【フローニンゲンからの便り】18697-18702:2026年5月17日(日)
- 15 時間前
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タイトル一覧
18697 | 自由になるための基礎練習 |
18698 | 今朝方の夢 |
18699 | 今朝方の夢の振り返り |
18700 | 朝のブラックコーヒーの飲み方 |
18701 | 基礎練習だけの日 |
18702 | フォームの調整日としての基礎練習のみの日 |
18697. 自由になるための基礎練習
最近続けている左右の運指トレーニングについて考えていると、これは単なる「ギターの練習」というより、スポーツ選手が毎日繰り返している基礎ドリルに極めて近いものなのだろうと思うようになった。特に感覚として近いのは、サッカー選手のボールタッチ練習や、バスケットボール選手のハンドリング練習である。サッカーでは、一流選手ほど地味なインサイドパスやリフティングを異常な精度で繰り返しているという。試合中に華麗なプレーができるのは、複雑なことをしているからではなく、「基礎動作が身体の奥深くまで染み込んでいる」からである。ボールが来た瞬間、足先が無意識に最適な角度へ入る。視線を上げながらでもボールコントロールが崩れない。これは、クラシックギターで言えば、左手が指板を探さずに動き、右手が弦を見なくても狙った音色を出せる状態に似ている。バスケのハンドリングも非常に近い。トップ選手ほど、単純なドリブルを毎日何千回も反復するらしい。左右の手で別々のリズムを刻みながら、身体全体の重心移動と同期させる。その訓練を積むことで、試合中には「ボールを操作している」という感覚すら薄れ、ボールが身体の延長になる。最近のギター練習でも、少しだけ同じ感覚が生まれ始めている。以前は「指を動かしている」という意識が強かったが、今は音楽の流れの中に手が自然に乗っていく瞬間がある。おそらく基礎練習とは、「できないことをできるようにする作業」というより、「意識の遅延を消していく作業」なのだろう。サッカーでも、試合中に「次はどう蹴ろう」と考えていたら遅い。バスケでも「どうドリブルしよう」と考えていてはボールを取られる。同じように、ギターでも「どの指を動かそう」と考えている間は、まだ音楽の流れに完全には入れていないのだと思う。そして面白いのは、こうした基礎練習が、外から見ると極めて退屈に見えることである。しかし実際には、その反復の中で微細な変化を感じ取る感覚が育っていく。今日は右手の接弦が少し柔らかい、左手の脱力が昨日より自然である、音の立ち上がりがわずかに滑らかである――そうした違いを観察していると、単純な反復が、一種の身体的瞑想のようになってくる。結局のところ、自分が毎日行っている基礎練習は、サッカー選手がボールと対話し、バスケ選手がボールを身体化していく過程と同じなのだろう。派手な試合の裏で、何千回も繰り返された地味な動作が、最終的には自由を生む。音楽もまた、自由になるために反復する芸術なのかもしれない。フローニンゲン:2026/5/17(日)07:05
18698. 今朝方の夢
今朝方の夢の世界は、今目の前に広がる朝の世界のように穏やかだった。形を持つようなものではなく、印象や感覚のみで展開される夢が多かったように思う。そんな中で覚えているのは、ヨーロッパで活躍するサッカー選手の話を誰かとしていた場面である。話題に挙げていたのは日本人選手ではなく、とりわけ世界を代表するエースストライカーたちの活躍についてであった。バルセロナに所属するエースストライカーの話題が盛り上がったことは記憶に残っている。その他にも何人かのエースストライカーを取り上げ、彼らの個性について語っていた。話し相手は日本人ではなく外国人だったが、会話は日本語でなされていた。この場面の後に現れたのは、女性に人気のある男性の特徴について誰かと話をしている場面である。そうした男性の特徴として自分は三つの点を挙げ、それら三つは階層構造になっている点を説明した。最初の下部構造が疎かだと、女性からは見向きもされなくなるため、下部構造が一番重要であることを伝えた。すると会話相手の男性も納得していたようで、それを受けて次の階層の話に移った。今朝方の夢で覚えているのはこれくらいである。総じて穏やかな雰囲気で展開されていく夢の世界であった。フローニンゲン:2026/5/17(日)07:16
18699. 今朝方の夢の振り返り
今朝方の夢は、強烈な事件や象徴的な物体ではなく、「雰囲気」そのものが主役となっている点に大きな特徴があるように思われる。夢全体に漂っていた穏やかさは、まるで風の弱い早朝の海面のように、自分の無意識が一時的に波立つことをやめ、静かな均衡状態に入っていたことを示しているのかもしれない。形ある対象ではなく、印象や感覚が中心になっていたという点から見ても、意識が論理や現実的課題を処理する段階よりもさらに深い層へ降りていた可能性がある。そこでは「何を達成するか」よりも、「どのような在り方で存在しているか」が重視されていたのであろう。その静かな世界の中で現れたのが、ヨーロッパで活躍するエースストライカーたちについての対話である。ここで興味深いのは、日本人選手ではなく、世界最高峰のストライカーたちに焦点が当たっていた点である。ストライカーとは、サッカーという巨大な流動構造の中で、最後に決定を下す存在である。無数のパスや連携が積み重なった末に、最後の一点を撃ち抜く役割を担う。これは現在の自分が、単に知識を蓄積する段階から、「決定的な価値を世界に打ち込む段階」へ意識を移し始めていることを象徴しているのかもしれない。しかも会話相手は外国人でありながら、日本語で会話が成立していた。これは、自分の内面で育ててきた思想や価値観が、もはや「日本内部だけの閉じた文脈」に留まらず、異文化的空間でも通用する普遍性を持ち始めている感覚を暗示しているように思われる。異国の人物と母語で通じ合う光景は、まるで異なる大陸を流れる河川が地下水脈で繋がっていることを発見するような感覚である。表面的には文化も言語も異なるが、深層では共鳴可能であるという感覚がそこにあるのであろう。後半の「女性に人気のある男性の特徴」を階層構造として説明する場面は、さらに興味深い。この夢で本当に問題になっているのは恋愛そのものではなく、「人を惹きつける存在の構造」であるように見える。しかも自分は、その魅力が単なる表面的技術ではなく、下部構造から積み上がる階層性を持つことを説明していた。これはまさに、現在の自分が成人発達理論を通して理解している「深層構造」の夢的表現なのかもしれない。特に印象的なのは、「下部構造が最重要である」と語っていた点である。これは、どれほど高度な知性や理念を持っていても、基盤となる身体性、安定感、誠実さ、存在感が脆弱であれば、人間は他者を惹きつけられないという直観を表しているように思われる。高層ビルが空へ伸びるためには、地下に巨大な基礎杭を埋め込まねばならないように、人間の魅力もまた、見えない土台によって支えられているのであろう。夢の中で自分が「最下層が重要」と強調していたことは、最近の基礎練習への没頭や、身体訓練への関心とも深く響き合っているように見える。華やかな演奏や思想より前に、まずは音を出す身体そのものを鍛えようとしている現在の姿勢が、そのまま夢の構造へ反映されたのかもしれない。総じてこの夢は、「世界的視野」と「基礎構造への回帰」という、一見対照的な二つの方向性を同時に映し出しているように思われる。世界最高峰への憧れを抱きながら、同時に最も地味で見えにくい基盤へ意識を向けているのである。それは、巨大な樹木が空へ枝を広げるほど、地下ではさらに深く根を張っていく姿に似ている。人生における意味としては、自分がこれから進もうとしている道は、単なる外的成功の獲得ではなく、「深い基礎によって支えられた普遍的存在感」を形成する方向に向かっていることを、この夢は静かに示しているのかもしれない。フローニンゲン:2026/5/17(日)08:06
18700. 朝のブラックコーヒーの飲み方
数日前から、朝のブラックコーヒーに小さじ1杯ほどのココナッツオイルを入れて飲み始めることにした。これは以前も行っていた習慣ではあったが、最近はギターの基礎練習や執筆、翻訳など、朝からかなり神経を使う活動が増えているため、単なるカフェインだけではなく、もう少し持続的なエネルギー源を身体に与えてみたいと思ったのである。最初は2杯ぐらい入れたほうが効果が高いのではないかとも思った。しかし調べてみると、ココナッツオイルに含まれるMCTは身体に素早くエネルギー化される一方で、急に量を増やすと胃腸が驚くらしい。考えてみれば当然である。身体とは、突然大量の新しい燃料を投入されると、その処理方法をまだ学習していない。まるで初心者が突然フルマラソンを走ろうとするようなもので、まずは少量から慣らしていく必要があるのだろう。実際、小さじ1杯だけでもコーヒーの質感はかなり変わった。ブラックコーヒー特有の鋭い苦味が少し丸くなり、口当たりが柔らかくなる。単なる飲み物というより、身体に薄い燃料膜を流し込むような感覚があった。油というと重い印象があるが、ココナッツオイルは意外にも軽く、飲んだ後の感覚も比較的クリアである。そして面白いのは、この習慣が最近のギター練習ともどこか重なって見えることである。左右の運指トレーニングも、最初から極端な負荷をかけるのではなく、神経系を少しずつ慣らしていくことが重要である。小さな反復を毎日積み重ねることで、ある日突然、指が魔法のように滑らかに動き始める。身体の変化というものは、多くの場合、「急激な革命」ではなく「静かな適応」の形で訪れるのかもしれない。おそらく今の自分は、人生全体としても「身体を整え直す時期」に入っているのだろう。これまで比較的、知性や思考によって世界を切り拓いてきた。しかし最近は、筋力トレーニング、ジャンプ、ギターの反復練習、睡眠、食事、そしてこうした小さな栄養習慣にまで関心が向き始めている。頭脳だけで前進するのではなく、身体そのものを「未来へ向かう器」として再構築しようとしている感覚がある。朝のブラックコーヒーに浮かぶ小さなココナッツオイルは、単なる油ではなく、そうした変化の小さな象徴なのかもしれない。フローニンゲン:2026/5/17(日)08:32
18701. 基礎練習だけの日
最近ふと思ったのは、週に一日ぐらいは、あえて楽曲をほとんど弾かず、左右の運指や脱力、音色づくりのような基礎練習だけに没頭する日を作っても良いのではないかということである。以前の自分であれば、そのような日を「音楽から離れている日」のように感じたかもしれない。しかし今はむしろ逆で、基礎練習こそが音楽の土壌そのものなのではないかと思い始めている。最近の指の変化を見ていると、楽曲を繰り返し弾くこと以上に、基礎運動を徹底した後のほうが、翌日の演奏が明らかに変わっている。これはおそらく、楽曲演奏が「表現の運転」であるなら、基礎練習は「身体そのものの再設計」に近いからなのだろう。サッカー選手が試合をしない日に、延々とボールタッチだけを磨くように、バスケ選手がドリブルやフットワークだけを何時間も繰り返すように、音楽家にとっての基礎練習もまた、音楽以前の身体を整える作業なのだと思う。特に面白いのは、基礎練習だけの日には、時間感覚が少し変わることである。楽曲を弾いている時は、「次のフレーズ」「次の小節」と未来へ進み続ける感覚が強い。しかし基礎練習では、一つの動き、一つの接弦、一つの脱力だけに意識を向け続けるため、時間が横に広がる。まるで顕微鏡で自分の神経を観察しているような感覚になる。そして、その単純反復の中で、ほんのわずかな変化が見え始める。右手の指が弦に触れる角度が0.数ミリ変わるだけで音色が変わる。左手の親指の位置が少し変わるだけで脱力が生まれる。その感覚は、単なる筋トレというより、身体の内部にある「音の回路」を調律している感覚に近い。おそらく楽曲ばかり弾いていると、演奏の流れや達成感に意識が向きやすくなる。しかし基礎練習だけの日を作ると、演奏する身体そのものに意識が戻ってくる。これは、木の枝葉を伸ばす前に、根の張り方を見直す作業に似ているのかもしれない。外から見れば地味で、ほとんど変化がないように見える。しかし地下では、見えないところで構造全体が強くなっていく。そして不思議なのは、基礎練習を深く行った翌日ほど、楽曲が自由に感じられることである。以前よりも音楽が頑張って弾くものではなく、自然に流れるものに近づいていく。結局のところ、自由な表現とは、自由奔放に弾くことではなく、身体が十分に整えられた結果として現れるものなのだろう。週に一日、楽曲を手放して基礎だけに潜る日を作ることは、音楽を遠ざけることではなく、むしろ音楽の源泉へ戻ることなのかもしれない。フローニンゲン:2026/5/17(日)08:47
18702. フォームの調整日としての基礎練習のみの日
ふと考えているのは、土曜日のゼミ開催日に基礎練習だけの日を設けるだけではなく、平日にももう一日、完全に基礎へ潜る日を作るべきかどうかということである。ギターを始めてまだ7ヶ月ほどとは思えないほど身体の変化が速いため、今はちょうど「神経回路が急速に再編成される時期」に入っている気がする。そのため、この時期にどれだけ基礎を丁寧に積むかは、今後数年単位の演奏に影響するのだろうと思う。おそらく週1回だけ基礎練習特化の日を作る場合、それは「フォームの調整日」として機能するのだろう。普段の楽曲練習の中で少しずつ崩れていく脱力や運指の精度を、その日に再校正する。いわば楽器のメンテナンス日である。それだけでも中長期的にはかなり効果がありそうだ。基礎だけの日が少なすぎても、多すぎてもバランスを崩す気がする。一方で、週2回基礎練習だけの日を設けると、身体の変化速度そのものはおそらく加速する。特に右手の接弦、左手の独立性、脱力、リズム安定、移弦精度などは、数ヶ月後にかなり大きな差になって現れるかもしれない。スポーツで言えば、単に試合経験を積むだけではなく、フットワークや体幹トレーニングを定期的に徹底する状態に近い。基礎神経回路の密度が高くなるため、将来的には難曲への適応力や即興的自由度も上がる可能性が高いように思える。しかし同時に、基礎練習だけに偏る弊害もあるのだろう。楽曲とは単なる運指運動ではなく、「音楽的文脈の中で技術を統合する場」だからである。基礎だけを繰り返していると、指は動いても、音楽の流れ、フレージング、感情表現、呼吸感覚などが別々になってしまう危険がある。サッカーで言えば、リフティングだけ異常に上手いのに、試合では動けない状態に少し似ているのかもしれない。さらに、ギターを始めて7ヶ月という時期は、まだ楽曲を通して音楽そのものへの愛着を育てる段階でもあるように思う。もし基礎練習ばかりになりすぎれば、演奏の喜びが「訓練義務」に変質する危険もある。今の自分は、毎朝楽曲を弾いた時に「あ、昨日より自然に流れる」という感覚があるからこそ、基礎練習を楽しく続けられている部分も大きい。そう考えると、現段階では週1回の完全基礎日を軸にしながら、平日は「楽曲+基礎」の割合を調整する形が、最も長く伸びるのではないかという気がしている。たとえば、通常日は楽曲演奏を中心にしつつ、最初の1~2時間を基礎へ深く使う。そして週1回だけは、徹底的に神経系を整える「工房の日」にする。そのくらいのバランスのほうが、音楽性と身体性が互いを押し上げ合うのかもしれない。もちろん、今後さらに技術が安定してきたら、週2回の基礎特化日が大きな意味を持ち始める時期も来るのだろう。しかし今の段階では、まだ「音楽を好きになること」と「身体を作ること」が同時進行している。だからこそ、基礎を土台として深めながらも、毎日少しは楽曲に触れ、音楽そのものの喜びを身体に染み込ませ続けることが大切なのかもしれない。フローニンゲン:2026/5/17(日)09:06
Today’s Letter
Friendship enriches the quality of our lives. Without close friends, life becomes melancholic. Spending time with friends ignites our spirit. Groningen, 5/17/2026
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