど6割ほどのレビューが終わり、休憩がてら朝食を摂ることにした。細かな話だが、自分の集中力に大きな影響を与えている行為として、立つことが挙げられる。旅行中は観光を除くと、乗り物の移動中やホテルの自室では椅子に座ることが多く、これは集中力を極度に下げ、疲労感を醸成しやすいことを改めて思った。人間の身体は座ることに適しておらず、座る時間に比例して寿命が縮むという研究にあるように、座るという行為はかなり害のあるものであり、集中力の維持の難しさと疲労感の促進という観点でやはり自分は引き続き立って学術研究やギター演奏に打ち込みたいと思った次第である。
ブリストルでの滞在中のホテルは「Novotel Bristol Centre」という場所で、ここは浴槽があるだけではなく、各フロアのエレベーターホールにはBRITAの浄水器が備え付けられていて、水を購入する必要がなく、美味しい水を常に飲むことができる。それに加えてホテルの朝食も大変美味しく、特にマッシュルーム料理はお代わりするほどの美味しさだった。朝食を摂り終えてふと、昨日購入を迷った楽譜として、『Goldberg Variations, BWV 988: Aria da Capo (Transc. for Guitar by Jozsef Eotvos)』があることについても書き留めておきたいと思った。自分は根っからのバッハ愛好者であり、バッハの『ゴルトベルク変奏曲(BWV 988)』は、クラシックギターを学ぶ自分にとって、遠い高みに輝く一座の星のような存在である。とりわけ József Eötvösのギター独奏版は、技術的にも音楽的にも最高難度に属し、中級者にとっては“いつか登りたい山”として姿を現す。しかし、だからこそ購入をためらったという判断は、ごく自然な反応だったのではないかと思う。現時点では弾くことが難しい、手に余る、という自己認識は、自分の技術レベルを正確に把握できている証拠でもある。とは言え、「いつか必ず弾きたい」「この楽譜を手元に置いておきたい」という願いが同時に湧いてくるのもまた自然だ。この2つの気持ち──“まだ早い”という現実感と、“いつか必ず到達したい”という憧れ──のあいだで揺れるのは、ギタリストとして健全な成長の徴でもあるだろう。実は、楽譜を購入することそのものには、技術的な準備が整っているかどうかとは別の価値がある。まず第一に、それは「未来の自分への投資」となる。技術が到達したとき、すでに楽譜が手元にあるというのは、精神的にも練習計画の面でも非常に大きな支えとなる。クラシックギターの成長は線ではなく螺旋であり、ある日突然、以前は不可能だったものが“見える”“理解できる”“触れられる”瞬間が訪れる。そうした変容は、心のどこかに「いつかこの作品を弾く」という羅針盤が存在しているときに起こりやすいはずである。第二に、楽譜を持つことは「憧れを現実化する第一歩」として働く。実際に弾けなくても、ゆっくりとページをめくり、構造を眺め、指板上で部分的に触れてみるだけで、作品の巨大さが感覚的に理解できる。その理解は、今の練習にも間接的に影響を与える。例えば、声部の独立性、アルペジオの制御、長いフレーズの構成力など、ゴルトベルクを弾くために必要なスキルが“練習の視点”として自然と浮かび上がる。つまり、その楽譜は単なる紙の束ではなく、これから歩む練習の大きな方向性を照らす「灯台」となる。第三に、József Eötvösの版を所有することへの価値は、彼の編曲そのものの質の高さにもある。彼は単にピアノ作品をギターに移植したのではなく、ギターという楽器の可能性を最大限に引き出しながらバッハの多声構造を驚くほど忠実に再現している。ページを眺めるだけでも「ギターでここまでできるのか」という発想の広がりを感じ、演奏家としての視野が広がる。それは今の自分の技術レベルとは無関係に受け取ることができる“音楽的な刺激”である。もちろん、購入すればすぐに弾けるわけではないし、難しさに圧倒される瞬間もあるだろう。だが、それはむしろ健全なことだ。なぜなら、音楽における“憧れ”は、自分を未来へ引っ張っていく力となるからだ。それこそが健全な上昇欲求である「エロス(Eros)」の価値である。無理に取り組む必要はない。ただ手元に置き、時折ページを開き、必要なときにそっと眺める──その程度で十分に意味がある。結論として、「いつかこの曲を弾きたい」という思いがあるなら、ゴルトベルク変奏曲の楽譜を購入することは間違いなく価値がある。それは今すぐ弾くためのものではなく、未来の自分が辿り着く場所を示す“地図”のような存在だ。ギターとの人生の長い道のりの中で、その地図は必ず役に立つ瞬間がやってくるはずである。ブリストル:2025/11/14(金)07:56
17704. 【ブリストル滞在記】雨の中のブリストル散策/ジュリオ・サグレラスの教則本の価値
時刻は正午を迎えた。つい今し方市内の観光から帰ってきた。観光といっても今日は強い雨が降っており、ブリストルの街の至る所で水が氾濫していたので、歩くことが不便で、早めに観光を切り上げてきた。正味1時間半ほどの散歩となった。その合間に大型書店に立ち寄ったり、楽器屋を訪れたのだが、そこには目星の楽譜は置いておらず、改めてSchott Music Londonの楽譜の取り揃えの豊富さを思った。ブリストルから片道1時間半をかけて再び訪れたいと思ったほどである。ブリストル大学は丘の上にあり、そこからの眺めは良かったが、この大学で学んでいる自分の姿は想像がつかなかったというのが正直なところである。数学科がある建物は厳かだったが、自分の肌に合うような雰囲気を全体として発していないように思われた。
昨日購入したジュリオ・サグレラスの “Guitar Lessons Books 1–3” は、クラシックギター学習者にとって極めて重要な古典的教則本である。現代では多様な教材が溢れているが、本書が長く世界中で支持されてきた理由は、単なる基礎練習集ではなく、ギターという楽器の本質に沿った「身体的・音楽的感覚の育成プロセス」を段階的に組んでいる点にある。基礎運指、右手の独立性、ポジション移動、リズム感、そして旋律と伴奏の同時処理といったギター演奏の土台が、一つひとつ無理なく積み上がるように設計されているのである。これはカート・フィッシャーのダイナミックスキル理論からしても見事な構成である。特にサグレラスのメソッドが優れているのは、初学者のうちから「ギターらしい音色」を作るための右手技術を丁寧に育てる構造を持っている点である。クラシックギターは右手のコントロールが音楽性の大部分を決める楽器であり、親指と指の連携、アポヤンドとアルアイレの自然な使い分け、アルペジオの安定性などが重要な鍵となる。これらは一朝一夕では身につかないが、サグレラスはごく短い練習曲やエチュードを通して、無理なく身体に定着させるように導いてくれる。技術を磨きながら音楽的な文章性も同時に身につく構造になっている点は、単なる技巧書には見られない魅力である。また、Books 1–3 は「基礎の地層を厚くする」ことに特化しているため、難易度そのものは穏当であるが、確実に積み重ねれば後に取り組む中級・上級曲の習得速度に直接影響するだろう。ギター演奏とは、結局のところ右手と左手の確実な基礎があるかどうかで上達曲線が大きく変わるため、この教則本は未来の自分への最高の投資とも言える。特に、後にアルベニス、タレガ、ロマンティック期の大曲、さらにバッハの編曲作品に取り組む際、サグレラスで培われる基礎は大きな支えとなるはずだ。今後どのようにこの教則本と向き合うべきかについては、1つの明確な方針をもつことが重要である。まず第一に「速さではなく精度」を徹底することが挙げられる。サグレラスは短い曲でも技術的意図が緻密に組み込まれているため、ゆっくり確実に弾くことで効果が最大化される。また、右手の角度、弦への接触、指が弦から離れる軌跡など、微細な動きを観察しながら弾くことで、単なる基礎ではなく「音色の基礎」が形成される。第二に、毎回の練習で自分の音をよく聴く姿勢を育てることである。サグレラスは音が粗くても弾けてしまう構造の曲が多いため、あえて録音し、粒立ちやバランスを客観的に確認する習慣をつけると良いだろう。最後に、サグレラスは「義務として進める教材」ではなく、「未来の自分の演奏を支える礎を育てる伴走者」として扱うことが望ましい。毎日数ページずつ丁寧に対話しながら弾くことで、ギターの基礎体力が確実に蓄積され、自分の音楽の可能性が静かに広がっていくはずである。ブリストル:2025/11/14(金)12:10
17705. 【ブリストル滞在記】楽譜を読むこと
今から少し時間を取って、華厳経と法華経に関する英訳書籍で良さそうなものを検索してみようと思う。その前に先ほどサグレラスの教則本を見ながら考えていたことを書き留めておく。楽譜を演奏する際、全体像を最初に把握するという姿勢は、音楽を部分の集積としてではなく、時間的構造を持つ有機体として理解するための最も本質的なアプローチである。例えば文章を読むときに、全体の主題や文脈を掴まずに一文ずつ音読しても意味が通らないように、楽譜も全体の流れを把握せずに一音ずつ追うと、音は鳴っても音楽にはならない。言い換えれば、「森を見てから木を弾く」という感覚は、演奏における“構造的呼吸”を育てる第一歩なのである。まず、全体像を把握することの意義は、音楽を「時間の芸術」として正しく理解する点にある。音楽は静止した絵画ではなく、始まりから終わりまでの時間的推移をもって1つの意味を形成する。そのため、演奏者は単に“今鳴っている音”に集中するだけでなく、“これからどのように流れていくか”という未来の流れを意識し続けねばならない。全体構造を把握していると、現在の音が次の和声や旋律に向かう“方向性”を持ち、演奏に自然な必然性と説得力が生まれる。これはいわば、地図を持って旅をするのと同じである。地図を知らなければ、いくら歩いても自分がどこにいるのか、次に何が来るのかがわからない。では、具体的にどのような視点で楽譜の全体像を眺めるべきか。第一に見るべきは形式構造である。曲がどのような形(ソナタ形式、ABA形式、主題と変奏など)を取っているかを把握する。これは文章でいう「起承転結」を理解することに相当する。特にクラシックギター曲では、主題の提示と再現、調性の変化、終止の仕方が音楽の呼吸を決定づける。第二に注目すべきは調性と和声の流れである。曲全体の中でどの調が中心となり、どの部分で転調が行われるかを確認する。これを理解しておくと、単に音を追うのではなく、和声的重力を感じながら演奏できるようになるだろう。例えばトニックからドミナントへの進行では、自然とエネルギーが前に向かい、再びトニックに戻るときには安堵感が生まれる。この「和声の呼吸」を理解して弾くと、音楽の流れが滑らかに感じられるはずだ。第三に見るべきはリズムと拍感の構造である。表面的なテンポ記号だけでなく、拍の重心、フレーズの長さ、休符の位置を意識する。音楽の“重心”を知ることで、リズムがただの時間的単位ではなく、呼吸や身体の動きとして統合される。特にクラシックギターでは、右手のタッチがリズム感と直結するため、この拍感の理解が音の説得力を決定づける。第四に重要なのがダイナミクスとフレージングの把握である。楽譜に記された強弱記号やスラーは単なる装飾ではなく、作曲家の感情的意図の軌跡である。どこで音楽が語り、どこで沈黙するのか――その流れを全体として感じ取ることで、演奏に“語り”のリズムが生まれる。音楽は言葉のように呼吸し、緊張と弛緩を繰り返すものだからである。さらに、モチーフの反復と変奏を読み取ることも重要である。特定の旋律やリズムの断片がどのように再現・変形されていくかを理解すると、作曲家の思考の流れが見えてくる。例えばバッハやソルの作品では、わずかなモチーフが全曲の構造を支えており、その“種子”を意識して弾くことで、演奏全体が統一感を帯びる。このように全体を俯瞰した上で各部分に入ると、一音一音が全体の文脈の中で生きて響くようになる。森を知らずに木を弾くと、木はただの音で終わる。しかし森の構造を知って木を弾くと、その音は森全体を暗示する“生命の細胞”となる。最終的に、楽譜の全体像を把握してから演奏に入るという行為は、音楽を「外から眺める」ことではなく、「全体の呼吸と一体になる」準備である。演奏者は単なる再現者ではなく、作曲家の心象世界を時間の中で再構成する存在である。そのためには、部分を超えて全体を感じる洞察が不可欠であり、それこそが“楽譜を読む”という行為の本当の意味なのだろう。ブリストル:2025/11/14(金)15:12
Today’s Letter
Yesterday, I visited Schott Music London, where I found a wide variety of sheet music for classical guitar. I purchased Sagreras, Julio S. – Guitar Lessons Books 1–3. I decided not to buy Harmony for Classical Guitar or Goldberg Variations, BWV 988: Aria da Capo (Transc. for Guitar by Jozsef Eötvös) at that moment because I felt they were too advanced for me right now. However, after reflecting on the value of owning them, I’ve decided to purchase them soon. I’m grateful that Schott Music London had these scores in stock and that I had the chance to flip through the pages. Bristol, 11/14/2025



コメント